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第五章:ピース・オブ・ケイク④

 フロアの突き当たりや通路と通路が交差する曲がり角のうちの数箇所。十二万ポイントを消費して計八個の『ゾンビコナーズ』を設置した。フロアのあちらこちらで強い匂いを放つシアンブルーの煙が上がっている。

 俺たちの思惑が正しければ、今、俺たちが陣取っている倉庫の辺りに、このフロアを自由にうろつけなくなったゾンビたちが集まってくるはずだった。

「グオオオオオ」「ヴアアアアア」ゾンビの咆哮が近づいてくるのを感じる。どうやら事は俺たちの意図通りに運んだようだった。

「結愛ちゃん、来るよ」

 俺はドアの隙間から首だけを出し、廊下の様子を伺いながら、結愛へとそう囁いた。うん、という彼女の返事を耳朶(じだ)に捉えながら、俺は金属バットを握り直す。俺の意志より数秒遅れて、指がバットの柄に吸い付く。

 俺の存在に気づいたのか、ばちりとゾンビと視線が交錯した。どうやら血走ったギョロリとした双眸は、倉庫の扉から首を出す俺を獲物として認定したらしい。ゾンビはばたんばたん、と不恰好な足音を立てながら、こちらへと近づいてくる。

 ゾンビが俺へと向かって腐肉のまとわりついた腕を振り上げる。動くのに時間がかかる身体に、数秒先に取るべき動きを俺は命じ始める。

(――今だ!)

 俺は金属バットをスイングさせると、ガラ空きになったゾンビの胴へと殴撃(おうげき)を叩き込む。衝撃でぐらりとゾンビの体が傾いだ隙に俺は叫んだ。

「結愛ちゃん、今だ! とどめを刺すんだ!」

「おっけぇ」

 結愛は視聴者を意識してか、軽く片目を瞑ってみせると、大鎌を手にする。彼女の緩く甘い返事を聞くやいなや、俺は身体を後ろに引く。

 俺と入れ替わりで結愛は前へ出ると大鎌を薙ぎ、ゾンビの首を容赦なく切り落とした。ゾンビの首から吹き出した暗く粘度の増した血液が結愛の顔を汚す。

「成瀬くん、次来てるっ!」

 相手に情けをかけない的確な結愛の動きにコメント欄が沸いているが、それに反応する余裕は彼女にはない。口調が視聴者を意識したものではなく、素に戻っているのがその証拠だ。

 頭を失ったゾンビの体をぬちゃぬちゃと音を立てて踏みながら、後続のゾンビが結愛へと向かって牙を剥いている。鎌を振り下ろしたままの体勢の結愛を押し退けるようにして、俺は再び前へと出る。

「結愛ちゃん、下がって!」

 俺は金属バットを振りかぶる。振り下ろすが、わずかにタイミングがずれてバットは空を切る。ウィルスに冒されて上手く動かない体がもどかしくて、俺は乾いた唇を噛む。

 ゾンビが半分肉が腐り落ちた手で俺に掴みかかろうとしてくる。

(動け、動け動け動け……!)

 俺はぎこちなくしか動かない足へと意識を向ける。ほんの少しのラグを経て、俺の蹴りがゾンビの腹へと命中する。床に引き倒されるのを危うく回避こそしたものの、俺はバランスを崩して、後ろへと尻餅をつく。からん、と金属バットが俺の手を離れて床に転がる。

「成瀬くん!」

 俺の蹴りでのけぞったゾンビへと結愛は構え直した大鎌を薙ぐ。刃先がゾンビの胸をざっくりと傷つけたが、それではゾンビが止まることはない。タタン、と結愛はサンダルを履いた足で床から飛び上がると、薙いだ上段から鎌を再び振り下ろし、勢い任せにゾンビの頭蓋骨をへし切った。

 俺は床に転がったバットに強張った腕を伸ばす。手のひらにバットの存在を感じると、俺はそれを握りしめて立ち上がる。視界の先では結愛がパーカーのポケットに忍ばせていた『ゾンビコロリン』を取り出して、ゾンビの顔面へと浴びせかけていた。漂ってくる刺激臭に俺は本能的に口元を覆った。この匂いを嗅ぐのはこれで二度目だが、rotten-32に汚染されている細胞がこれの匂いを拒否している。

「ヴアアアアアア!!」

 顔面を直撃した紫色の気体に、体をくの字に折ってゾンビは悶絶している。結愛は『ゾンビコロリン』のスプレー缶を投げ捨てると、鎌でゾンビの頭を躊躇することなく切り落とした。

 結愛は軽く胸元に手を当てて、はあと小さく肩を上下動させながら、

「成瀬くん! 次、行ける!?」

「う、うん」

『ゾンビコロリン』の匂いで身体が吐き気を催してはいるが、動けないほどではない。

 俺はバットを構えると、結愛と入れ替わる形で前へ出た。俺はゾンビたちの腐肉がこびりついたバットで目の前のゾンビのこめかみを叩きのめす。俺のバットがゾンビの身体にめり込むのを認めると、さっと結愛は前へ出る。

「てやっ」

 彼女は可愛らしい気合いと共に大鎌を振るった。その声とは裏腹に重い一撃によってゾンビの頭に亀裂が走る。ゾンビが動かなくなるのを確認すると、彼女はワンピースとパーカーの裾を翻して後ろへと下がった。

 結愛と入れ替わりで俺は再び前に出て、バットを振るおうとする。が、その手が一瞬止まった。

 ダルメシアンを思わせる白地に黒のドット柄のワンピース。ほどけかけたフィッシュボーンの暗いラベンダーアッシュの髪。

 ひん剥かれた目には正気はなく、白かったはずの肌は生気を失った土の色となっていたが、それは二年の神代星那の姿だった。知っている人物の面影を目にした俺は、バットを振り下ろすのを躊躇してしまった。

(駄目だ、迷っちゃ駄目だ。神代先輩はもう神代先輩じゃないってわかってるはずだろ。それにここで先輩を()れなければ、結愛ちゃんを勝たせるなんてできない……!)

 結愛のためだ。そう言い聞かせると俺は星那をバットでぶん殴った。バットの先が星那の顎を捉えるのを触覚に捉えると、俺と結愛は場所を入れ替わる。

 結愛は躊躇した様子もなく、しっかりと星那を見据え、首を切り落とす。頭部を失った星那の体越しにホワイトとオレンジのラインが入った水色のメッシュシャツの男の姿が見えた。三年の月島絢哉(つきしまじゆんや)だった。彼もまたゾンビと化し、「ヴヴヴヴヴヴ……」喉の奥で唸り声を上げている。

「……成瀬くん、やれる?」

 大鎌を構え直しながら、背中越しに結愛は俺にそう聞いた。ふわふわとした髪が波打つ華奢な後ろ姿に反して、その鋭い声音は言外に俺の覚悟を問うている。

「大、丈夫」

 俺は頷くと、結愛と前後を入れ替わる。こんなに知り合いを手にかけ続けて大丈夫なわけはなかったけれど、それでも今は大丈夫だと言うしかなかった。駄目だとか無理だとか言って、結愛に失望されたくなかった。それに彼女のことを優先するのならば、そんな泣き言を言っていられる状況でもなかった。

 俺は心を無理矢理蓋をして、絢哉を見据えた。彼の血走った双眸には、感情の消えたぎょろりとした俺の目が映っていた。

 俺は絢哉に向かってバットを振り抜いた。考えるな。何も考えるな。今はただ、彼女が考えたこの作戦を無事に遂行することだけに注力しろ。そのためには迷いも感傷もいらない。血の通った感情なんていらない。

 俺が後ろに下がるのと同時に結愛が大鎌を振り翳しながら前へ出て、絢哉の頭部へと向かって攻撃を仕掛ける。絢哉が動かなくなると、俺は再び前へ出て次のゾンビに殴撃を放っていく。

 こうして、俺たちは倉庫の周りに群がったゾンビたちを一体ずつ着実に撃破していった。倉庫の周りに頭部を失ったゾンビたちの遺体が積み重なり、俺たち以外に動くものがいなくなると、俺は大きく息を吐いた。

「GJ」「ゆありんぱねえ」「蒼生きゅんも頑張った」俺たちをねぎらうコメントが倉庫の壁に映る配信画面を流れていく。現在進行系でいいねも増え続けているが、何人も知り合いを殺める結果になった以上、俺の胸中は複雑だ。罪悪感で染まりそうになる感情を仕方ないと無理やり宥める。

 こんな見た目になってしまっても、体が上手くいうことを聞いてくれなくても、それでも俺はまだここにいる。ぜえはあ、と荒い呼吸を繰り返している。作戦がうまくいったからこそ、こうしてちゃんと生きている。

「結愛、ちゃん……大丈夫……?」

「うん、わたしは、平気……」

 そう言うと、結愛は倉庫のドアを閉めた。彼女もさすがに疲れたのか、大鎌の柄に縋るようにしながら、床へと座り込む。可愛らしい顔も服もずいぶんとゾンビの血で汚れてしまっていた。

「結愛ちゃん、少し休んだらここから移動しよう……血の匂いでゾンビが来るかもしれない……」

 俺自身や結愛を汚す血の色に嫌でも俺の視線は吸い寄せられる。俺を侵食しているゾンビとしての一部が反応しているのだと思った。それでも、彼女を襲いたいという衝動を理性で抑え込んでいられるのは、俺が完全なゾンビではないからなのだろう。

 結愛の配信画面の上部を見ると、倒したゾンビ十体分のキルポイントだけでなく大量にポイントが増えている。今の戦闘の間で、ざっと見積もっても視聴者数といいね数だけで五十万ポイントは増えている。

 先ほどの結愛の順位は五人中三位と彼女の割には振るわなかったが、これならば二十五時のランキング発表で最下位に転落することはないだろう。

 二十五時まではあと十分を切っている。ランキング発表まではここにいようと決め、俺は結愛の横に腰を下ろした。


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