第四章:スリンキング・キャット②
俺は目深に被った彼女のパーカーのフードを剥ぎ取った。フードの中に押し込められていたピンクブラウンの髪がふわりと広がる。一緒に甘く可憐な香水がほのかに香り、俺はああやっぱり、という気分になる。
「なにやってるんだ!」
かっと頭の中が熱くなる。パン、と俺は彼女の頬を手で打った。彼女はだぼだぼのパーカーの袖口で頬を抑えると、呆然としたように俺の名を呼んだ。
「……なるせ、くん?」
有無を言わさずに俺は結愛を凌悟から引き剥がす。結愛は抗わなかった。ただ、彼女の目には怯えの色が浮かんでいるような気がして、それがひどく気に掛かった。彼女の恐怖は、先ほど彼女を叩いた俺に対してではなく、もっと別なものに向けられているように見えた。
「mjk」「なんでゆありんが」動揺するような視聴者たちのコメントが壁に映し出された俺のコメント欄に溢れ返る。俺だって信じられない思いだった。というか、こうして真実を目の当たりにしてなお、彼女がこんなことをしていた犯人だということを信じたくはなかった。
「結愛ちゃん、何が目的かは知らないけど、こんな真似はもうやめてくれ! アイテムが目的なら、俺が今持っているものを全部あげるから! だから、もうこんなことはしないでくれ!」
俺は金属バットを床へと投げ出した。結愛から貰った絆創膏や湿布の残り、冷却スプレーなどをベージュだったチノパンのポケットから取り出しては、俺は放り出していく。
「結愛ちゃん、これでいいだろ? もう他の人には手出ししないでくれ」
俺は両手を上げ、丸腰であることを示すと、結愛へとそう言い放った。結愛はちゅるんとしたピンクの唇を噛む。
「わたし……そんな、つもりじゃ……」
「そんなつもりじゃないなら、どんなつもりなんだ? どうして、香坂が俺を襲う必要があったっつうんだ?」
凌悟はアロハシャツの裾を破き、出血する脚を縛りながら疑問を口にする。こちらへ向けられた三白眼は鋭く、荒々しい胴間声は怒気を孕んでいる。
結愛は何も言わずに俯いた。悄然と項垂れる彼女が自分のしたことについての弁明をする様子はない。
はあ、と俺は結愛を庇うように立った。彼女がどうしてこんなことをしたのか問い糺したいのは俺も凌悟と同じだったが、それをするのは今ではないと思った。
「凌悟先輩、どうしてって生き残るためでしょう?」
「あん?」
どういう意味だと言わんばかりの凌悟の視線が俺に突き刺さる。だって、と俺は若干怯みつつも言葉を重ねていく。
「他の人を襲ったり、妨害したりするようなことって、特に大雅先輩禁止してなかったじゃないですか。無事に最後の一人に残って、このゲームから抜け出すには手段なんて選んでられないじゃないですか。命、かかってるんですよ?」
「まあ、それは……そうだけどよ……」
凌悟は言葉を濁すと、俺たちから目を逸らす。「正論w」「蒼生きゅんの言う通りではある」俺を擁護するような言葉がコメント欄にちらほらと浮かび上がってくる。
「先輩だって、いざとなったら結愛ちゃんと同じように誰かを妨害してでもきっと自分を優先しようとするでしょう!? 生きて帰るためだったらどんなことだってするでしょう!? このゲームってそういうものじゃないですか!」
畳み掛けるように責める俺の言葉に、ふんと不快げに凌悟は鼻を鳴らす。「……ってえ……」結愛にやられた傷が痛むのか、苦悶の声を漏らしながら凌悟は立ち上がる。
「そういうことなら覚悟しておけよ、香坂。てめえも同じように、俺だったり他の奴に報復されるかもしれねえってな」
せいぜいそうやってびくびくしてるんだな、と吐き捨てると凌悟は俺たちに背を向ける。怪我をした左脚を引き摺りながら、凌悟はその場を去っていった。
「お、蒼生きゅん論破したw」いいねと共にそんなコメントが流れていったが、自分の言い分が苦し紛れのものであることは俺自身が誰よりわかっていたから、心がずんと重かった。
「……成瀬くん、その……ありがとう。わたしのこと、庇ってくれて」
凌悟の姿が見えなくなると、ぼそぼそとした小さな声で結愛が俺への例を口にした。
「……別に」
そう返した俺の声はどこかよそよそしく乾いて響いた。
「俺が言ったのはただの事実だよ。……だから、庇ったとかそんなんじゃない」
「……そっか」
あのね、と結愛は俺の右腕を掴んだ。俺を見上げる可愛らしい顔は、何かを躊躇っているように見えた。
「……どうしたの」
「あの……わたし……、わたしね……」
結愛の大きな目から涙が溢れ出した。こういうときってどうしたらいいんだ、と思いながら俺は結愛の頭へと手を伸ばす。ハンカチでもあればよかったが、生憎今ここにはないバッグの中だ。
結愛は俺の胸へと縋りついた。そして、彼女はうああと大きな声を上げて泣きじゃくり始めた。空中に投影された彼女の配信画面には、泣いたからって許されないなどといった厳しいコメントも多く見受けられた。視聴者なんていうものは、応援していたはずの彼女に対していとも簡単に手のひらを返すらしい。ネットは残酷だ。
ぽん、ぽんと俺がぎこちない手つきで結愛の柔らかな髪を撫でてやると、彼女は俺の首へと腕を回してきた。こういうときに一体どうするのが正しいのかはわからないが、彼女が落ち着くまでには少し時間がかかるであろうことだけは、恋愛経験皆無の俺でも何となく察せられた。
俺は腕の中の結愛を持て余しながら、スマートウォッチでアイテムカタログを開き、『ゾンビコナーズ』を交換した。すぐ真上の天井が開き、『ゾンビコナーズ』の箱が降ってくる。俺は片手で箱を受け止めると、中から蚊取り線香じみたそれを取り出した。
足元に俺が『ゾンビコナーズ』を設置すると、特有の臭気と共に煙が上り始める。結愛の泣き声が耳朶に叩きつけられるのを感じながら、シアンブルーの煙の中で俺はなす術もなく立ち尽くしていた。




