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第一章:エキサイティング・サマー②

 試験と課題に追われた七月が終わり、俺たちは無事に夏休みを迎えていた。

「……いや、蒼生は無事でもないだろ」

 やれやれと柊夜はネイビーのストライプシャツの肩をすくめた。

 確かに柊夜の言う通り、厳密には俺は一般教養の英語を一科目落としてはいた。ただまあまだ前期だし、後期でどうにか帳尻を合わせればいいだろう。

 大学の正門の前には香椎製薬のロゴが入った黄色い観光バスが止まり、夏空からは炎陽が力強い光を降らせている。山中湖はもう少し涼しいといいなあと思いながら、俺は二泊三日分の荷物が詰まったチャコールグレーのボストンバッグを運転手へと渡した。中年の運転手は、慣れた手付きで俺の荷物と柊夜の荷物をトランクの中へと入れていく。もう既にほとんどのサークルメンバーがバスに乗り込んだ後なのか、トランクの中は色とりどりのキャリーケースやバッグで埋め尽くされていた。

「ほら、蒼生。早く乗ろう」

 柊夜に促され、俺はバスへと乗り込んだ。出発前から大騒ぎする先輩たちにはあまり近づきたくなくて、俺たちは前輪の少し後ろの辺りの二人席を陣取った。

 バスに乗る前に学校の前にある牛乳瓶のマークのコンビニで買ってきたカフェオレのペットボトルの蓋を緩めていると、薔薇のプリントがあしらわれたTシャツに黒いカーディガンとチノパンといった派手な出で立ちの男がバスに乗り込んできた。俺たちのサークルの部長である大雅だった。大雅は、助手席から後ろを振り返ると、

「全員乗ったかー? 出発するぞー! 皆、思い出に残る刺激的な夏にしようぜー!」

「おおー!」

「うぇいうぇいうぇーい!」

 既に酒が入っているサークルメンバーたちが手を振り上げて返事をする。何で出発前からもう飲んでるんだ。このアル中どもめ。

 大雅はざっとバスの中を見回し、皆が乗っていることを確認すると、「出してくれ」香椎家専属の運転手へと指示を出す。

「大雅様、かしこまりました」

 中年の運転手は大雅へと軽く頭を下げると、バスのエンジンをかけた。そして、がたん、がたんという小刻みな振動とともにバスは動き始めた。

 俺たちを乗せたバスは明治通りを進み、西新宿のオフィス街然とした街並みを抜けて首都高速へと上がっていく。一般道から高速道路に上がったことで、バスの振動が減り、動きが滑らかなものへと変わっていく。

 高井戸から中央道へと入り、窓の外にはしばらくは西東京の街並みが続いていた。しかし、次第に建物がまばらになっていき、田園風景が広がるようになっていった。田んぼや畑、山ばかりで家の隣に家がない。

 やがて、道が渋滞し、車の流れがゆっくりになっていった。柊夜は俺の隣でスマートウォッチを操作して、現在地を確認しながら、

「そろそろ小仏かな。あそこいつも渋滞してるんだよな」

 去年、十八歳になると同時に自動車免許を取った柊夜は自分でもよく運転をすることもあって道路事情に詳しい。そうなんだ、と適当な相槌を打つと、俺はカフェオレのついでに買ってきた棒状のチョコレートプレッツェルをかじる。「食う?」俺は柊夜へチョコレートプレッツェルの赤い箱を向ける。もらう、と柊夜はスマートウォッチの盤面から指を離すと、チョコレートプレッツェルを一本箱から抜き取った。

 後方座席に陣取った先輩たちは酒を浴びるように飲み、てんやわんやの大騒ぎを繰り広げている。備え付けのカラオケでぎゃあぎゃあわあわあと歌い踊るその様は最早迷惑以外の何でもない。運転手も運転手でよく注意しないなと俺は呆れを通り越して感心する。

 柊夜いわく渋滞の名所である小仏トンネルを越え、山梨県に入ると、談合坂サービスエリアで俺たちはしばし休憩を取ることになった。

 トイレと少し早い昼食をを済ませると、俺と柊夜は都心にもあるチェーンのコーヒーショップで飲み物を買った。柊夜はかねてから狙っていたという地域限定のグレープとホワイトチョコのフラッペ、俺は何の変哲もない普通のアイスコーヒーだ。

 俺たちはバスの出発時間になるまで、飲み物を啜りながら土産物のコーナーを練り歩く。しかし、東京都内と何ら代わり映えしない商品のラインナップに俺は首を捻った。

「……柊夜、ここもう山梨なんだよな?」

「うん。さっきの小仏の辺りは入り組んでたけど、この辺はもう完全に山梨だよ」

 バナナクリームの入ったバナナ型のお菓子。小鳥の形を模した饅頭。信玄餅など山梨らしいものもあるにはあるが、東京のものが大多数である。

「東京銘菓だの銀座がなんだのってそんなんばっかじゃんか」

「地方に行くのに土産物買い忘れる人とかもいるからじゃない? でも、蒼生、あそこマスカットキャンディとか富士山バウムとかある」

 ほら、と柊夜が指差した先にはマスカットの写真がプリントされた四角い缶と、ホワイトチョコのかかったバウムクーヘンの箱が積まれていた。

 まだ行きだというのに嵩張るものを買う気にはなれない。そもそも男一人でこんなに大きいバウムクーヘンを食べきれる気がしない。でも飴くらいならいいかと思い、飴の缶を俺は手に取った。飴くらいならこの後、バスの中でも気兼ねなく食べられるし。

「柊夜、俺これ……」

 買ってくる、と言いかけて俺は言葉を切る。俺の目線の先には顔色の悪い女の子がいた。

 胸元の白い大きなリボン。グレーのチェックのワンピース。フリルのあしらわれた黒いサンダルとハンドバッグ。ふんわりとした柔らかそうな髪には今日は白いリボンが編み込まれている。

「結愛ちゃん。顔色悪いけど、乗り物酔い?」

「あ、成瀬くんに和泉くん……。うん……まあ、そんなところ、かな」

 結愛はそう答えるが、どこか歯切れが悪い。そういえば、と柊夜は何かを思い出したように出口の方を振り返ると、

「だったら、何かさっぱりしたものでも食べない? 外でソフトクリーム売ってたはずだよ。ご当地ものの信玄餅ソフト」

「ごめんね、和泉くん。わたし、冷え性だから冷たいものはいいかな……ほら、バスの中寒かったし」

 ああ、と俺はバスの中の様子を思い出した。バスの中は飲んで騒ぐ酔っ払い仕様で、エアコンの温度が二十度に設定されていた。特に冷え性でもない男の俺たちでも若干肌寒かったくらいだ。

「結愛ちゃん、ちょっと待ってて」

 そう言い置くと、俺は飴の缶を抱えてレジへと向かう。レジ横でミントタブレットを見つけるとそれも一緒に店員へと渡す。

「六百四十八円です」

 レジ横の端末に左手首のスマートウォッチを翳して会計を済ませると、俺は柊夜と結愛の元へと戻った。お待たせ、と二人に声をかけると、俺は購入したばかりの飴とタブレットを結愛に手渡した。

「結愛ちゃん、これよかったらもらって。まだもう少しかかるみたいだから、ちょっとでも気が紛れれば」

 ありがとう、と伸ばしたお菓子に手を伸ばした結愛の手が俺の手に触れる。淡いピンクに黒のドットのネイルがあしらわれた細い指先はとても冷たかった。

「成瀬くん、これいくらだった? お金払うよ」

 いいって、と俺はお菓子を結愛へと押し付ける。見るからに甘そうな地域限定のフラッペを柊夜は啜りながら、

「蒼生、結愛ちゃんにだけは本当優しいよなー」

 うるさい、と俺は肘で柊夜の脇腹を小突いた。あぶないなあ、と柊夜は体を捩って俺の攻撃を避ける。柊夜のフラッペのクリームが蓋の口から飛び出しかける。

「おーい、そろそろ出発すんぞー! 残ってる奴いるかー?」

 副部長にして四年生の倉木凌悟(くらきりようご)の酒で焼けた胴間声が響いた。「あ」スマートウォッチの文字盤に目を落とすと、出発予定時刻の三分前を指していた。

「結愛ちゃん、柊夜。そろそろ戻ろう」

「そうだね」

「うん」

 俺たち三人は飲み物とお菓子をそれぞれ手に、サービスエリアの建物を出た。適度に空調が効いていた館内とは一転して、うだるような暑さが俺たちを襲ってくる。

 山梨の夏もまた、東京と変わらず暑い。ビルのような大きな遮蔽物がないせいで、余計に暑いような気すらした。

 俺たち三人は夏の昼の容赦のない日差しに目を細めながらバスを目指した。吹き出し始めた汗が、俺のブルーグレーのTシャツの背中をじっとりと濡らしていた。

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