第三章:ミルクソップ・アンド・ヘルキャット③
「ぐおおおおおおおお!!」
俺たちの背後からゾンビが襲いかかってくる。
「結愛ちゃん!」
俺は、注意を促すように彼女の名を呼ぶ。わかってる、と頷き返すと、結愛は握りしめた模した仕込み傘を抜く。彼女の足元に、幾重ものフリルがあしらわれたピンク色の傘の布地がぱさりと落ちる。
「みんなーっ、ゾンビっ!! ゾンビ来たあっ!! ちょっとゆありんたち、こいつ倒すのに集中するからぁ、みんな見ててねえっ!! ゆありんたちが、ちゃんとこいつ倒せるか応援しててねえっ!!」
口だけは視聴者たちに向けて動かしつつも、結愛は緊迫した面持ちでゾンビと対峙する。平時ならみんなからのいいねやコメントに反応できている結愛に、今はその余裕はなさそうだった。
まるでレイピアのようなそれを結愛は繰り出し、ゾンビの動きを牽制する。しかし、突きに特化したその武器ではゾンビにとどめを刺すこと――頭を切り落とすことは能わない。
躊躇いがちな結愛の刺突がゾンビの青いロゴTシャツの肩を刺した。その衝撃で髪に緑色のメッシュが入ったゾンビはたたらを踏む。ゾンビが被っていた白いキャップが床へと落ちる。
俺は一瞬躊躇いを覚えた。しかし、俺はぐっと奥歯を噛み締めると、ゾンビの頭部へと向かって思い切り金属バットを振り抜いた。グチャッ、ゴキッ、とバットはゾンビの顔の腐肉を血液と共に辺りへと跳ね飛ばし、頭の骨を破壊していく。
結愛は砕けた頭蓋骨の間からゾンビの脳を刺し貫く。「うがっ……ぐがぁぁぁぁぁぁ!」断末魔を上げ、ゾンビは事切れた。ゾンビにとどめを刺したことで、結愛の手持ちポイントが一気に一万ポイント増加したのが、俺の視界の隅に映った。
「はーい、みんな! ゆありんと蒼生きゅんはこのとーり、見事にゾンビを倒すことができましたあ! 応援ありがとー、よかったらいいねしてねー!」
無理やり作った明るく鼻にかかった声音で、結愛はスマートウォッチのインカメラに向けて、無事にゾンビを倒したことを配信画面の向こう側へと報告する。
「GJ」「ゆありん大丈夫?」結愛の健闘を称えるコメントと彼女を案じるコメントが半々の割合で彼女のコメント欄を埋めていく。
「大丈夫だよお、みんな優しいねえ! ゆありんうれしいっ」
結愛は口ではそう言っていたが、きっと全然大丈夫じゃない。結愛の表情は固く、無理をしているのが丸わかりだった。
二十一時のランキング発表から、俺たちは立て続けに三体のゾンビと遭遇していた。一体目は元々この研究施設にいた見知らぬゾンビだったが、二体目は三年の秋月彪冴だった。そして、今倒したばかりのこの三体目は二年の梨木美桜だった。
俺は最初のウェーブで雪平がゾンビに襲われ、rotten-32に感染していく様をこの目で見た。助けてくれ、と喚きながら雪平がゾンビになっていく様子をただ見ていることしか俺にはできなかった。俺は彼がゾンビになっていくのが恐ろしくて、あの場から逃げ出した。
柊夜だって、今ここで倒れている美桜だって、そんな恐ろしい思いをしたのだろう。俺たちのあずかり知らないところで、他のサークルメンバーたちもゾンビとなってこの建物を徘徊しているかもしれない。これまでにランキング結果やルール違反のペナルティによってゾンビの檻の中に放り込まれた六人――紫藤芽依、白石悠馬、空木聖花、神代星那、灰崎琉貴、蓮見陽希だって、一体いつ俺たちの前にゾンビとなって現れるかわかったものじゃない。
それでもゾンビとなった彼らが襲ってくるのならば、俺たちはこの手で彼らにとどめを刺さねばならない。無事にこのゲームを切り抜けたければ、心を押し殺して立ち向かうしかない。
それを理解していてなお、俺は躊躇いを消すことができずにいた。ゾンビはもうその人ではない化け物なのだと理解していても、感情がそれを受け入れきれずにいる。ぬるいとわかっていても、彼らと対峙するときに、どうしても一瞬迷いが生じてしまう。
きっと、結愛にしても同じような感じなのだろう。先ほどから、ゾンビに遭遇するたびに仕込み傘の中の細剣で戦ってはいるものの、精神的な無理が蓄積して、どこかその動きは精彩を欠いているように俺の目には映っていた。
大雅のようなサイコパスならばいざ知らず、見知った人たちを手に掛け続け、ごく普通の大学生として生きてきたはずの俺や彼女が大丈夫でいられるはずがない。
結愛は床に落ちていた傘の布地を拾い上げると、その中に血で汚れた細剣を仕舞い込む。今の戦闘により、俺へのいいね数がまた増えているのが、壁に投影された配信画面の上部から見てとれた。結愛に関しては言うまでもない。
行こうか、と声をかけかけたとき、結愛が汚れたワンピースの袖口から露出した両腕をかき抱いていることに俺は気づいた。
地下二階のこの辺りのエリアには、廊下をぐるっとカタカナのロの形で囲むようにして、ゾンビの檻が配置されている。解放済みの空の檻もあれば、こちらに向かって哮り立つゾンビがひしめき合っている檻も存在している。
ゾンビの腐敗を進ませないためなのか、この辺りの空調は他のエリアに比べて少々低く設定されているようだった。それに、談合坂で話をしたときに、冷え性だと彼女が自分で言っていた記憶がある。ということはもしかして。
「結愛ちゃん、寒い?」
「……うん、少し」
「そっか、ちょっと待ってて」
俺はもそもそと着ていたパーカーを脱ぐと、結愛へと手渡した。返り血やら何やらで汚れてはいるけれど、ないよりはきっとましだろう。
「俺のだけど、嫌じゃなかったら使って」
「成瀬くん、ありがと」
素の口調で礼の言葉を述べると、結愛はふんわりと微笑んだ。
「ど、どういたし、まして……」
不意打ちの可愛い笑顔に俺はどぎまぎとした。今のはずるい。
俺の配信画面のコメントが「蒼生きゅん照れてるwww」「ウケるwww」などといったもので溢れていく。うるせえ、言ってろ。
結愛は俺のパーカーに袖を通す。メンズのパーカーは小柄な結愛には大きすぎたのか、手は昔流行った萌え袖のようになってしまっているし、裾も太ももにかかるほどに長い。しかし、これはこれで可愛いので俺的にはめちゃくちゃあり寄りのありなんだが。「ゆありんかわいいw」「蒼生きゅんナイスw」俺のコメント欄をそんな文字が流れていった。俺も彼らの意見には全面的に同意だ。
「成瀬くん、それじゃあ行こう。次のランキング発表をここで迎えたりなんてしたらひとたまりもないし」
「そうだね。それじゃあ、上のフロアに戻ってみようか」
「うん」
俺は近くにあった階段の下から階上の気配を探る。上からも咆哮が聞こえてくるが、反響の具合からしてゾンビの場所は遠い。つい今しがたまで立て続けに三連戦を強いられたこのフロアに居続けるよりはマシかもしれない。それに何より、ゾンビの檻が並ぶこのエリアで次のランキング発表を迎えるのは下策中の下策だ。
ぬちゃ、ぬちゃ。徘徊するゾンビの足音が近い。このままここにいては四戦目を始めざるを得なくなってしまうかもしれない。それは避けたい。そうならないうちに、さっさとこんなところからは離れるのが賢明だろう。
行こうよ蒼生きゅん、と視聴者に媚び媚びの口調で言った結愛に促されて俺は階段を上る。こちらを仰ぎ見る愛らしい顔には覇気がなく、ほのかに疲れが滲み始めていた。




