第三章:ミルクソップ・アンド・ヘルキャット①
ぴるるるる。俺が洟を啜る音に混ざるようにして、電子音が響き渡った。俺の背後では、最近Tickingで流行っているらしいという曲のキャッチーなメロディが鳴っている。こちらは結愛のスマートウォッチの着信音だ。
「……成瀬くん」
ずっと俺の背を撫でてくれていた結愛の手の感触が離れていく。彼女は細い手首につけられたスマートウォッチを指し示してみせる。
「大雅先輩から通話きてるよ。たぶん、二十一時のランキング発表だと思う」
「……うん」
俺はずずっと洟を啜り上げると、返り血で汚れた自分の手をスマートウォッチの盤面へと伸ばした。大雅の名前を表示し、発光する文字盤が泣き腫らして充血した目にはやたらと眩しくてひりひりとした。
俺はスマートウォッチの文字盤に表示された受話器のアイコンをタップする。すると、血飛沫の散った壁に大雅の姿が浮かび上がった。
空になったビールやワイン、シャンパンの瓶。食べかけのピザ。チキンやポテト、たこ焼きなどが乗ったプレート。山のようにうず高く積まれたイカリングフライ。グラスに入った棒状のチョコレートプレッツェル。焼きそばにお好み焼き。
適当に食い散らかされた料理や飲み物の山が大雅の周りに積み上がっていた。こいつは一人でパーティしながら、先ほどの俺の一部始終を愉しんでいたに違いない。俺は唇を噛むと、腫れぼったい目で半透明の大雅の姿を睨みつける。
「うぇいうぇいうぇいうぇーい! お前ら元気ィ!? どんどん盛り上がってきたぜヒャッハー!」
いぇいいぇーいと大雅は両手の人差し指を突き上げ、こちらを煽ってくる。大雅は大口を開けてげらげらと笑いながら、自分の腕につけた端末を操作する。
「なんだっけ、蒼生きゅんだっけー? さっきはお涙頂戴マジサンクスなー!」
ぽん、と音を立てて、結愛のスマートウォッチから投影されている大雅との通話画面の横に、俺のライブ配信が表示される。結愛の前に表示された配信動画に映る俺は、現実と同じく涙と鼻水に塗れたしょぼくれた顔をしていた。
「いっやあ、そこで死んでるゾンビ、蒼生きゅんの仲良しの和泉とかいう奴だっけ? 友達殺してポイント荒稼ぎした上に、今も視聴者数もいいね数も爆増中とかマジ傑作! 最高のリアリティショー、マジで最ッ高!」
マジでゴチでした、と大雅は涙に暮れる俺をおちょくるように嗤った。
最低、最悪だ。柊夜の死は大雅にとって、ただのオモチャに過ぎない。誰かが身近な誰かを殺すことすら、高みの見物を決め込んでいるこいつにとっては娯楽以外の何にも他ならない。再認識させられた事実を俺は噛み締める。泣いても怒っても、こいつを面白がらせてしまうだけだ。
「それでさあー、ゆありんさー」
大雅が結愛へと水を向ける。大雅の口元はにやにやと歪められている。半透明の大雅を見る結愛の表情に、俄かに硬さが増していく。
「蒼生きゅんに自分のために友達殺させて、今どんな気分よー? ま、そいつとは自分の目的のために一緒にいるだけだし、別に心なんて痛まねーか! そーだよなあ! 自分の大事なものがかかってんだもんなあ!」
「それ、は……」
結愛が俯く。その顔はひどく追い詰められて見えて、俺は見ていられなかった。
「やめろ……やめろ、よ……!」
俺は壁の大雅へと向かって吠えた。お、と大雅は片眉を上げてみせると、
「おー、何、もしかして蒼生きゅんはゆありんのこと好きだったりしちゃう感じィ? 蒼生きゅんは好きな女のためなら友達のことも殺せちゃうわけかあ、愛だねえ、ヒューヒュー。けどさあ、オレはやめといたほうがいいと思うけどなあ、そんな性悪ビッチ」
「結愛ちゃんを悪く言うな! そもそも結愛ちゃんはお前のカノジョだろ! 何でそんなふうに悪く言えるんだよ!」
俺は憤慨する。俺のことを揶揄されるのは百歩譲ってまだいいとしても、結愛のことを悪く言われたくない。その気持ちが、座り込んだままだった俺を立ち上がらせた。
結愛は少し小狡いところはある。しかし、サークル内ではカースト下位に属する俺や柊夜にも笑顔で分け隔てなく話しかけてくれる優しいところもある。結愛の気配り上手で可愛いところが俺は大好きだ。小悪魔的なところはあれど、彼女は大雅の言うような性悪でもなければビッチでもない。
だってなあ、と思わせぶりに大雅はサングラス越しの視線を結愛へと向ける。ふっ、と大雅は彼女へと嗤笑を浴びせかけると、
「蒼生きゅんが認識してるとーり、オレとそいつは深ーい深ーい仲なわけ。だから、蒼生きゅんの知らねーあーんなこともこーんなこともオレは全部知ってんの。――そいつがとんでもねー女だってこともな」
俺は結愛を見た。しかし、結愛は顔色を真っ青にしたまま俯くばかりで、肯定も否定も口にすることはなかった。
「お前が結愛ちゃんの何を知ってるか知らないけど、結愛ちゃんは悪い子じゃない! 絶対にそんなんじゃない!」
「成瀬くん……」
結愛が顔を上げ、俺の顔を見た。彼女の口が小さく動き、短い言葉を呟く。しかし、彼女が何と言ったのか、俺に聞き取ることはできなかった。
ヒュウ、と大雅は茶化すように口笛を吹く。彼はポテトを一本口にし、肩をすくめてみせると、
「恋は盲目ってかー、まあオレはそんなことどーだっていいんだけどな。
で、だ。お前らもこれでわかっただろうけど、この建物の中を徘徊してる奴らの中には、ゾンビに咬まれてゾンビになっちまったお前らのオトモダチも混ざってたりすっからそこんとこよろしくー。こんだけゾンビが増えてきちまうと、逃げるのはそろそろきついだろうから、勝ち残りたければ蒼生きゅんみたいに殺しちまうことをオレはオススメするぜー!」
そのほうが見てるオレもおもしれーしな、と笑いながら大雅は瓶のまま高そうなワインを呷った。
「あ、そうそう、忘れるとこだった。お前らのお待ちかねのランキング発表しねーといけねーんだった。そいじゃ、早いとこ全員ランキング確認しちゃってくれよフッフー!」
俺のスマートウォッチに順位が表示された。十六位中三位。柊夜を殺めたことによるものなのだと思うと、この大躍進を喜ぶことは俺にはできなかった。
「そ・し・てッ! お前らが気になる今回の最下位は三年の蓮見陽希! 武器を追加で交換したのが裏目に出ちゃった感じだね、ざんねーん! ってなわけで、はすみんにはここでゾンビ檻送りになってもらいまっす! いぇーい、拍手ぅー!」
テンション高く、大雅は今回の最下位を発表した。白いシャツに原色の柄物のネクタイの男が防護服の男たちに引き摺られていく様が映し出された。
「嫌だ! やめろ! 離せよ、離せってば!」
陽希はじたばたともがくが、数の力には抗うことができずに、男たちによって連行されていく。
大雅は陽希の姿になど目もくれず、サラミとバジルが乗ったピザへと手を伸ばす。重力に耐えかね、ピザの先端から落ちていくモッツァレラチーズを大雅は行儀悪くピアスの光る舌で舐め取った。
「いっやあ、男の命乞いってマジでオレ見苦しいと思うんだよねえ。マジ気分下がるっていうかー、不細工なモン見せんなって感じっつーか」
大雅はチーズがなくなったピザを一口齧ると、言葉を続けていく。陽希は比較的大雅とも親しいほうだったはずなのに、何と言う言い草だろうか。
「それじゃ、追加でゾンビ解放するからお前らまた一時間頑張れよー。ちなみに、何時間かしたら、今連れてかれたはすみんもゾンビとして参戦してくっから乞うご期待! うぇいっ!」
そんじゃーなー、と大雅はこちらに舌を出すと、通話を切った。
これだけ脱落者がいるのだから、その分サークルメンバーだったはずのゾンビもこの施設の中には存在する。それでも、無事にこの地獄を生き延びたければ、そして、結愛のことを守りたければ戦うしかなかった。この先、他の人に対しても先ほどの柊夜にしたのと同じように手を下さねばならなくなるのは自明の理だ。
「うっひゃあwwあのGMマジキチwww」「あいつマジやべーな」「←同意」宙に浮かぶ俺と結愛の配信画面に、今しがたの大雅についてのコメントが流れていく。先ほどの大雅の言動は、享楽的なはずの視聴者たちすらドン引きさせたようだ。
「やっぱみんなそう思うよね!? マジで何なんだよあいつ……!!」
俺は画面の向こうの視聴者たちの言葉に同意を示す。あいつの愉悦の前では、俺たちの命など塵よりも軽い。
このゲームを生き延びるためには、たとえ大雅を悦ばせるだけだとわかっていても、ゾンビになった誰かの命を奪うことを躊躇するわけにはいかない。
(――覚悟を決めろ。ゾンビになってしまったらもう、その人はもうその人じゃない、ただの化け物だ)
俺は無理矢理自分にそう言い聞かせ、己を奮い立たせる。俺はゾンビと化した柊夜の遺体の傍らに膝をつくと、ぎょろりと剥き出されたままになっていた目をそっと閉じてやった。
(ごめん、柊夜。謝ったって謝りきれることじゃないってことくらい、俺だってわかってる。
だけど、俺は行くよ。無事にこの地獄を生き延びたいし、結愛ちゃんのことだって守りたいから)
せめて安らかに、と俺は短く柊夜の冥福を祈る。「蒼生きゅんは悪くねーよ」「これは仕方がない」俺を擁護するコメントが宙に浮かんだ画面の隅を流れて行って、どこの誰とも知れない誰かにほんの少しだけ救われたような気分になる。
悪いな、と呟くと俺は立ち上がった。俺は結愛へと向き直ると、
「……結愛ちゃん、行こう。ずっとここにいたら、ゾンビが来るかもしれない」
「うん……そうだね」
結愛は頷いた。俺たちはそれぞれの得物を握り直すと、その場を後にする。
しんと静まりかえった廊下では、原型の損なわれた柊夜の骸が眠りについている。充満した腐った肉と死の匂いが俺の嗅覚に纏わりついて離れてくれそうになかった。




