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第二章:ファック・マイ・ライフ③

 もう見えていないはずなのに、俺の網膜にはゾンビに集られる芽依の姿が焼きついて離れなかった。聞いたばかりの彼女の悲鳴が、命乞いをする声が俺の耳の奥でリフレインし続けている。最下位になった人間に待ち受けている残酷な運命を目の当たりにし、ああはなりたくないと俺は恐怖で粟立った自分の体を掻き抱いた。

 しかし、あのようにゾンビの餌食となったのが、柊夜や結愛でなかったことに俺は少しほっとしてもいた。どうやら、律音と芽依以外に一人、ゾンビ化したか死んだ奴がいるようだったが、それが二人のどちらでもないことを祈りたかった。

 けれど、先ほどのランキング的に俺も他人の心配ばかりしていられる状態ではなかった。確実にゾンビが二体いる階下へもう一度向かうか、上へ戻るかどうするべきだろうか。ポイント稼ぎのことを考えれば確実に下だが、安全を取るなら上だ。

 そういえば稼いだポイントをアイテムと交換できるなんていう話があったなということを思い出し、俺は大雅から送られてきていたカタログファイルを開く。俺の現在の手持ちポイントは三百五十二ポイントだ。しかし、一番殺傷能力の低そうなただの角材ですら、交換には二百ポイント必要だ。今の手持ちポイントで交換するには少々心許ない。

 どうするべきかと考えあぐねていると、階上から靴音が聞こえてきた。俺はびくりとして、上を見やる。ゾンビなのか人間なのか。逃げるべきかリスクを冒してでも配信のネタとするべきか。

 咄嗟に判断できずに俺が固まっていると、黒いサンダルを履いたほっそりとした白い脚が階段を下りてきた。薄いピンクのベースにとぅるんとしたさくらんぼのネイルがつま先で揺れていた。

 ふわふわとしたグレーのチェックのワンピースの裾が俺の視界に入る。視線を上げると、そこにいたのは俺の想い人である結愛だった。

 結愛ちゃん、と俺は彼女の名前を呼ぶ。

「よかった、無事だったんだ」

 結愛は無言で俺に微笑を返すと、細い手首に巻かれたスマートウォッチに向かって実況配信を始めた。

「えぇと、天使の(エンジェル・)下僕(サーヴァント)さん、桃色純心(ピンク・ハート)さんこんばんはぁっ! ゆありんはねえ、今、十八時のランキング発表を無事に通過したところですう! ゆありんのー順位はなんとっ! 三位でした! 見てくれたみんなもいいねしてくれたみんなもほんとにほんとにありがとー! 見て見てー! みんなの応援のおかげで、ゆありん、こんなものもポイントでゲットできちゃいましたあ! じゃっじゃーん! 可愛い日傘! に見せかけた仕込み傘でぇっす!」

 結愛はフリルのついたピンクの傘を片手に、スマートウォッチのインカメラへとウインクしてみせる。視聴者の視線を意識して計算し尽くされた、媚び媚びでぶりぶりな彼女の言動に俺の目は点になった。

 唖然としている俺の様子など意に介したふうもなく、結愛はライブ配信を見ている視聴者たちへと向かって言葉を発し続けていく。

「ええー、なになにぃ? そこに映り込んでる人が気になるってぇ? いいよぉ、それじゃあみんなにはトクベツに紹介しちゃうねっ! この子は蒼生きゅん! ゆありんのおともだちだよぉ」

 鼻にかかった甘ったるい声でそう言いながら、結愛は俺に挨拶しろと目線で促した。っていうか蒼生きゅんってなんなんだ。

「ど、どうも、蒼生です……」

 俺は結愛のそばに寄ると、彼女のスマートウォッチのインカメラを覗き込みながらおずおずと挨拶した。こんなときでもふんわりと香る、甘く可憐な花の香りにどきりとしてしまう。

 結愛の唇が俺の耳に触れそうなほどに寄せられる。そして、彼女はすん、と素の口調に戻ると、早口に俺へと耳打ちした。

「成瀬くん、そんなんじゃ全然だめ。成瀬くん、視聴者の皆と対話する気全然ないでしょ? それじゃあ視聴者数もいいね数も全然伸びるわけないじゃない。 成瀬くん、さっき何位だったの?」

「二十一位……」

 俺は下から数えた方が早い己の順位を結愛に告白する。やっぱり、と彼女は溜息をついた。

「成瀬くん、そんなんじゃすぐゾンビ檻送りになっちゃうよ。ハッシュタグもろくについてなければ、動画のタイトルの付け方も全然興味惹かれない。それじゃあ、視聴者数伸びるわけないじゃない。

 それに成瀬くんは見せ方も下手すぎだよ。仮にも写真サークルのメンバーなんだから、画角とか構図もちゃんと意識しないとだめだよ」

「そ、そうだね……」

 結愛の辛辣な指摘に俺はぐうの音も出なかった。俺が項垂れている間も「ゆありんとイチャラブまじ裏山ww」「おまwwそこ代われww」などといった言葉の数々が俺の動画のコメント欄を猛スピードで流れていく。

「ゆありんの動画から」「今北産業w」思いがけない結愛との共演効果によるものなのか、俺の動画の視聴者数が急速に増加していく。

「ど、どうも……」

 俺は硬い声で新たな視聴者たちへと挨拶しながら、空中に映し出された配信画面の隅にある歯車のアイコンに指を滑らせる。結愛に教えられた通り、俺は動画のタイトルと概要欄のハッシュタグを編集していく。

 普段は適当に読み飛ばしているハッシュタグだけれど、いざ他人の興味を惹けるものを設定しようとすると、何も思いつかなくて頭が真っ白になる。動画配信に不慣れな俺にはこういうこと一つとっても難しい。

「#ゾンビ」「#デスゲーム」「#絶体絶命」「#絶賛逃走中」「#みんな助けて」見様見真似でとりあえずいくつかのハッシュタグを追加してみたが、こんな感じでいいのだろうか。

「えぇー、蒼生きゅんとゆありんは付き合ってるんじゃないかってぇ? そんなことないよぉ、ゆありんはぁ博愛主義だしぃ、みんなのゆありんだからぁ、特定の彼氏は作らないのぉ」

 俺がハッシュタグの編集に四苦八苦している横で、可愛らしく頬に手を当てながら、結愛はそんなことを宣っている。いやいや、大雅先輩と付き合っているくせに博愛主義とか何を言ってるんだ。女子はおしなべて嘘つきだと定説はどうやら事実のようだ。俺は彼女の横で、「ははは……」乾いた笑みを浮かべているしかできなかった。

「彼ぴっぴでもないのに何いちゃいちゃしてたかってぇ? あれはねぇ、いちゃいちゃしてたんじゃなくて、ちょっと内緒のお話ししてただけなのぉ。ねえ、みんな、何の話してたか知りたいー?」

 結愛のコメント欄が「知りたーい」だとか「俺もゆありんと内緒のお話ししたいw」だとかといった言葉で埋め尽くされる。うんうん、と結愛は可愛らしく頷くと、

「みんな知りたいって言ってるしぃ、ゆありんと蒼生きゅんから重大発表、しちゃおうかなぁ」

 結愛の言葉に俺はえっ、と小さく声を上げた。重大発表って一体何だ。発表も何も、動画配信について少し助言を受けた以外、彼女とは何も話をしていない。

 俺が戸惑っていると。彼女は動画の向こうの視聴者たちに聞こえないように小声でこう提案した。

「成瀬くん、わたしの動画のためにしばらく手を組んで。わたし、芽依ちゃんみたいに、ゾンビ檻送りになんてなりたくないもん。わたしと一緒にいれば、成瀬くんの動画の再生数やいいね数も確実に伸びるし、一人でいるよりはゾンビと戦って勝てる可能性が高くなるから、成瀬くんにとっても悪い話じゃないと思うけど」

 どうかな、と素の口調に戻って言った結愛の顔には俺が決して断らないという確信が浮かんでいた。おそらく結愛は俺が彼女に好意を抱いていることを気づいていて、それを利用することにしたのだろう。

 しかし、その小狡さすらも彼女の小悪魔的な魅力に拍車をかけているように思えて、嫌いになれなかった。恋は盲目とはこういうことを言うのだろう。

「わたしたち」「俺たち」「「これから共同戦線を張ることにしちゃいましたー! みんな、いいねして応援してねー!」」

 俺と結愛はそう言って動画の向こうの視聴者たちへと手を振った。小っ恥ずかしさで耳が熱くなっていくのを感じる。命がかかっていることは重々理解しているが、これはきつい。俺の命以外の大切な何かが猛スピードでごりごりと削り取られていっているのを感じる。

 こうして俺と結愛は一時的とはいえ、お互いの利益のために行動を共にすることになった。「行くよ、蒼生きゅん!」「お、おう……」結愛に誘われて、俺は階段を登る。結愛のピンクブラウンの髪に編み込まれた白いリボンの端が俺の視界の先で揺れていた。


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