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第二章:ファック・マイ・ライフ②

 俺が廊下を突っ切り、角を曲がると緑色に全身の肉を腐らせたゾンビに見覚えのある男が組み敷かれていた。彼はゾンビを振り払おうと、腐臭の漂うゾンビの体の下で手足をばたつかせてもがいている。

「うっ、うわあああああ!! あっち行け、あっち行けよおおおおお!!」

 視界に飛び込んできた光景に、反射的にひっと俺の喉から悲鳴が漏れた。

 黒字に青の模様が入った、てろっとした生地のシャツ。だぼっとしたホワイトのカーゴパンツ。それは俺の先輩である雪平律音(ゆきひらりつと)のものに相違なかった。

「えっ、うわっ、ゆっ、雪平先輩!?」

 動揺した裏返った声で俺が名前を呼ぶと、律音はゾンビの体の下で身を捩らせて俺の方を見た。その顔は恐怖に歪み、涙でぐちゃぐちゃになっていた。

「お前、成瀬かっ!? 助けろ、俺を助けてくれっ!」

「むっ、無理ですよ! そんなことしたら俺まで襲われるじゃないですか!」

「お前、俺を見捨てるのか!? 嫌だ、ゾンビになりたくない、ゾンビになんてなりたくない……!」

 最後の抵抗とばかりに涙と洟と喚き声を撒き散らす律音をよそに、ゾンビは黄ばんだ歯を剥き出しにして嗤った。そして、ゾンビはシャツから剥き出しの律音の右の前腕へと齧り付いた。

「ぐあっ、ぐわあああああああ!!」

 律音は苦悶の声を上げる。それは人間としての生の終わりを告げる断末魔だった。

 rotten-32は、傷口からゾンビの唾液が侵入することで感染する。雪平は急速にウィルスに体内を冒されていく苦痛で、リノリウムの床の上を転げ回っている。

「ぐっ、ぐあっ……なるせぇぇ………ぐああああああ!!」

 律音の顔が見る間に土気色へと変化していく。ほんの僅かの間に、俺を見る彼の双眸は人間としての理性が失われた、獣のものへと変貌していた。瞳孔は興奮で開ききり、凶暴な衝動が揺れている。

「う、わっ……」

 これがゾンビに咬まれるということか。その恐ろしさを目の当たりにした俺はそろりそろりと来た道を後ずさる。律音を襲っていたゾンビと視線が交錯する。

 このままでは次に餌食になるのは俺だ。もしかしたら、ゾンビ化した律音も俺を襲ってくるかもしれない。

「うっ、うわっ、うわあああああああ!!」

 絶叫すると俺は来た道を駆け出した。配信中の映像には恥も外聞もかなぐり捨てた俺の顔が映っている。視界の端に映った視聴者数は、先ほどまでの数百倍に跳ね上がっていた。

「うっわ、マジこいつカスじゃんw」「先輩見捨てたwカワイソスw」「必死すぎワロタw」「人間臭さがリアル(笑)」コメント欄に俺を貶す文章が流れていくのがちらりと見える。

 しかし、そんなことには構っていられない。あのゾンビたちからまずは逃げ切らないことには、ここを生きて出ることなど夢のまた夢だ。

 俺は一段飛ばしで階段を登ると、踊り場に蹲った。普段の運動不足が祟って息が苦しい。

 ぜえぜえ、と肩で喘ぐように息をしていると、ぴるるるるとスマートウォッチから着信音が響いた。文字盤には大雅の名前が表示されており、俺は受話器のアイコンへと触れる。先ほど目の当たりにした恐怖からか、俺の指先はがたがたと震えていた。

 配信中の俺の映像の横に、大雅の姿が映し出される。俺たちの死闘を酒の肴として楽しんでいたのか、半透明の大雅の手にはビールの缶が握られている。許せない、と俺は怒りを覚えながら、映像の中の大雅の姿を睨みつける。

「はいはいどーもー! お前らのお楽しみ、ランキング発表のお時間だよーん! 今からお前らのスマートウォッチに順位が表示されっから、チェックしちゃってー! うぇいうぇいうぇいうぇーい!」

 この状況が楽しくて仕方ないのか、大雅のテンションはやたらと高い。アルコールと極限状態の雰囲気で浮かれた大雅の声に苛立ちを覚えつつ、俺はスマートウォッチの文字盤へと視線を落とす。

「二十五位中、二十一位……?」

 最下位でなかったことに俺は胸を撫で下ろしつつも、内心で首を傾げた。俺たち写真サークルのメンバーは大雅を除けば二十七人だ。それにもかかわらず、分母が減少しているということは、先ほどの律音以外にも、この一時間でゾンビにやられた人間がいるということに他ならない。

「それじゃあ、今回のビリを発表するよーん! 一年の紫藤芽依(しとうめい)ちゃん! 彼女が今回のゾンビ檻送りになりまーっす! いぇーい!」

 唐突に芽依の映像が大雅の横に大きく映し出された。彼女の顔は恐怖と混乱で大きく歪んでいる。大雅はにやにやと嫌らしい笑みを浮かべながら、

「いっやあ、芽依ちゃんってバカだよねえ。オレ、ゾンビから逃げる様子を配信してポイントを稼げって最初に言ったよねえ? もしかして、芽依ちゃんオレの話全然聞いてなかった? それとも開幕早々に仲良しのオトモダチがゾンビにやられちゃってそれどころじゃなかったー? 何にせよ間抜けだしバカだよねー、バカバカバーカ」

 大雅は一通り芽依を論って満足すると、パチンと指を鳴らした。

「ま、オレは面白ければなんでもいいんだけどさ。――ほら、やっちゃって」

 大雅がそう命じると、芽依の映像の中に香椎製薬の社員と思しき真っ白な防護服に身を包んだ男たちが姿を現した。「仰せのままに」男たちは防護服越しのくぐもった声で返事をすると、黒いトップスにグレンチェックのロングスカートという地味な出立ちの少女の腕や足を乱暴に掴んだ。嫌がって抗う少女の身体を男たちは無理やり引きずっていく。

「いっいやっ、やだっ、やめてっ! やめてってばああああああ!」

 芽依は姫カットの髪を振り乱しながら泣き叫んでいる。この後、芽依に待ち受けている運命を思うと胸が痛い。

 ゾンビで溢れかえった檻の中に芽依の体が投げ込まれた。格好の獲物となった彼女の身体にゾンビが我先にとばかりに群がっていく。

「いっ、いやあああああああああ!!」

 芽依の悲鳴が俺の聴覚を劈いた。あまりに悍ましい光景を俺は直視していられなくて、映像から目を逸らす。

「はーい、そんなわけでビリになるとお前らも芽依ちゃんみたいになっちゃうからねー! あと、今からゾンビを追加で五匹解放するから、皆逃げるなり戦うなりして頑張って生き延びてねー! フッフー!」

 楽しげに声を弾ませて大雅はそう言うと、サングラス越しに芽依の辿った末路を眺めながら、手の中の缶ビールをぐいっと煽った。

「それじゃまたなー! 一時間後、どれだけのメンツが無事で残ってるか楽しみにしてっからなー!」

 そう言い残すと、大雅は通話を切る。大雅の姿が消えると同時に、ゾンビの群れに嬲られる芽依の姿も光の粒子となって空気中に消えていった。


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