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繊月






「……ここにいろ」


引き止めたのは、守るためだ。

そうでなければ、いけない。








外へ出ようとしたまいの手首を、高成は岩肌に身を横たえたまま、ほとんど力の入らない手で掴んだ。

まいは逆らわず、すぐ傍へ座り直す。

それを拒む理由は、なかった。

高成はそのまま目を閉じる。



──最悪だ。



胸の奥に残る熱と痺れが、まだ消えない。

傷ではない。だが、刃より不快だった。


(……慢心した)


僧侶の思想がどうであれ、

少なくとも自分を“使える駒”と見せることはできているつもりだった。

警戒はしていた。だが、あの場で斬られるとは思わなかった。


その甘さが、一撃を許した。


しかも。


法力は、確かに効いた。


“自分がやっていることは全て無駄”なのだと、

突きつけられた気分だった。


考えるべきことは、他にもある。

追っ手はまだ完全には切れていない。

外にいる小瀬の真意もわからない。


起きなければならない。

止まるわけにはいかない。


そう思うのに、身体が重い。

法力だけではない。ここまでの疲労も、思った以上に深く溜まっていた。


……疲れた。


その言葉が浮かんで、わずかに眉を寄せる。

自分が始めたことの責任は負うつもりなのは変わらない。それでも。


今は、少しだけ。

何も考えたくない。


すぐ傍にあるまいの気配を最後に確かめて、

高成はそのまま意識を沈めた。











次に意識を取り戻したとき、隣にあった気配は既になかった。


ただ、まいがすぐ傍にいて、自分が眠る時まで離れなかったことだけは、妙にはっきりと残っていた。


どこまでが現だったのか、夢だったのか。


確かめるように指をわずかに動かすと、掌の奥に、ぬくもりの名残だけがまだあった。



顔に、冷たいものが触れる。



「……!」


その感触に、高成は咄嗟に肩を震わせ、反射的にその手首を掴んでいた。


「す、すみません」


細い声。


まいだった。


薄く開いた視界の向こう、濡れた手ぬぐいを持ったまま、驚いたようにこちらを見ている。


「あの……血がついていて、拭こうとして、それで……」


おろおろと弁明する声が、まだ夢の底に残っていた意識を少しずつ引き上げた。


高成は手の力を緩める。


掴んでいた手首は、すぐに逃げなかった。

振りほどこうともしない。ただ、困ったように身を固くしている。


「……すまない」


「いえ……」


手を離す。


そこで、短い沈黙が落ちた。


岩屋の中は、もう朝を越えていた。入口から差し込む光は白く明るくなり、湿った岩肌の輪郭を浮かび上がらせている。眠りに落ちた昨夜の暗さは、もうない。


まいは一度俯いた。

それから、何かを決めたようにそっと顔を上げる。


「良かったです、目が覚めて」


高成は、すぐには言葉を返せなかった。


ただ、その顔を見る。


まいは泣いてはいない。安心しきった顔でもない。ただ、何かを堪えるように唇をきつく結び、まっすぐこちらを見ていた。


──まったく、どこまで人がいいのだ。


わけも分からぬまま城へ攫われ、連れ出され、ここまで危険に晒されている。昨日もまた、眼の前で刃が交わり、自分は落ち、血を浴びた。そのすべての只中にいた女が、真っ先に口にするのがそれなのか。


まいがそういう人間だとは、もう知っている。

それでも、呆れるほど人がいい。


高成の胸の奥で、昨夜押し込めたはずのものがわずかに軋む。


自分は、その善性を、ただ利用しているに過ぎない。


お人好し。

その一言で済ませるには、まいの眼差しはあまりに真っ直ぐだった。


黙ったまま見つめられ、まいの方が先に戸惑ったように視線を揺らす。


「……あの」


その声で、高成ははっと我に返り、目を逸らした。


「……」


返す言葉を探すより先に、岩屋の入口の方で足音がする。


「目ぇ覚めたか」


小瀬だった。


昼前の光を背負って、中へ入ってくる。表情はいつも通り軽く見えるのに、その実、どこまでが本音か分からない顔だ。だが少なくとも、剥き出しの敵意はない。


まいが持っていた手ぬぐいと、脇に置かれた水を一瞥してから、小瀬は高成を見る。


「動けそうか」


「……ああ」


短く答える。


手足の痺れはまだ残っている。胸の奥にも、法力を打ち込まれた不快な熱がしつこく燻っていた。だが、完全に動けないほどではない。起きている以上、ここに留まる理由はない。


こいつの真意を探るのは、後でいい。


今はそれより先に進むべきだ。


高成は岩肌に手をついて身を起こし、息を整えてから低く言った。


「今すぐ、ここを離れる」


追っ手がどこまで立て直しているか分からない。

忠興が昨夜の遅れをどう読んでいるかも分からない。


ならば、まずはこの岩屋を離れる。


小瀬はその言葉に、わずかに口角を上げた。


「了解」


軽い返答だった。

だが、その軽さの奥で、すでに共に行くつもりでいるのが分かる。


高成は一度だけ、まいの方を見た。


水を持ったまま、こちらを見上げている。

不安は消えていない。それでも、昨日のような怯えだけではない顔だった。


岩屋の外では、日が高くなりはじめていた。






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