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猶予の灯り





仕事を終えた高成は、商家の裏手に立っていた。


軒下には、昼から降り続いた雪が、すでにうっすらと積もっている。

踏み固められていない白は、まだ柔らかく、音を吸い込むようだった。


「成高さーん!」


その静けさを破ったのは、新吉の声だ。


振り向くより早く、勢いよく駆け寄ってくる。


「今日の新年会さ、俺も一緒に行っていい?

成高さんも行くんだろ?」


高成は、わずかに眉を寄せた。


「酒の席だ。子供の来るところじゃない」


即座に返すと、


「えー!ちょっとくらいいいじゃん!」


と、新吉は不満げに声を上げる。


そのやり取りを、奥から聞きつけたのだろう。

商家の主人が、低い声で叱りつけた。


「新吉!

何度言わせる。酒の席に子供が出るな!」


「だってー!」


「だっても何もあるか!」


新吉は、なおも何か言いたげだったが、

父の一睨みで、しぶしぶ店の奥へ引っ込んでいった。


高成は、その背を見送りながら、視線を外へ戻す。


軒先の雪は、なおも静かに降り積もっている。


(……この雪)


そろそろ追撃隊が追いつく頃合いだ。

計算上は、もう不思議ではない。


だが、この天候では、大きな動きは取れまい。


追うにせよ、包囲するにせよ、

雪が溶けるまで待つはずだ。



——問題は、その先。



この街を去ってから、どこへ向かうのか。

何を選び、何を捨てるのか。


思考が、自然とそこへ向かいかけた、その時。


「すみませんな」


商家の主人が、気まずそうに頭を下げてきた。


「うちのが、しつこく絡んでしまって」


「いえ」


短く返す。


「でも、あの子があんなに甘える相手は、そう多くない。…人を見る目だけは、確かでしてな」


主人は、雪の外を一度見てから、続けた。


「護衛の件……

前向きに考えてもらえると、

ありがたいとは思ってます」


言い切りではない。

だが、確かな期待が込められている。


高成は、すぐには答えなかった。

それを気にした様子はなく、


「まあ、今夜は難しい話は抜きにして。

私は顔を出せませんが、皆も喜びますし、

まずは、新年会を楽しんで来てください」


そう言って、主人は軽く笑った。


高成は、小さく一礼する。


「承知しました」


答えながらも、胸の奥では、別の時間を数えていた。


雪が止むまで。

そして、この街を出るまで。


その猶予が、

長いのか、短いのか。


高成は、もう一度、降り積もる雪を見つめた。





***



日が沈みはじめる頃。

雪は、昼間よりも静かに降っていた。


商家の戸を閉めると、

外の音が一段、遠くなる。


まだ始まっていない夜が、

どこか宙ぶらりんのまま、漂っていた。



冷たい空気が唇に触れ、

まいは思わず、軽く口を結ぶ。


「こちらです」


店の者に促され、

まいは外套を掻き寄せた。



新年会の店は商家の数件先だった。


昼間の慌ただしさが嘘のように、

通りには人影がまばらだ。


足元で、雪がきしむ。


白く積もり始めた道を、

列になって歩く。


まいのすぐ後ろに、

高成の気配がある。


振り返らなくても分かる距離。


(……近い)


そう思ってから、

すぐに首を振る。


偶然だ。

雪の道では、自然と間隔が詰まるだけ。


それでも、意識だけが、やけに近い。


通りの先に、

灯りが見えた。


暖色の光が、

雪に滲んで揺れている。


「あそこですよ」


店先から、

煮炊きの匂いが流れてくる。


湯気。

笑い声。

器の触れ合う音。


(……初めてだ。)


商家の中とは違う、

知らない賑わい。


比良野の村には、こうした灯りはなかった。


一歩、敷居を跨げば、

また別の世界に入るのだと、

身体が先に察している。


そのとき、

足元が少し滑った。


「あっ——」


声が出るより早く、

背後から、肩を軽く支えられる。


「気をつけろ」


低い声。


それだけで、

すぐに手は離れた。


(……)


胸の鼓動が、

一拍、遅れて強くなる。


高成は何事もなかったように前を向く。


余計な跡を残さない距離。



まいはその背を見ながら、

昼間考えていたことを思い出す。


昨日の夜。

言いかけられた言葉。

そして、夢。


(……今は、考えない)


今からは、新年会だ。


仕事の延長で、

誘われただけの席。


浮ついていいわけじゃない。

でも——


胸の奥が、少しだけ軽い。


暖かな灯りが、

雪の中で揺れている。


その光に、

一瞬だけ、足が引き寄せられた。


まいを促すよう、背後から声がかかる。


「……行くぞ」


いつもの声。


まいは、小さく頷いた。


「はい」


雪の夜は、

まだ何も語らない。


けれど、

今だけは何も考えなくていいのだと、

背中を押された気がした。







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