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店の中





新吉の案内が一段落すると、

高成は店内を一通り見回したあと、まいの方を振り返った。


「俺は外を回る」


低い声だった。


「裏口と、通りの様子を見る。

ここにいろ」


「……はい」


短く返事をすると、

高成はそれ以上何も言わず、店の外へ向かう。


背中が、人の流れの中に紛れていく。


(……行っちゃった)


分かっている。

護衛なのだから、外を見るのは当然だ。


それでも、

胸の奥に、ほんの少しだけ心細さが残る。


まいは言われた通り、帳場の近くに立った。


店の中は忙しない。


反物を広げる音。

値を交渉する声。

品を抱えて行き交う店の者たち。


誰も、まいを気にかけてはいない。

それが当たり前なのだと、頭では分かっている。


(……何をしたらいいんだろう)


手伝えることがあるわけでもない。

勝手に動いていい場所でもない。


何より——

「動くな」と言われている。


じっとしているしかなかった。


邪魔にならないよう、

壁際に寄って立つ。


それでも、視線は感じる。


客がちらりとこちらを見る。

店の者が、一瞬だけ様子を窺う。


(……浮いてる)


ここは、自分の場所じゃない。


昨日までいた宿とも違う。

路地とも違う。


活気があって、

人が多くて、

ちゃんと“日常”が流れている場所。


その中で、

まいだけが、足を止めている。


(……居心地、悪いな)


思わず、指先を握りしめた。


勝手に動くな。

そう言われた言葉が、頭の中で反芻される。


守るための言葉だと分かっている。

疑っているわけじゃない。


それでも、

ただ待つだけの時間は、思った以上に長かった。


(……私、何もできない)


その事実が、

じわじわと胸に滲む。


高成が外を見回っている間、

自分はここで、立っているだけ。


守られている。

けれど——


(……役に立ってない)


そんな考えが浮かんで、

まいは慌てて首を振った。


(違う、違う……)


今は、それでいいと言われたのだ。


そう自分に言い聞かせながら、

まいは再び、帳場の前に視線を戻した。


外の通りの気配を無意識に探しながら。




***



帳場の近くで立っていると、

奥の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。


反物を抱えた若い娘が、

足早に通り過ぎようとして——


「っ……!」


一つ、手から滑り落ちた。


反物は床に転がり、

続けていくつかが崩れる。


「あ……!」


娘が声を上げるより先に、

まいは身体を動かしていた。


「だ、大丈夫ですか?」


反物を拾い上げ、

近くに落ちていたものを集める。


「あ、ありがとうございます……!」


娘は慌てた様子で頭を下げた。


「急いでたもので……」


「重いですね。

一緒に運びましょうか」


そう言ってしまってから、

一瞬だけ迷いがよぎる。


(……勝手に動くな、って)


だが、反物を抱えて困っている姿を前に、

足は止まらなかった。


「助かります……!

倉まで、お願いできますか?」


「はい」


二人で反物を抱え、

倉の方へ向かう。


人の少ない通路に入ると、

喧騒が少し遠のいた。


「私、ユキっていうんです」


歩きながら、娘が言った。


年の頃は、自分とそう変わらない。

背丈も、体つきも、ほとんど同じくらいだ。


動きは慣れていて、

それでいてどこか控えめで、

人の流れに溶け込むように立っている。


(……似てる)


顔立ちではない。

声でもない。


ただ、その場に在り方が、

まいには不思議と近く感じられた。




「さっきは、本当に助かりました。

落としたら、怒られるところで……」


「いえ……」


まいは首を振る。


「たまたま、近くにいただけです」


倉に着き、

反物を所定の場所に置く。


ユキは、改めてまいの方を向き、

深く頭を下げた。


「ありがとうございました」


「────!」


その一言が、

まいの胸に、じんと沁みた。


——ありがとう。


父でもなく、

弥助でもなく。


誰かを守る役目でもなく。


ただ、

一人の人間として向けられた感謝。


(……あ)


胸の奥が、

静かに温かくなる。


まいは少しだけ戸惑いながら、

小さく頭を下げ返した。


「……どういたしまして」


その時。


「ユキ!」


きびきびとした声が響く。


振り返ると、

年上の女性が立っていた。


着物の着こなしも、

立ち姿も、はっきりしている。


「次は裏の荷、お願い。

急ぎだから」


「はい!」


ユキは元気よく返事をし、

すぐに動き出す。


まいは、その場を離れようとして、

一歩後ずさった。


(戻らなきゃ……)


帳場の方へ——

そう思った瞬間。


「そっちの子も」


女性の視線が、まいに向く。


「一緒に手伝って。

反物、二人で運んだ方が早いから」


「えっ」


一瞬、言葉に詰まる。


(ち、違います、私は……)


そう言おうとしたが、女性はこちらを振り返ることもなく、忙しなく次の仕事へと向かってしまった。


「じゃあお願いね!」


言い切りだった。


「……はい」


気づけば、

返事をしていた。


まいは反物を抱えながら、

内心で小さく息を吸う。


(……働いてる)


守られて、

じっとしているだけだったはずなのに。


いつの間にか、

誰かと並んで、同じ仕事をしている。


それが、

少しだけ嬉しくて。


少しだけ、怖かった。





***





店の外回りを一通り終え、高成は再び商家の中へ入った。


通りに異変はない。

裏口も問題なし。

人の流れも、特に滞りはない。


——想定通りだ。


そう判断しながら、

視線を店内へ走らせる。


帳場。

売り場。

反物の棚。


そして——


「……」


一瞬、足が止まった。


反物を抱え、

店の奥から歩いてくる二人の姿が目に入る。


一人は、店の者だろう。

もう一人は——


まい。


いや、

“たま”と呼ばれているはずの少女。


反物を腕に抱え、

従業員の娘と並んで歩いている。


動きはぎこちないが、

邪魔になるほどではない。

指示も、ちゃんと聞いている。


働いている。


(……動くなと言ったはずだ)


そう思ったはずなのに、

言葉は、すぐには出てこなかった。


高成は、

ほんの一拍、立ち止まったままその光景を見る。


まいは、まだこちらに気づいていない。


反物を落とさないよう、

少しだけ眉を寄せて、真剣な顔をしている。


その横顔は、

宿でじっと待っていた時とも、

怯えていた頃とも違っていた。


(……勝手なことを)


思考が、そこで止まる。


叱るべきか。

止めるべきか。


判断は、すぐに出せるはずだった。


だが——


店の者が、

「ありがとうね」と声をかける。


となりの娘が、

「たまさん、こっちです!」と呼ぶ。


まいは、

小さく「はい」と答え、

そのまま作業を続ける。


そこには、

捕らえられていた頃の、怯えたような面影はない。


高成は、息を吐く。


深くはない。

だが、短く。


「……成高さん?」


新吉が、気づいて声をかけた。


高成は、視線を切り、

いつもの表情に戻る。


「問題はない」


「そっか!」


新吉はすぐに興味を失い、

別の用事へ走っていく。


高成は、まいが反物を置き終えるのを待った。


娘が別の仕事へ呼ばれ、

まいが一人になった瞬間。


高成は、叫ばずとも声が聞こえる距離まで近づく。


「……何をしている」


低い声。


まいは、

はっとして振り返った。


「……っ」


一瞬、言葉を失う。


(見られてた……)


「え、えっと……」


言い訳を探すより先に、

正直な言葉が口をついた。


「……手伝ってたら、そのまま……」


高成は、すぐには何も言わない。


まいは、思わず身構えた。


叱られると思った。


だが——


「……怪我はないか」


「え?」


予想外の言葉だった。


「だ、大丈夫です」


高成は、まいを一度だけ見て、

それ以上何も言わなかった。


「……次からは、声をかけろ」


それだけだ。


責める声ではない。

だが、許可でもない。


境界線を引くような言い方。


「……はい」


まいは、

小さく頷いた。


高成は、再び店内を見回す位置へ戻る。


だが、その歩みは、わずかにゆっくりだった。


まいはその背中を、ほっとため息をつきながら見送る。


(……怒られなかった)


それが、

なぜか妙に残った。




***




気がつけば、店の中は夕方の気配を帯び始めていた。


帳場の声が少し低くなり、

反物の出入りも落ち着いてくる。


まいは、最後に運んだ荷を所定の場所へ置き、

小さく息を吐いた。


(……終わった)


一日中立っていたせいか、

足はじんわりと重い。

だが、不思議と嫌な疲れではなかった。


「……ちょっといいかな」


声をかけられ、振り返る。


商家の主だった。


「今日は、手伝わせてしまって済まなかったな」


そう言って、頭を下げる。


「従業員と勘違いしていたそうだ。

こちらの手違いだ」


「い、いえ……」


まいは慌てて首を振った。


「むしろ……

働かせてもらって、よかったです」


自分でも、少し驚くほど素直な言葉だった。


主は一瞬目を瞬かせ、

やがて穏やかに笑った。


「そう言ってもらえるなら、ありがたい」


少し考えてから、続ける。


「成高殿の仕事が終わるまで、

よければ、このまま手伝ってもらえないだろうか」


予想外の提案だった。


「店の中だけで構わない。

人手は、正直言って助かる」


まいは一瞬、言葉に詰まる。


視線が、無意識に店の奥を探す。


——高成。


その時、ちょうど高成が戻ってきた。


主はそちらを向き、話を続ける。


「成高殿。仕事の件だが」


主は、はっきりと言った。


「ぜひ、引き続き護衛をお願いしたい。

今日一日見て、これ以上の条件はないと判断した」


高成は、短く頷いた。


「承知しました」


主は満足そうに頷き、

それから少し声を落とす。


「ただ……

連れの方についてだが、先程言っていた条件というのは?」


高成は、一瞬まいに目配せをする。


「妹です」


静かな声だった。


「妹は身体が弱い。

いつ発作が出るか分かりません」


まいは、思わず息を呑む。


高成は続ける。


「店の外には出さないでほしい。

手伝うとしても、店内だけにしてもらえれば」


嘘だと分かっている。

だが、声音に迷いはない。


商家の主は、すぐに頷いた。


「承知した。無理はさせない。

店の中で出来ることだけでいい」


「ありがとうございます」


高成は、それだけ言って頭を下げた。


話が終わり、

主が帳場へ戻っていく。


その背を見送りながら、

まいは胸の奥が、じんわりと温かくなるのを感じていた。


(……ここに、いていいんだ)


守られているだけじゃない。


誰かの役に立って、

働いて、

感謝されて。


それを、高成が止めなかった。


——条件付きで、だが。


高成が、ちらりとこちらを見る。


まいは、慌てて背筋を伸ばした。


「……無理はするな」


低い声で、それだけ言われる。


「はい」


返事は、少しだけ明るくなった。


外では、夕暮れの色が深まっている。


商家の中で、

まいの一日は、確かに「居場所」を得て終わった。


それが、

次に何を変えていくのかは、

まだ分からないまま。










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