目覚めの前
夢の中で、誰かが近くにいる。
輪郭は曖昧で、景色も定かではない。
ただ、距離だけが異様に近かった。
肩に触れている感触がある。
布越しではない、確かな温かさ。
逃げようと思えば、動けたはずなのに、
身体はその距離を拒まなかった。
息が、すぐそばにある。
呼吸が重なり、温度だけが残る。
唇に、何かが触れた——
そう感じた瞬間、胸が大きく脈打った。
怖くはなかった。
むしろ、そのまま受け入れてしまいそうで。
顔が離れ、視界がひらける。
見上げた先にあったのは、
高成の顔だった。
「——っ!」
まいは、勢いよく跳ね起きた。
心臓が、うるさい。
胸の奥で、ばくばくと音を立てている。
思わず唇に手を当てる。
……何も変わっていない。
(ゆ、夢……?)
当たり前だ。
分かっている。
それでも、感触だけが妙に生々しくて、
しばらく動けなかった。
(な、なに考えてるの……)
生田さんは、
そんなつもりで守ってくれてるわけじゃないのに。
一人で勝手に、
とんでもない夢を見て。
自己嫌悪が、じわじわと湧いてくる。
その時──
「……起きたか」
背後から声がして、まいはびくっと肩を跳ねさせた。
振り返ると、高成がいた。
もう身支度を済ませている。
「ひゃ、ひゃい!」
完全に噛んだ。
高成は一瞬だけ眉を動かす。
「……具合が悪いのか」
「ち、違います…っ」
即答だった。
勢いがありすぎて、自分でも驚く。
「大丈夫です。その、とても元気です、すごく!」
何が“すごく”なのか、自分でも分からない。
高成は、しばし無言でこちらを見る。
「……無理をする必要はない。
今日は俺一人でも——」
「いえ、行きます!」
食い気味に否定した。
「本当に、本当に問題ありませんから…っ」
高成は、少しだけ首を傾げた。
「……そうか」
それ以上は何も言わない。
深読みもしない。
それが、かえって恥ずかしかった。
(落ち着いて……変な寝言とか言ってないよね…大丈夫?…きっと、大丈夫な…はず。)
昔から、静かに眠ることだけは定評がある。
まいは深呼吸をして、
必死に平静を装った。
胸の鼓動が、
なかなか静まってくれないことを除けば。
朝の支度を終え、二人は宿を出た。
街はすでに動き出している。
商人の呼び声、荷を運ぶ足音、
昨日よりも少しだけ賑やかに感じた。
高成は、いつも通り半歩前を歩く。
歩調も、背中の距離も変わらない。
(……近い)
それだけで、まいは妙に意識してしまう。
もちろん、実際の距離は昨日と同じだ。
肩が触れるほどでもない。
なのに、朝の夢のせいで、感覚が過剰になっている。
(落ち着いて……)
そう思えば思うほど、
夢の中の温かさが、ふいに蘇る。
肩に触れた感触。
息が近かったこと。
拒めなかった距離。
(だめだめだめ……!)
まいは慌てて首を振った。
高成が、ちらりと振り返る。
「……どうした」
「い、いえ」
反射的に否定する。
「ちょっと……考え事を……」
「そうか」
それだけ言って、視線を前に戻す。
深く詮索しない。
距離を詰めてもこない。
その当たり前の態度が、
なぜか胸をざわつかせた。
(普通でいてくれるのが、ありがたいのに……)
そう思いながら、
それでも視線は、つい高成の背に吸い寄せられる。
歩く姿勢。
刀の位置。
風に揺れる髪。
(……昨日まで、こんなこと思わなかったのに)
自分の変化に、戸惑う。
商家のある通りが見えてきた。
高成は足を止め、まいを見る。
「ここからは、人の出入りが多い。
俺から離れるな」
「……はい」
返事は、少しだけ小さくなった。
高成は、それを気にする様子もなく、
周囲を一瞥する。
「何かあれば、すぐ後ろへ下がれ。
無理に動こうとする必要はない」
守るための言葉。
それ以上でも、それ以下でもない。
分かっている。
(分かってるのに……)
胸の奥が、また落ち着かない。
「……行くぞ」
高成が歩き出す。
まいは一拍遅れて、
その背を追った。
(変なの……私)
昨日まで、
ただ“守られている”と思っていたはずなのに。
今は、
その距離を、やけに意識してしまう。
それが何なのかまだ名前はつけられないまま。
二人は、人の流れの中へ溶け込んでいった。
商家へ向かう途中、
高成は歩きながら、低く言った。
「ここでも本名は使わない」
まいは一瞬、足を止めそうになり、
慌てて歩調を合わせる。
「……はい」
「俺は、成高だ」
言い切りだった。あまりに安直にも感じたが、変に名前を弄るよりも、高成の雰囲気に馴染んでいる気がした。
「苗字は名乗らない。
浪人ということにしておけ」
「わ、分かりました……」
少し間を置いてから、
高成が続ける。
「お前は……」
一拍の考える素振り。
「“たま”でいい」
まいは、目を瞬かせた。
「……たま、ですか」
「不都合か」
「い、いえ」
首を振る。
「……その、ええと、覚えやすいです」
(なんだか、猫みたいな名前…)
そう思ったが、まいは何も言わなかった。
高成もそれ以上何も言わない。
それで話は終わりだというように。
——その直後だった。
商家の入口に近づいた途端、
小さな影がこちらに気づいて駆け寄ってきた。
「いた!」
昨日、路地で会った少年だ。
「ほんとに来たんだな!」
嬉しそうに、高成を見上げる。
「この前はありがとな、オジサン!」
「……オジサンではない」
即座に訂正が入る。
「えー?
俺から見たらだいたいおっさんだろー」
少年は笑いながら、
そのまま高成の腕を引く。
「親父に話したらさ、
ぜひ頼みたいって言ってたんだ!
早く中入ろ!」
高成は引かれるまま一歩進み、
小さく息を吐いた。
「……勝手に決めるな」
声は低いが、拒むほどではない。
その様子を見て、
まいは少しだけ目を見張った。
(……懐かれてる)
傍から見れば近寄りがたい雰囲気なのに、
少年は最初から高成を警戒していない。
「そっちの姉ちゃんも、一緒な!」
「は、はい…」
振り返って言われ、
まいは一瞬戸惑ってから頷いた。
まだ胸の奥は落ち着かない。
それが何を意味するのかは分からないまま、
まいは新しい一日の中へ、足を踏み出していった。
平日の忙しい合間に読んでくださりありがとうございます。
今後しばらくは、作品の方向性を失わないために、
**隔日更新(20時前後)**を基本にしていきます。
変わらず完結まで書いていきますので、
のんびりお付き合いいただけたら嬉しいです。
更新予定日は火、木、日曜日として行きたいと思います。
もし更新できなかった場合は翌日となることもあるかと思いますが、今後も見捨てずにいて下さると嬉しいです…。
あと3日、お仕事に学校に大変ですが、一緒に頑張って行きましょー!(疲)




