薄月
夜が深まり、
表の街灯りが一つ、また一つと落ちていく。
それに合わせるように、部屋の中も暗さを増していった。
高成は立ち上がり、刀を脇へ置いてから畳に腰を下ろした。
日中街で集めた話が脳裏をよぎる。
東方で、乾の国との小競り合いが続いている。
南雲側にも負傷者は出ているが、
防衛線は崩れておらず、押し返しているという話だった。
「………。」
一瞬。生田の屋敷に残した家臣たちの顔が浮かぶ。
そして、生田道重という武士の在り方が、
思考の端に触れすぐに切り捨てられた。
父がいる。
自分がいなくても、南雲は動く。
そして───南雲は、今以上にこちらを追う余力など持たないだろう。
そう判断して、思考を切った。
その思考の切れ目で、
隣にある気配へと意識が自然に向く。
まいの寝息が規則正しくなったのを確かめてから、高成はようやく背を畳に預けた。
背を畳に預けた途端、思った以上に身体が重いことに気づき高成は小さく息を吐く。
——この程度で、気を抜くわけにはいかない。
眠るつもりはない。
ただ、身体を休ませる必要があると自分に言い聞かせる。
目を閉じても、意識は沈まない。
廊下の気配。
外の風の音。
夜の町の、遠いざわめき。
それらを、無意識に数えている。
耳は休まらず、意識とは別に、周囲の音を拾い続けていた。
夕方のやり取りが、意識の底から立ち上がってくる。
まいは、一人で部屋に残っていた。
戸の向こうを気にすることも、外の気配に耳を澄ませている様子もなかった。
数日前まで座敷牢に閉じ込められ、
恐怖の前で震えるしかなかった少女だ。
一人で残すのは、まだ早いと思っていた。
だが、そうはならなかった。
そのあと、まいは自分から言った。
商家の護衛に、同行したいと。
部屋に籠ったままでは不自然だ。
街に溶け込む必要がある。
そう静かに言われて、否定する理由が見つからなかった。
だから、許可した。
本当は、もっと外を怖がると思っていた。
人の多さや見知らぬ気配に、足を止めるのではないかと。
だが、まいはそうしなかった。
想定よりも早く、外の世界へ目を向け始めている。
——これでいい。
こうなることを、望んでいた。
自分がやってきたことは、
すべてそのためだったはずだ。
……はずなのに。
胸の奥に、わずかな引っかかりが残る。
痛みというほど強くはない。
だが、無視できるほど軽くもない。
理由は、分からなかった。
宿に戻ったときのことを思い出す。
「おかえりなさい」
まいは、そう言った。
声は穏やかで、特別な響きはない。
だが、その顔に浮かんでいた安堵は、隠しきれていなかった。
戻ってくると信じていた者の、素の表情だった。
その時、彼女が害されていないことに安堵を感じるとともに、胸のどこかが、わずかに傷んだ。
——なぜ、あの時、足が止まった。
理由を探そうとして、やめる。
迷っているわけではない。
覚悟は、すでに決めてきた。
贄を消す。
それ以下でも、それ以上でもない。
その目的以上に、
余計な感情は必要ない。
そう自分に言い聞かせ、
高成は目を閉じた。
呼吸は、ゆっくりと落ち着いていく。
意識は、わずかに沈む。
それでも、眠りは浅い。
耳は、外の音を拾っている。
夜は、まだ終わっていなかった。
読んでいただきありがとうございます。
これから、物語は再び「まいの世界」へ入っていきます。
その前に、高成がどこまでを受け入れ、
どこから目を背けているのかを置いた回です。
大きな出来事はありませんが、
この先の読み方が少し変わる章になればと思います。
引き続き、お付き合いいただけたら嬉しいです。




