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初めて見る顔




朝の宿場町は、思ったよりも静かだった。

人の動きはあるが、慌ただしさはない。

ここは、やはりしばらく身を置ける場所だと、まいは感じた。


昼が近づいた頃、まいは歩きながら口を開いた。


「……そろそろ、何か食べませんか」


遠慮がちに言うと、高成は短く頷く。


「ああ」


特に選ぶ様子もなく、目についた店に入った。

外に腰掛けが並び、通りを行き交う人を眺めながら食べられる店だ。


注文を済ませ待つ間。

高成はまいと向き合わずに座った。


視線は通りへ向けられ、

行き交う人の足取りや、店の奥の気配を拾っている。


変わらない。

それでも、彼が何をしているのか、何を考えているのか、それを少しわかるようになってきた気がする。


まいはその横顔を盗み見る。


昨日より、少しだけ顔色がいい。

目の下の影も、わずかに薄い気がする。


――今日は、少し楽なのかもしれない。


そう思って、胸の奥が緩んだ。


その瞬間、視線が合った。


まいは、慌てて顔を逸らす。

見ていたことを咎められた気がして、落ち着かない。


高成は、何も言わない。

気にした様子もなく、また通りへ視線を戻す。


まいはその沈黙に耐えきれず、

気まずさを誤魔化すように口を開いた。


「……ここでも、何か仕事をするんですか?」


高成は、少しだけ間を置いてから答えた。


「必要ならな」


それ以上の説明はなかった。


運ばれてきた器から、湯気が立つ。

暖冬とはいえ、温かいものが嬉しい。


まいは箸を取りながら思う。


この町での暮らしは、

まだ始まったばかりだ。


そしてきっと、

何も起きない今日という一日が、とても貴重なもののように思えた。





昼食を終え、通りを歩いていたときだった。


人の流れの向こうから、荒い声が飛んでくる。

怒鳴り声に混じって、甲高い声が返った。


まいは足を止めた。


「だーかーら! 謝ったじゃねぇか!

 前見て歩いてなかったお前が悪いっつーの!」


声の主は、十ほどの少年だった。

小柄だが気が強そうで、眉を吊り上げて浪人を睨みつけている。


浪人は一歩踏み出し、顔を歪めた。


「このガキが……舐めやがって!」


腰の刀に手がかかる。


空気が、張り詰めた。


「危な――」


まいが声を上げかけた、その瞬間。


「やめておけ」


低い声が割って入った。


高成が、迷いなく一歩前に出ていた。

少年と浪人の間に立ち、

刀の柄に伸びた浪人の手首を、静かに押さえている。


掴んではいない。

力も誇示していない。


ただ、抜けなかった。


浪人は一瞬、何が起きたのか分からない顔をした。

次いで、高成の視線とぶつかり、言葉を失う。


「……子ども相手に、刃を向ける気か」


淡々とした声だった。


周囲の視線が集まる。

浪人は舌打ちし、手を引いた。


「……ちっ」


それだけ吐き捨て、背を向けて人混みに消える。


緊張が、一気にほどけた。


少年は、へなへなと腰を落とした。

驚きで足が抜けたらしい。


だが、すぐに立ち上がり、埃を払う。


「……びっくりした……」


そして顔を上げると、ぱっと表情を変えた。


「ありがとう、おじちゃん!」


まいは、思わず高成を見る。


「……おじちゃん?」


もちろん、そんな年ではない。


高成は、わずかに眉を歪めた。

納得がいかない、というより、どう反応していいか分からない顔だ。


「……誰がおじちゃんだ」


低く返すと、少年はけらけら笑った。


「だって強いし!

 大人だろ?」


まいは、その快活な笑顔に、思わず目を奪われた。


喧嘩っ早くて、口も悪い。

でも、恐れを引きずらない。


――自由だ。


高成はそれ以上何も言わず、まいの方へ一度だけ視線を向けた。


無事だ、と確認するように。


まいは小さく頷いた。


人の流れは、もう元に戻っている。

騒ぎは、まるで最初からなかったかのようだった。


だが、

まいの胸の奥には、確かな余韻が残っていた。


この町には、

理不尽もある。

けれど、それだけではない。


少年の笑い声が、

その証みたいに、耳に残っていた。


まいは、少し遅れて高成を見た。


少年に向けられた、その一瞬の表情。

困ったような、釈然としないような、

それでいて、突き放さない顔。


こんな顔をする人だとは、知らなかった。


そして、助けに入ったこと自体よりも、

そのあと、何もなかったように振る舞ったことが、胸に残る。


誇らない。

語らない。

正しさを押しつけない。


――情が深い人なのかもしれない。


そんな考えが、ふと浮かんで、

自分でも驚いた。


高成は、これまでずっと、

遠くにいる人だった。

強くて、判断が早くて、迷いがない。


けれど今、

その輪郭に、ほんのわずかな柔らかさを見た気がする。


この街で、

この人のそばにいる時間の中で、

少しずつでも分かっていけるだろうか。


そう思ったとき、

胸の奥に、静かな温かさが灯った。


それは、安心とは違う。

依存でもない。


――信じてもいいかもしれない。


まだ小さなその感情を、

まいは大事に胸の内にしまったのだった。




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