沈黙
「……待ってください」
声が、思ったより強く出た。
まいは足を止め、周囲の喧騒が遠ざかるのを待った。
その気配に気づいたのか、高成もすぐに立ち止まる。
振り返る前から、何を言われるのか分かっているようだった。
「追っ手が来る」
低く、短い声。
「ここでは止まれない」
それだけ言って、歩き出そうとする。
──また、だ。
胸の奥で、何かが弾けた。
肩が強ばり、震える。うまく声が出せる気がしなかった。
それでも、言わずにいられなかった。
「どうして……!」
まいは一歩踏み出す。
「どうして、何も言ってくれないんですか!」
高成が振り返る。
その目は静かだ。
いつもと同じだ。
それが、今は耐えられなかった。
「私を連れ出した理由も言わない。
村にも、戻してくれない」
声が震える。
「何が起きているのか、
私だけ、何も知らないままです」
分かっている。
高成が自分を守ろうとしていることも、
危険だから引き返せないことも。
それでも。
「……わけが、分からないんです」
溜め込んでいたものが、
一気に溢れ出す。
怖かった。
不安だった。
城から連れ出されても、質が変わっただけで、まいの心の内は孤独なままだった。
ずっと、物事に、高成に、置き去りにされている気がしていた。
高成は黙っている。
言い訳もしない。
宥めもしない。
その沈黙が、まいを追い詰める。
「私だけ、何も知らなくて……」
喉が詰まり、言葉が途切れる。
怒りなのか、縋りなのか。
自分でも分からない。
ただ──立ち止まらずにはいられなかった。
まいはその場に立ち尽くし、
やがて膝をついた。
息が吸えない。
父。
弥助。
思い浮かべた瞬間、足元が崩れた。
もし二人が殺されてしまっていたら──
両手で口元を押さえても、
涙は止まらなかった。
こんな不満を漏らしたところで、高成が答えてくれるとは思わない。
大切なことほど、この人は何も言わない。
でも、今まで張り詰めていたものが切れてしまった。
辛うじて動いていた足にも、もう力が入らなかった。
高成は、すぐそばに立っている。
腕を伸ばせば、引き上げられる。
無理にでも引きずって歩かせることだってできる。
だが、そうはしない。
高成は、まいが泣くのを黙って見ていた。
風が街道を抜ける。
人の気配は、もう遠い。
やがて、高成が口を開いた。
低く、淡々と。
「……村が荒らされたのは事実だ」
その言葉が、胸に落ちる。
まいの肩が、びくりと震えた。
続けて、高成は言う。
「だが──お前の家族が害された可能性は低い」
まいは、息を吸い損ねる。
……何を根拠に。
声にはならなかったが、その反発は目に出ていたのだろう。
だが、高成は視線を逸らさない。
「お前をおびき出すための囮、あるいは情報源だ。使えるうちは、殺す理由がない」
まいは涙の奥で、その言葉を反芻する。
生きている。
ではない。
生きている可能性がある。
それだけだ。
ただ、そう判断している。
この人は、慰めの言葉を言わない。
けれど、嘘も言ったことがない。
出会った時から、そうだった。
下手な慰めより、客観的な事実や合理的な判断の方が、時に心を軽くすることもある。
そして、高成はわずかに目を落とし、短い吐息ののち、静かに言った。
「時が来れば、いずれすべて話す」
「…………」
拒絶でもない。
譲歩でもない。
それでも、この人が何も考えず、その場しのぎで言っているのではないことだけは分かった。
「……立て」
命令に近い言葉だった。
だが、声は荒れていない。
まいは、唇を噛みしめる。
──理不尽だと思う。それでも。
震える手で、地面に触れる。
一度、深く息を吸う。
肺に空気が入る。
ゆっくりと、身体を起こす。
立ちきるまで、高成は手を出さなかった。
「……行くぞ」
短い言葉。
まいは涙を拭わないまま頷いた。
まだ、怖い。
まだ、不安だ。
それでも──
この人についていかなければ、どのみち生きてはいけない。
生きていなければ、何も分からないままだから。
まいは前方に目を向ける。
その瞬間。
──高成の視線が鋭く変わった。
素早く刀に手が伸び、重心が落ちる。
まいは乾いた喉を鳴らし、自分の吐息すら大きく聞こえそうなほど神経を尖らせた。
「……っ」
……囲まれている。
理由は説明できない。
だが、分かる。
視線を感じる。
数は、一つではない。
左右の木立の向こう。
そして、背後の道。
まいにすら分かるほど、はっきりとした殺気。
──追っ手だ。
胸の奥が、きつく締めつけられる。
(私が、足を止めたからだ……!)
背中に冷や汗が伝った。
その前に、高成が一歩前へ出た。
まいを見ることもなく、その身を背に庇う。
一段と低い声で言う。
「動くな」
命令であり、
守る言葉だった。
草を踏みしめる音とともに、人影が現れる。
鎧の擦れる音。
抜き身の刃が、朝の光を弾く。
四人。
多くはない。
だが、油断できるわけではない。
高成は、まいを背に庇ったまま刀を抜いた。
その背中に、迷いはない。
逃げ場は、もうない。
再び、戦いが始まろうとしていた。




