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掴める手のある未来(中川百花)

女性看護師:百花の恋愛模様

 半田運河の夜は、昼間よりも少しだけざわめいている。


 総合医療センターの夜勤を終えた中川百花は、白衣をロッカーにしまい、遠回りをして運河沿いを歩いていた。疲れた時は不思議と足が向かう場所。百花は風情の残る建物と穏やかな水の景色が好きだった。水面に映る倉庫群の灯りが揺れている。風が吹くたび、光は形を変え、頼りなく滲んだ。


 ――私も、あんなふうに揺れてるのかな。


 百花は24歳の看護師だ。几帳面で、頼まれた仕事は断れない。ナースコールが鳴れば、真っ先に立ち上がる。誰かが疲れていれば、代わりに動く。完璧でいようとすることが、いつの間にか癖になっていた。


「中川、無理してない?」


 三日前の夜勤中、不意にかけられた声を思い出す。


 ICUで人工呼吸器のアラームが鳴った。百花が患者の状態を確認している横で、足利は素早く機器の設定をチェックしていた。


 足利は百花と同い年の臨床工学技士。人工呼吸器や透析装置など生命維持管理装置を専門に扱い、院内の医療機器の点検やトラブル対応を担う職種だ。回路の接続を確かめ、数値の微細な変化を見逃さない。


 ――機械を通して、命を支える人。


 その足利から落ち着いた声で不意に言われた言葉だった。


「中川、顔色悪いぞ」

「大丈夫です」


 反射的な返事だった。考えることなく百花の口から出たその返事に、足利は小さくため息をついた。


「なあ、中川。機械は点検すれば不具合が分かる。でも人間は……自己申告がないと分からないんだぞ」


 そのときは、何も言い返せなかった。


 ある日の夜、運河沿いの石畳を歩いていると、背後から足音が近づく。


「やっぱりここか」


 振り向くと足利がいた。私服姿は白衣のときより少し表情が柔らかい。


「あっ、足利くん。どうして?」

「遅番の帰りはいつもここを通ってるの知ってる」


 缶コーヒーを差し出される。受け取る瞬間、指先が触れた。その温度が、じんわりと残る。


「今日も無理してただろ」

「……してません」

「嘘」


 即答だった。


「中川は自分をごまかす時、左のこめかみが少し赤くなる」

「……見すぎです」

「見てるよ」


 真っ直ぐな視線に、心臓が跳ねる。


「俺さ、機械のアラームより中川の小さなため息のほうが気になる」

「そんなこと言ってないで、ちゃんと仕事してください。患者さんに何かあったらどうするんですか?」

「うん、これは完全に私情だから」


 さらりと言われ、百花は言葉を失う。


 風が強まり、水面が大きく揺れる。灯りが歪む。


「私、ちゃんとやれてますか」


 気づけば、そんな弱音がこぼれていた。


「患者さんを守れてますか」


 足利は少しだけ考え、答える。


「守れてるよ。中川はしっかりやってる。でも」

「でも?」

「中川自身は、誰が守るの」


 胸が詰まる。


「私、水泳が好きなんです。私はちゃんと自分で泳げますし、自分で歩けますから」


 水泳は昔から得意だった。息が苦しくても、水の中なら自分のリズムを掴める。


 そう答える百花に足利は一歩近づく。


「溺れかけてる人ほど、そう言う」


 そっと、百花の手首を掴む。強くはない。ただ確かめるように。


「ほら、こめかみがまた赤くなった。脈も速い」

「これは……足利くんのせいです」

「うん、俺のせいにしていい」


 耳の近くで囁かれた。キスには届かないけれど、息が触れそうなほどに近い距離だ。


「百花」


(……えっ?)


 初めて、名前で呼ばれた。足元が揺れた気がした。


「無理するなよ」


 低い声。


「もし百花が溺れていたら俺が助ける。どこでも、何回でも」


 百花は迷いながらも、自分からほんの少し距離を縮めた。肩が触れる。今までは、誰かに寄りかかることを選ばなかった。でも。


「……じゃあ、少しだけ」

「うん」

「少しだけ、掴まってもいいですか」

「やっと甘えてくれたな。俺は最初からそのつもり」


 足利の指が、手首からそっと下がり、指先に触れる。絡めるわけではない。ただ触れているだけ。それでも十分だった。


 やがて風が止み、水面の揺れがゆっくりと静まっていく。さっきまで歪んでいた灯りが、まっすぐに映り始める。


 百花はそれを見つめる。――揺れても、また整う。


「帰ろうか」

「はい」


 二人は並んで歩き出す。さっきまで一人だった石畳に、今は二人分の足音が重なる。運河の水面は静かだった。その静けさの中で、百花の心もようやく、自分のリズムで呼吸を始めていた。


 泳ぎ終えたあと、差し出される手を掴む温かさを、百花は初めて想像する。水から上がる瞬間、ひとりではなく、隣で笑ってくれる人がいる景色。濡れた指先をそっと引いてくれる、その確かな力。そんな未来を思い描くだけで、胸の奥の緊張が静かにほどけていく。


 隣を歩く足利の指先が、再び少しだけ触れた。絡めるわけでもなく、ただそこにあると分かる距離。それだけで、十分だった。


 これからも揺れる夜はあるだろう。迷う日も、溺れそうになる瞬間もきっとある。


 それでも――そのたびに掴める手があるのなら、百花の未来はきっと明るい。そう信じられるほどに、今夜の灯りは優しく、あたたかく揺れていた。

- キャラクター プロフィール -

名前:中川百花なかがわももか

職業:看護師

好きな事:水泳

年齢:24

身長:155㎝(5'1")

体重:50㎏(110lb)

誕生日:8月29日

星座:乙女座

血液型:A型


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