おかえりの予行練習(宇野沙織)
客室乗務員:沙織の恋愛模様
旅客機のエンジン音が、夜の海に低く溶けていく。
自分が乗っていた最終便の機体が、ゆっくりと点検整備エリアへと牽引されていくのを、宇野沙織はガラス越しに見送っていた。ついさっきまで、自分が立っていた場所。通路を歩き、微笑み、乗客を送り届けた空間。ほっとするより先に、反省が浮かぶ。
22歳。客室乗務員になってまだ一年目。今日も大きなトラブルはなかった。けれど、自分の中では満点ではない。
(あのアナウンス、少し噛んだ……)
誰も気にしていない小さな綻びが、胸に残る。笑顔も所作も完璧でいることが求められる仕事だ。どんなに疲れていても、「お疲れさまでした」と言われる側ではなく、言う側でなければならない。
控室を出て、人気の少ない通路を歩く。照明は少し落とされ、夜の空港は昼とは別の顔を見せている。
――中部国際空港セントレア。
ここが、沙織の職場であり、日常であり、戦場だった。売店の前を通りかかると、シャッターを下ろしかけている土田と目が合った。
「おかえり」
その一言が、思いのほか優しく胸に落ちる。
「ただいま……じゃないですね」
「いや、最終便終わりは“おかえり”でいいでしょ」
土田は25歳。気配りができ、客に丁寧な対応をする空港内の売店スタッフ。三か国語を使いこなすという優れた一面も持ち合わせている。夜勤務が多い沙織とは、自然と顔を合わせるようになった。
「今日も最終便?」
「はい。遅延続きで……」
苦笑すると、土田は小さく頷いた。
「顔に出てるよ」
「え、そんなにひどいですか?」
「いや、頑張った顔」
そう言って、紙コップを差し出してくる。
「お客さんに出してるサービスの残り」
温かいほうじ茶だった。受け取った指先が、少しだけ触れる。
「あっ……ありがとうございます」
その一瞬で、胸の奥が柔らかくなる。最初は、ただの顔なじみだった。夜遅い時間帯に勤務が重なることが多く、挨拶を交わすうちに、少しずつ言葉が増えた。
「宇野さんって、いつも背筋伸びてるよね」
「職業病です」
「オフのときくらい、力抜いてもいいのに」
そう言われても、簡単には抜けない。蠍座の性分なのか、沙織は仕事に対して一途だった。中途半端が嫌いで、自分に厳しい。
「土田さんは、毎日ここで見送る側ですよね」
ふと、前から気になっていたことを口にする。
「飛行機を」
「うん。乗るより見るほうが好きなんだ」
「どうしてですか?」
彼は少し考え、それから展望デッキの方を顎で示した。
「行く?」
閉店作業を終えたあと、二人で夜の展望デッキに出る。海風が少し冷たい。常滑の夜景と滑走路の灯り。静かな時間。
「飛行機ってさ、誰かの大事な人を乗せてるでしょ」
土田が言う。
「帰る人も、離れる人も。俺はそれを、ちゃんと送り出す手伝いをしたいだけ」
「送り出す……」
「うん。宇野さんが飛び立つたび、ちゃんと帰ってくるか気になってる」
不意打ちの言葉に、心臓が跳ねた。
「それ、どういう意味ですか」
少しだけ強がる。土田は笑わない。真っ直ぐ見つめてくる。
「そのままの意味。宇野さん、無理するから」
胸の奥に、触れられたくなかった部分がある。今日のフライトで、小さなミスをした。誰にも気づかれない程度。でも、自分では許せなかった。
「完璧じゃないと、いけない気がして」
ぽつりと零れる。
「誰が決めたの?」
「……自分です」
「そっか、宇野さんは強いね」
土田は手すりに肘をつき、滑走路を見る。
「でも俺はさ、完璧じゃない宇野さんのほうも好きだな」
一瞬、時間が止まる。
「え……」
「ほら、今みたいな顔」
頬が熱い。
「好きって……」
「うん。好き」
あまりに自然に言うから、冗談に聞こえない。
蠍座の沙織は、本当は臆病だ。好きになるなら、深くなる。だから簡単に踏み出せない。
「私、いつも飛び回ってますよ」
「知ってる」
「すれ違いますよ」
「それでもいい」
夜風が強くなる。
「帰ってくる場所、ここにあるって思ってくれたらいい。最終便で帰ってくるたびに『おかえり』って言わせてよ」
その言葉が、胸の奥に染み込む。今まで沙織は、“飛ぶこと”ばかり考えていた。どこへ行くか、どう評価されるか。
でも――帰る場所。
「私、温泉巡りが好きなんです」
突然の告白に、土田が目を丸くする。
「知ってる。SNS見た」
「えっ」
「たまたま」
少し照れた顔。
「知多のあたり、いい温泉たくさんあるよね。今度一緒に行く?」
それはデートの誘いだった。沙織は深く息を吸う。
「……最終便がない日なら」
「了解」
土田が笑う。
遠くで、整備を終えた機体がゆっくりと移動する。明日も誰かを乗せて飛び立つ。
沙織は思う。飛ぶことだけが強さじゃない。帰る場所を持つことも、きっと同じくらい強い。
「土田さん。私、ちゃんと帰ってきますから」
「うん、待ってる。ねえ、宇野さん?」
「はい?」
「……おかえり」
「えっ? 今ですか? どういうこと?」
突然の言葉に沙織は戸惑う。土田が笑顔で答える。
「『おかえり』の予行練習」
「ふふっ、なんですか、それ。でも、じゃあ私も……」
「えっ?」
「ただいま、土田さん」
今度は沙織が土田に穏やかな笑顔を向ける。
「ははっ、『ただいま』のご予約、受け付けました」
「いや、本当は予約受付は私の業務なんですけど」
静かな夜の空港に二人の穏やかな笑い声がしみ込む。空港内の照明がひとつ、またひとつと消えていく。
一日を終えた空港が静かに閉じていく。けれど沙織の胸の中では、新しい航路が確かに開かれていた。
- キャラクター プロフィール -
名前:宇野沙織
職業:客室乗務員
好きな事:温泉巡り
年齢:22
身長:165㎝(5'5")
体重:58㎏(128lb)
誕生日:11月17日
星座:蠍座
血液型:A型
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