あなたに似合う服を選んだ日(中西香織)
カフェ店員:香織の恋愛模様
愛知県設楽町の山あいにあるカフェで香織は接客を担当している。爽やかで明るい笑顔を心掛ける彼女だが、仕事は接客だけではない。
メニュー開発のアイデア出し、写真撮影、文章作成。店のSNS運用も、気づけば香織の仕事の一部になっていた。名物の五平餅とコーヒーのセット。地元の猟師から仕入れた鹿肉を使ったジビエのパスタやピザ。さらに、町の蔵元とコラボした日本酒スイーツ。
どう見せれば、ここまで来てもらえるか。どう書けば、この山道を越えてもらえるか。考えるのは嫌いじゃない。むしろ、好きだ。そんなSNS企画の打ち合わせで顔を合わせるようになったのが、蔵元の営業担当、酒井だった。
年齢は香織と同じ28歳。物腰は柔らかく、仕事も丁寧で、連絡も早い。打ち合わせ中にメモを取る姿勢も真面目で、印象はとても良かった。ただ、ひとつだけ、問題があるとすれば。
――服のセンスが、致命的にダサい。
ファッション好きの香織にとっては致命的な欠陥だった。よれよれのスーツ。サイズの合っていないシャツ。ネクタイの色も、なぜそれを選んだのか理解できない。
作業着姿は、まだましだった。むしろ、仕事をしている感があって好感が持てる。けれど、私服でカフェに来るときの彼には眼を覆いたくなった。チェックにチェックを重ね、色味もばらばら。
全体のバランスという概念が、どこかに置き去りにされている。カウンターの内側で、香織は何度ため息をついたかわからない。
「……もったいない」
口には出さないけれど、心の中では何度もそう呟いていた。中身は、こんなにいいのに。
ある日の打ち合わせ帰り。夕方のカフェは比較的静かで、彼は珍しく長居をしていた。
「中西さんって、ファッション詳しいですよね」
不意に、酒井がそう言った。
「え?」
「SNSの写真とか、雰囲気作りとか。服の合わせ方も、いつもおしゃれだなって」
胸が、少し跳ねた。
「……好きなだけですよ」
そう答えながら、香織は決心していた。このまま見て見ぬふりを続けるのは、無理だ。今日がその時だと、香織は思った。
「もう!」
香織はカウンター越しに、少し身を乗り出した。
「ていうか! 酒井さんのセンスは正直ひど過ぎです! 今度、私があなたのコーディネートします!」
酒井は目を丸くした。
「え?」
「今度、街に行きますよ。スーツと私服、一式! いいですね!」
「え、あの……」
「私に付き合いなさい」
言い切った瞬間、心臓が早鐘を打った。これは仕事の延長。そう言い聞かせる。
――当日。
初めての買い物は、思った以上に楽しかった。試着室から出てくるたび、少しずつ変わっていく彼。色を合わせ、サイズを整えただけで、印象は驚くほど違った。
「……すごいですね」
鏡を見ながら、酒井が呟く。
「似合ってます」
香織は即答した。それは、嘘じゃなかった。街での時間はあっという間で、最後はコーヒーを飲んで解散した。駅で別れるとき、香織は少しだけ名残惜しさを感じていた。
――その夜。
携帯が震えた。
『今日は本当にありがとうございました
自分じゃ絶対選ばない服ばかりで、胸は高鳴っているのに、でも不思議と落ち着いています』
画面を見つめたまま、香織は携帯を抱きしめた。嬉しかった。ただ、それだけのはずなのに。
――迷って、迷って。それでも、香織は返信した。
『こちらこそ
酒井さん、すごく似合ってました
もとは悪くないんですから、ちゃんとしてください』
送信ボタンを押したあと、胸が苦しくなる。
(私は、どこまで踏み込んでしまったんだろう)
数日後、酒井は新しいスーツ姿でカフェに現れた。正直、見違えるほどだった。常連客の視線が集まるのを、香織は誇らしい気持ちで眺めていた。
けれど、その日を境に、彼は忙しくなった。蔵元の方針で、海外へのPR活動が本格化し、そのメイン担当に彼が決まったらしい。
「これからは、輸出の手続きや現地でのPRでここを離れる事も多くなりそうです」
そう聞かされたとき、頭が真っ白になった。
「この服……」
彼は照れたように笑った。
「中西さんが選んでくれたから、ちゃんと着ていきます」
山道に見慣れた営業車が遠ざかっていく。香織はカウンターに立ったまま、動けなかった。
似合う服を着せてしまった。その結果、彼の背中を少し押したのかもしれない。
携帯には、あの日以来連絡は来ない。それでも、香織は知っている。あの夜、携帯を抱きしめた気持ち……。
携帯の画面に表示された文字を、香織は何度も読み返した。
『今度、お礼のデートに私を誘ってください
忙しくなる前に……』
指先が、わずかに震えている。迷って、迷って、それでも送った一文だった。画面の下に、送信完了の表示が出る。
それを見つめたまま、香織は動けなくなった。
取り消せない。もう、なかったことにはできない。
胸の奥が、じんわりと熱くなる。同時に、怖さも込み上げてくる。
返信が来たら、どうしよう。
来なかったら――どうする?
考えても答えは出ない。香織は携帯を胸に抱きしめ、目を閉じた。その夜、返信は来なかった。
――翌朝。
いつもと同じ時間に目覚ましが鳴り、香織は布団を出る。顔を洗い、髪を整え、服を選ぶ。山あいの空気は、少しひんやりしていた。
カフェの鍵を開け、シャッターを上げる。店内に朝の光が差し込む。コーヒー豆を挽く音が、静かに響いた。携帯はポケットの中にある。何度も触れそうになりながら、香織は見ないままでいた。
五平餅を焼き始めると、甘い香りが広がる。いつもの朝と、何も変わらない。それでも、胸のどこかが落ち着かない。もしかしたら、今日は返事が来るかもしれない。そんな期待が、ふっと浮かんでは消える。
カウンターの向こうに、彼の姿を思い描いてしまう自分がいる。
――似合う服を着た彼。
――照れたように笑う横顔。
香織は小さく息を吐いた。恋は、もう始まってしまった。それだけは、はっきりしている。
携帯は鳴らない。それでも、カフェは開いている。山道の先から、彼の営業車が見える気がして、香織は顔を上げた。
もちろん、誰もいない。それでも彼女は、今日もコーヒーを淹れる。
送信完了の表示だけを、心に残したまま。
- キャラクター プロフィール -
名前:中西香織
職業:カフェ接客
好きな事:ファッション
年齢:28
身長:158㎝(5'2")
体重:54㎏(119lb)
誕生日:8月24日
星座:乙女座
血液型:AB型
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