3章「学徒奔走」-⑫
「んー...」
閉じていた目がゆっくりと開かれる。
顎から歯にかけて広い痛みを覚えながら、声の主はゆっくりと起き上がる。
「バアル、ザンネン。」
隣ではイザベラが茶を啜る。
(あー、こりゃ...)
ふと目にした光景に、焦りはなかった。
「なんともまぁ、手厳しいことで。」
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一瞬だった。
刹那にも満たないニンリルの踏み込み...
直後、顎元目掛け迫り上がった右脚によるノーモーションの爪脚。
顎骨を撃ち抜かれたバアルの脳に激しい揺れと意識の揺らぎを与える。
(早ッ...)
反撃を悟ったイザベラによって窮地は脱したが、行き着いた先は二人揃って場外だった。
そこからは、一秒が永遠に感じられるようなそんな感覚だった。
「汝、焔也。
万象斬り裂く虚無の太刀也。」
「行くよ。
【泥沼】。」
ヒノとピグによる応戦。
黒焔による迎撃も、泥沼による足場のアドバンテージも意味を成さない。
「大海よ。
流れ、穿ち、飛沫を上げろ。
汝、止め処を知らぬ無限の龍也。」
水龍【ジャバウォック】
「私相手に<龍>を名乗るか。
いいね、興が乗ってきた。」
ダムの水龍は見事なものだった。
多くの年月を生きた蘭風でも、ここまで素早く繊細な造形を行う神騎は見たことがない。
「でもね...」
ニンリルが宙を舞う。
まるで踊るように、まるで歌うように...
激しく、然して優雅に...
その本流の尽くを受け流し、水龍の腹部目掛けて素早く、そして力強く踵【ヒール】を打ち付ける...
霧散する龍を他所に、第二、第三の刃が襲う。
「ヒノ、合わせろ。」
「了解。」
剣戟が交差する。
リラの構えるマチェットと、ヒノの操る黒焔...
(リラの奴...
神縅【ミオドシ】を感覚でやってるな...)
覚悟していた。
生半可な、それも学生程度の神威なんてニンリルからしたら吹く風のように飛ぶものだ。
(でも、全部の神威で覆えばどうだ...)
体術、ひいては白兵戦なら数の多いこちらに勝算が持てる。
持ちうる神威を点から線へ、内から外へ。
己を纏う鎧にしてしまえ。
「よし、そのまま...」
ダムは機会を伺っていた。
クォータ・ロアダイト【騎士刺剣・第四の構え】
今の自分が撃てる最高の一撃。
後ろに構えるピグも、なまじ威力を知っている分サポートに徹する。
「連携は、そこそこだな。
並の神騎【ナイト】の小隊と同等か...
下手すりゃ遊撃兵【ブレイバー】と...」
「考え事する暇あんのかよ。」
それまで近接を徹底していたリラが距離を取る。
リラの性格上、決定打を打つ際には決まって自分を軸にする。
今までの戦闘でも、作戦の立案や決行の際、必ず主軸となるポジションに自分を置く。
(他人に頼れないお前が距離をとる時は...)
決まって、次の一手が打たれた瞬間である。
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「今だ!」
「行くぞ夜魔徳。」
黎夜叉【クロヤシャ】
黒焔がニンリルを包み込む。
まるで巨大なオーブンのように...
「へぇ...
こいつは...」
長い人生を生きてきたつもりだが、こんな経験をしたことは今までにない。
ニンリルの代名詞とも言える絶対防御...
竜技・翡翠竜鱗【ジェイド・スケイル】
本気を出せば聖神騎三人纏めての全力にも耐えうる強固な鎧...
淡い翡翠を帯びたその神威が、徐々にその輝きを鈍く曇らせていく。
「黒焔...
夜魔徳の話はイグニから聞いてたが、これは...
神術の、いや、神威の強制的な解除か...」
肉体が炭になっていないということは恐らくこの焔の力は、「燃やす」ではなく「消す」の性質が強い。
対象者の神威や魔力などの力の源を燃料に、発動したあらゆる神術、魔術の類を焼き切る。
「んで、どうするよ。
仮に私の力を無力化しても、素手の喧嘩【ステゴロ】で真っ向勝負できるほどてめぇらタフじゃねぇだろ。」
安い挑発。
だが、効果はある。
この際、夜魔徳を使っているヒノは論外だ。
ヒノがこの焔の消した途端に戦況は崩壊する。
リラに至っては、幼い頃から力の差がわかっている分戦力を避けないこの状況で無理な博打は打たない。
(なら...)
警戒すべきは背後に構えるダムとピグの両名。
(突き破る...
は、出来そうにないな...)
力技で言ってもいいが、今回の戦闘にはある意味で模擬戦とは別の目的がある。
トカゲとの交戦や国外交流を通して、こいつらが「どう成長するか」を見極めるという点...
(手札を出し惜しみして勝てる相手と思わせちゃいけないし...
万全ではなく前線でのカードの切り方を見ないと...か...)
思考が途切れる。
先程から意識を向けていたダムから凄まじい神威の熱を感じる。
獣、ひいては竜種として生命の頂点に経つ種族であるニンリルの本能が警鐘を鳴らす。
「やっべ...」
「遅い。」
クォータ・ロアダイト【騎士刺剣・第四の構え】
剣閃が虚空を描く。
空に巻き上げる飛沫をも纏わせ、流線状の弧を描く。
(なんだ。
この違和感は...)
先程から巻き上がる黒焔。
緻密に練り上げた戦略として見るなら、対象者を含めた黒焔はあらゆる神威を掻き消す。
無造作に技を撃ち込んでも、それは意味を成さない。
(対象を識別できる?
いや違う。
それなら敢えてリラが距離を取る必要は...)
眼前に迫る閃光を前に、騎士は思考を振り切る。
己の本能に身を任せ、鍛え上げられた生物としての反射神経が音よりも速く対象を捉える。
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貫いた。
確かにニンリルの頭部。
正確には左眼に目掛けて放った一閃は彼女の肉体を撃ち抜いた...
はずだった...
「あっぶね...」
ニンリルは立っていた。
己の持つ肉体に誇りを持つ竜種にとって有るまじき「避ける」という行為。
弾丸のように二段構えで撃ち出された<それ>は、左顳かみを僅かに掠り、ニンリルの背後にある大木に深くめり込んでいた。
「神威を消す焔にどう対策をとって仕掛けてくるかと思えば、小石かよ...」
神威を纏った攻撃が掻き消えるなら、消えない二の矢を仕込めばいい。
頬元に垂れた己の血液の味を静かに味わう。
舌なめずりをするその姿は、まるで血に飢えた悪魔のように...
「殺す気...だったな...」
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「さて…」
「どうしたもんかな。」
ヒノとリラ、ダムとピグによりニンリルを挟む形で戦況が拮抗する。
「ヒノ、騎士道には反するが...」
「殺す、は、却下だ。
だが、それ以外ならやろう。」
話の早い友人ができて助かった。
急ぎ伝えるべきことを伝え、急拵えの作戦を立てる。
「ダムー。」
「?」
「ピグ。」
「??」
「「場外へ走れ!!!」」
号令を合図にダムとピグが一斉に二手に分かれ場外を目指す。
不意を突かれたニンリルに対し、リラとヒノ、両名による突貫が始まる。
「なんだ、ヤケになったか?」
「お生憎様。
あんたに認めてもらったのは土壇場の根性だけだよ。」
口を動かす。
手は止めない。
精神攻撃とは程遠いものだが、相手の思考を揺らすには十分。
(なんだ。
らしくない...)
そう思ったとした瞬間。
リラと相対した右手の剣に違和感を覚える。
「なっ...」
腕を引いてはいけないという直感を信じ、そのままリラの腹部目掛けて右の剛拳を叩き込む。
「リラ...
お前それ、どうやって覚えた...」
直感は正しかった。
ニンリルの身体を守っていたはずの神威が沈黙する。
「ヒノからヒントを貰ってな。
一晩練習して、やっと物にできた。」
封剣・逆言【フウケン・サカコト】
触れた対象が放つ神威に対しての強制的な術の解除を命令する。
「入学してすぐイザベラの講義を受けた時、神術ってのがひとつの方程式ってのを学んだ。」
本来神術とは「1+1=2」というものの証明式に近い。
2という現象を再現するために「1+1」というコードを持ち出すのが術式。
算術に伴い「1+1」はペアノ公理という定義を用いても同様に導き出せる。
「俺がやったのは、風の神威で術式の逆算をしたんだ。
あとは、どっか一箇所でも解いてやれば術式は強制的に解除される。」
なるほど。
と思えるほどニンリルの頭は良くはなかったが、自分が求めた彼らの成長が見れただけ、この戦闘は十分に力を発してくれた。
「オーケー。
時間稼ぎ終了。」
「は?」
途端にして、リラとヒノが距離を取る。
先程ニンリルがリラを殴った右手を中心に、半径数メートルにも及ぶ範囲から一気に酸素が抜けていく。
「や...ろ...」
時間にして一秒も満たない僅かな一瞬で、ニンリルの周囲の大気は瞬く間に生物の生存に適さない空間に置き換わる。
「うっし。」
「よっし。」
リラとヒノが喜びのあまりハイタッチを交わそうとしたその瞬間。
「ぐっ...」
「がっ...」
二人の体はラリアットをされる形で大きく宙を舞い、場外への片道切符を握らされていたのだった。
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...
...パチッ...
...
...パチッ...
「...アッッヅ...」
「あと半刻遅かったら、今晩はリラ鍋だったなのにな。」
「サイコパスかよ。」
すっかり日も暮れ、サードの面々はリラの家で一晩を明かす準備を終わらせていた。
「久々に帰ったんだ。
飯当番やれよ、リラ。」
ニヤニヤと笑うニンリルを他所に、疲れきった身体に鞭を打つ。
「手伝うぞ。」
「いんや、休んでろ。
ニンリルの稽古のしんどさは折り紙つきだからな。」
手伝いを申し出たダムに席に座るよう促し、米を炊く。
(さてと...)
メインは魚料理。
疲れた後ならガッツリ食べれる物を。
おもむろに野菜を取り出す。
(副菜は、作るのめんどいし。)
またおもむろに粉末にしてある魚粉を取り出す。
(スープ...位は作るか...)
鮭を捌く。
同時作業でレタスはザク切りに、卵を六個溶く。
スープ用にワカメと泥抜きをしたしじみを用意し、魚粉を入れ火にかける。
捌いた鮭をほぐし、軽く火を通す。
「ん、炊けたな。」
少し固めに炊き上げた米に卵を混ぜ合わせ、先程の鮭にレタスを加えて炒める。
火が通ったら卵を絡めた米を加え、乾燥させ粉末にした出汁、醤油、牡蠣から取って作り置きしてあるエキスを加え、鍋を振るい一気に火を通し、平皿に盛り付ける。
「ご同伴に預かっちゃおうかしら。」
キラキラと目を輝かせ、子供のようなつぶらな瞳を見せる我らが神に頭を抱えながら、人数分の皿を構え、スープを装う。
「さぁ、リラ特製鮭レタス炒飯としじみのすまし汁。
たんと食え。」
「「「「「「「いただきまーーーす!」」」」」」」
各々食事を楽しむ。
サードの面々は好き嫌いがないようだが、生活水準の高いダムですらリラの炒飯に舌鼓する。
ニンリル、蘭風、トレーネの三人は、久しぶりに食べるリラの食事に中々に御満悦のようだ。
「「「「「「「ご馳走様でしたーーー!」」」」」」」
「はい、お粗末さん。」
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トレーネと共に皿を片付けながら、束の間の兄妹の時間に身を委ねる。
「最近はどう?
身体壊したりしてない?」
トレーネにしてはやけに畏まった言い方に若干の違和感を覚えつつ、リラは王都での生活を語る。
学園のこと...
サードのこと...
国外交流のこと...
そうだったのとか、すごいねとか...
「...なぁ、トレーネ。
...なにか...」
何かあったか。
言葉を出そうとして喉奥に張り付く。
まるで、トレーネと話をしているのにそこにトレーネの意思がないような...
鶯のような細い声も...
母に似たであろう整った顔立ちも...
まだあどけなさの残る皿洗いの手つきも...
(全部...全部同じなのに...)
適当に話を切り、外の空気を吸いに行く。
段々と、段々と...
坂を駆け下りる脚に力が籠る。
なにか...見たくない何かを振り切るように...
ただ走り抜けた先...
視界に嫌でも突き抜けるような夜の蒼が、広い海原に悠然と広がるのだった...
第3章【完】
長かった国外交流...
走り出したリラの行く先は何処にあるのか...




