76 偽物の王冠
「慈愛王アベル。あなたは、どこまでも正しい」
黒い人影の顔を、銀の仮面が覆っている。
「誰だ、お前は!」
伶亜さんがシミターを抜いた。
だが、斬りかかるより早く、石畳から伸びた黒い鎖がその刃を受け止める。
銀の仮面は、伶亜さんを見ようともしなかった。
アベルは、黒いアルディーンの前で膝をついたまま答えた。
「正しいことをしようとはしたさ。だけど僕は……みんなに迷惑をかけた」
「迷惑とは、何ですか?」
「……相手が嫌がること」
「王が民の間違いを指摘し、正しい道へ導く。それには痛みを伴います」
銀の仮面が、アベルへ歩み寄る。
「あなたは苦しかったですか?」
「……はい。苦しかった」
「民は、あなたの苦しみを理解しましたか?」
アベルは答えなかった。
「あなたは、自分のために国を変えたのですか?」
「違う。僕は、みんなによくなってほしくて……」
「それを民は理解しましたか?」
「……僕は……嘘つきじゃない……」
「はい、あなたほど、純粋で慈愛に満ちた方はいません」
「僕は……純粋……慈愛……」
「そうです。そしてあなたは、どこまでも正しい」
アベルの瞳から、迷いが薄れていく。
「僕は……正しい」
「あなたは王です」
「……僕は、王……」
「はい。あなたは、偉大なる慈愛王アベル」
銀の仮面が、アベルへ手を差し出した。
「承認を」
アベルは、すがるようにその手を見つめた。
「僕は……慈愛王アベル」
その言葉を待っていたように、黒い槍が鳴った。
黒い人影が、槍の柄を石畳へ打ちつける。
『王名承認――完了』
『接続許諾――確認』
『オルドヌングスピア、接続開始』
『自己防衛境界を穿孔』
王席の足元から、何本もの黒い鎖が飛び出した。
鎖はアベルの腕や足へ巻きつき、競技場に並べられたすべてのオブジェへ伸びていく。
椅子。時計。剣。花瓶。人形。
数え切れないほどのオブジェが、鎖に引かれて宙へ浮かんだ。
その中には、見覚えのあるものもある。
黒い事務机。
赤いオルゴール。
見開きの新聞。
銀の手鏡。
そして、黒いアルディーン。
浮かび上がったオブジェが、次々とアベルの身体へ吸い込まれていった。
最後に、槍の穂先がアベルの胸へ沈んだ。
「な……」
アベルの目が、大きく見開かれた。
『特記事項――再解釈』
『所有オブジェを王権資産として再定義』
『収容対象の能力を王体へ統合』
『王権領域――構築』
『自我境界――崩壊』
『深層顕現――開始』
『クラスを〈慈愛王〉へ強制変更』
アベルの頭上に、光の王冠が現れた。
痩せていた身体が膨れ上がり、競技場の柱よりも大きくなる。
白い外套は、巨大な黒い法衣へ変わった。
法衣の表面には、何本もの腕が絡み合っている。
その隙間から、閉じ込められた人々の顔が浮かんでは消えていた。
顔の周囲を、細かな文字が絶えず流れている。
胸や腹には、大小いくつもの檻が埋め込まれていた。
右腕には、リアの赤いオルゴールが埋め込まれている。
額では、いくつもの歯車が絶えず回っている。
あれは、加藤君の事務机に組み込まれていた歯車か。
胸の中央には、あの黒い槍が突き刺さっている。
残っているのは、アベルの顔だけだ。
その口元が、穏やかに笑った。
「そうだ……」
アベルが、俺たちを見下ろす。
「僕は、間違っていない」
銀の仮面は、役目を終えたように霧の中へ消えた。
慈愛王の顔が、怒りにゆがんだ。
両拳を強く握りしめる。
右腕に埋め込まれたオルゴールが、ぎしりと軋んだ。
あれは、リアの――。
慈愛王が片手を上げた。
「跪け」
光が膨れ上がった。
やべぇ。
俺たちだけじゃない。
この後ろには、大勢の市民と街がある。
避けたら、全部消し飛ぶ。
「プラネット・グラビティ!」
放たれた光線の横から、重力をねじ込む。
軌道がわずかに上へ曲がった。
光線は競技場の外へ飛び、凄まじい爆音を響かせながら遠くの丘を削り取る。
土煙が空まで上がった。
まじかよ。
まともに受けていたら、競技場ごと消えていたぞ。
「まさか、上位魔法まで使えるとは……」
その声は、誠司さんか。
見られちまったか。
まぁ、仕方ねぇ。
「すいません。隠していて。俺は魔法も使えるガチファイ――」
「さまよえる月影、ジークシュナイダー。お久しぶりです」
は?
自分の腕を見る。
豚の太い腕じゃない。
あ、そうか。
リアがピンチになると、俺はかっこいい王子になるんだった。
「ずっと探していたんですよ!」
いや――。
探さないで。
永遠に、心の中だけの住人にさせて。
今は、こんなことを考えている場合じゃねぇ。
俺は慈愛王を見上げた。
慈愛王が両腕を広げた。
「僕の国よ。目覚めよ。僕のために戦え! 傍観は裏切りとみなす」
客席の石が、四本足の獣になる。
旗が翼を広げ、長い嘴で市民へ襲いかかった。
壊れた柵には牙が生え、逃げる人々を飲み込もうとする。
こいつ、この国にあるものは何でも魔物に変えられるのか。
俺は、アベルの胸に突き刺さった黒い槍へ目を向けた。
あの槍のせいか。
嫌な汗が、背筋を伝う。
「皆の者、地下水路へ!」
オルフェンが、市民を競技場の外へ誘導する。
伶亜さんはシミターを振るい、階段へ迫った石の獣を斬り倒した。
「こっちは、あたいが押さえる! さっさと逃げな!」
白いアルディーンが、崩れた門の前へ立つ。
「エルカローネ、避難をお願いします!」
「分かりました! アルディーン様!」
あれ? 聖華さんじゃねぇ。
背中には白い翼。頭上には天使の輪まで浮かんでいる。
いつの間に入れ替わった?
まあいい。今は助かる。
エルカローネの光が階段を覆い、逃げる市民を魔獣から守った。
慈愛王の右腕が赤く輝く。
あれは、リアの魔法か。
だが、込められた魔力は彼女の数十倍を超えている。
増幅率が化け物じみてやがる。
幾本もの炎の槍が現れ、一斉に降り注いだ。
俺は炎の槍を蹴り砕き、慈愛王の前へ着地した。
「アナザーゲイブ」
異空間への門を開く。
黒い地平が競技場へ重なった。
慈愛王の巨体を丸ごと包み、俺もろとも別の戦場へ引きずり込む。
境界が閉じる寸前、人影が飛び込んできた。
「リーズ!」
リーズは黒い大地へ着地すると、すぐに弓を構えた。
「巻き込んじまったか?」
「いいえ。自分から入りました」
慈愛王が、俺を見下ろす。
「お前は……豚じゃなかったのか」
うるせぇ。
「貯金箱になったと思えば、今度はその姿か。この詐欺師め」
「ふざけんな。好きでなったんじゃねぇ。豚も、貯金箱も、今の姿も、全部――」
「下賤なお前の姿など、どうでもいい」
慈愛王の目が、俺を射抜く。
「見えるんだよ。お前からは、いまだに感謝精度5という、ふざけた数字がな」
俺だと見抜けたのは、その数字のせいか。
つくづく、人に点数をつけるのが好きなんだな。
「最初から言ってるだろ。俺の評価は5だ」
「黙れ!」
慈愛王の姿が消えた。
右。
そう思ったときには、拳が目の前にあった。
首を倒す。
頬を黒い風が削った。
反撃の蹴りを腹へ入れる。
鈍い手応え。
同時に、慈愛王の法衣のどこかから悲鳴が上がった。
慈愛王の法衣に浮かんだ顔が、一つ、苦しそうにゆがむ。
「しげるさん、直接攻撃は危険です!」
リーズが叫んだ。
「受けた損傷を、オブジェにされた方々へ分散しています!」
「そんなのありかよ!」
俺の一撃で、閉じ込められた人間が傷つく。
正面から殴るわけにはいかねぇ。
「わたしが目になります。しげるさんは、戦闘へ集中してください」
リーズの瞳に、ステータスの光が走った。
慈愛王が腕を振る。
頭上を覆い尽くすほどの炎の槍が現れ、一斉に降り注いだ。
慈愛王の足元では、白い数字が輪になって回っている。
俺の重心、炎の間隔、次に踏み込める場所を、加藤君の力が計算していた。
頭上へ、新聞の見出しが浮かぶ。
『ジークシュナイダー、右足へ重心。視線は左後方』
俺自身が意識するより早く、加奈子さんの記事が現在の動きを伝える。
直後、数字の輪が〈左後方〉を示した。
実際、俺の左後方だけ炎が薄い。
記事で動きを読み、計算で逃げ道へ追い込む罠か。
俺は真上へ跳んだ。
見出しが、即座に書き換わる。
『ジークシュナイダー、上空へ進路変更』
「実況までしてんじゃねぇ!」
数字の輪が、次の攻撃地点を弾き出す。
上空には、すでに慈愛王がいた。
左腕が前へ出る。
右の拳が引かれた。
ルカの動きだ。
避けきれない。
肩へ一撃を受け、地面まで叩き落とされた。
黒い大地が陥没する。
立ち上がる前に、炎の槍が降ってきた。
「しげるさん、急いでください!」
「何があった?」
「オブジェにされた方々のステータスから、特記事項が消え始めています」
炎の隙間を走りながら、慈愛王を見る。
法衣に浮かんだ人々の顔。その上では、特記事項を形作っていた文字が次々に崩れていた。
『勝利』
『計算』
『王は正しい』
『タスケテ』
文字が細かく砕け、黒い糸となって胸の槍へ流れ込んでいく。
「特記事項まで食ってやがるのか?」
「消滅させているのか、アベル王の力として取り込んでいるのかは分かりません」
リーズが額を押さえた。
片目が、一瞬だけ悪魔のように細くなる。
「ですが、このままでは取り返せなくなる可能性があります」
「そういや、あの槍もオルドヌングスピアって呼ばれてたよな。あいつらの組織名じゃなかったのか?」
「分かりません。それより今は、槍を固定している黒い輪です」
「だったら、あの槍を引き抜く」
胸の中央。
オルドヌングスピアの根元を、黒い輪が固定している。
あそこだけなら、閉じ込められた人たちを殴らずに済む。
俺は慈愛王の懐へ飛び込んだ。
だが、新聞が動きを伝え、加藤君の計算が進路を塞ぐ。
リアの炎が逃げ道を焼き、無数の能力が次々に重なってくる。
でけぇ。重い。それなのに、動きは鈍くねぇ。
こっちの動きを先読みし、最小限の動きで攻撃を潰してくる。
槍まで届かない。
攻めれば攻めるほど、こっちの体力だけが削られていく。
「何か規則があるはずです」
リーズが、慈愛王の動きを追う。
「完全に予測して動いているわけではありません。同じ動作が、何度も混ざっています」
慈愛王が、また踏み込んだ。
一歩。
二歩。
三歩。
音のした方へ顔を向ける。
左腕を前へ出し、右の拳を引く。
歩みの家で、ルカが何度も練習した動き。
そうか。
いくつもの能力を取り込んでも、ルカが身体に覚え込ませた動きだけは変わっていない。
そして、三歩目。
右の拳を引いた瞬間だけ、胸の槍を守る腕が外れる。
「リーズ。次の三歩で決める」
「承知しました」
こんなときのために、俺はとっておきの必殺技を用意していた。
俺がガチになったときに扱える武器なんてねぇ。
だから、己の拳で戦う『ガチファイター』だ。
だが、拳に魔法を付加できると気づいた。
名づけて、魔法拳。
慈愛王が、一歩目を踏み出す。
右拳に、炎系最上級魔法――『デッドエンド・メガエクスプロージョン』。
二歩目。
左拳に、氷結系最上級魔法――『絶対零度呪文・ノーザンクロス・ブリザード』。
三歩目。
慈愛王が音のした方へ顔を向けた。
左腕を前へ出し、右の拳を引く。
胸が開いた。
「ルカ。こんなことに使われたかったんじゃねぇよな」
返事はない。
それでも、あの三歩が答えに思えた。
――これ以上、行かないで。
まるで、ルカがアベルへ向けたあの言葉のようだった。
「分かってるよ。アベル兄ちゃんを、連れ戻してほしいんだろ!」
俺は神速の刃となって、奴の胸元へ飛び込んだ。
「俺が連れ戻してやる!」
炎と氷をまとった両拳を、槍の根元にある黒い輪へ叩き込む。
「お迎えだぜ、アベル!」
正反対の魔力が、黒い輪の中で激突した。
黒い輪が砕けた。
衝撃で、オルドヌングスピアが胸から弾き出される。
『オルドヌングスピア、接続解除』
『特記事項【深層解釈】――強制終了』
慈愛王の巨体へ、無数の亀裂が走った。
『深層顕現を維持できません』
『クラス〈慈愛王〉――消失』
『王権を喪失』
黒い法衣も、鎖も、光の王冠も崩れていく。
取り込まれていたオブジェが、次々とこぼれ落ちた。
黒い事務机。
赤いオルゴール。
見開きの新聞。
銀の手鏡。
そして、黒いアルディーン。
その中心から、一人の男が落ちてきた。
アベルだ。
俺は落ちてきた身体を受け止めた。
軽い。
国中の力と、大勢の人間を身体へ取り込んでいたのに、残ったのは痩せた一人の男だった。
黒い地平が割れる。
アナザーゲイブも限界を迎えた。
視界が白く弾け、俺たちは崩れた競技場へ投げ出された。
黒いアルディーンが地面へ落ちる寸前、白いアルディーンが駆け寄り、その身体を受け止めた。
リアはまだオルゴールのままだが、ひとまず危機は去ったらしい。
俺の身体も、いつもの重さに戻っていた。
俺は、抱えていたアベルを地面へ下ろした。
魔法拳に神速を重ね、減り続けるHPを回復で補いながら突っ込んだ。
やってみて分かったが、こいつは想像以上に体力を食いやがる。
もう一歩も動けねぇ。
倒された魔獣は、石や木材へ戻っていた。
慈愛王が消えた瞬間、残っていた魔獣も動きを止めた。
石は石へ。
旗は旗へ。
牙の生えた柵も、折れた木材へ戻っていく。
だが、壊されたものまでは元に戻らない。
競技場の壁は崩れ、その向こうには傷ついた街が見えた。
屋根が焼けている。
道には瓦礫が散らばり、いくつもの場所から煙が上がっていた。
アベルは地面へ膝をつき、その光景を見ている。
「あの火事は、僕じゃない」
突然、つぶやいた。
「僕は、みんなを助けた。嘘なんかついていなかった。なのに、僕が火をつけたと言われた」
握った拳が震えている。
「でも……今度は、本当に僕がやった」
アベルは、街から上がる煙を見つめた。
「僕が、この国に火をつけたんだ……」
崩れた手すりに止まっていた感謝鳥が、ふらつきながら飛んでくる。
「セイジ、ゼロ。セイカ、イチ。レイア、ゼロ。リーズ、フメイ」
感謝鳥が、俺を見た。
「シゲル、ゴ」
アベルが、かすかに笑った。
「君だけは……ずっと、5なんだな」
「最初から言ってるだろ。俺は、あんたのことをまだ何も分かっちゃいねぇ。人を助けたいくせに、どうしてこんな無茶苦茶をするのかもな。だから5だ」
アベルの目が、俺へ向く。
「こんな数字に振り回されるな。困っている人から『ありがとう』って言われる。それがうれしかったんだろ? 最初から、それだけでよかったんじゃねぇか」
長い沈黙のあと、アベルの喉から息が漏れた。
「ふふ……そうだったね……」
笑ったのか、泣いたのか、分からなかった。
乾いた拍手が響いた。
崩れた王席の上に、銀の仮面をつけた三人が立っている。
それぞれの手には黒い槍。
胸には、槍へ鎖を巻きつけた紋章があった。
中央の一人が、ゆっくりと両手を下ろす。
なんで、お前らが拍手してやがる。
「素晴らしい。実に、人間らしい」
感情のない声だった。
「ですが、我々が求めているのは人間ではありません。王です」
「第三候補〈慈愛王〉、接続が解除されております」
「失敗か」
「原因は、またアルディーンを中心とする一団か。これで三度目になる」
一人が、わずかに首を横へ振った。
「彼らは候補を破壊しているのではありません。不完全な王を選別しているのです」
「選別?」
「深層顕現へ到達した王が、接続していない者に敗れるなら、王とは呼べません」
別の仮面が淡々と続ける。
「梶田は、深層顕現前に介入を受けた。ボルボは、到達できなかった。アベルは顕現したが、王権の統合に歪みが生じた」
「歪み?」
「はい。原因を削除すれば、再起動できる可能性があります」
銀の仮面が、競技場の端を指さした。
白いアルディーンが、動かない黒いアルディーンをかばっている。
動けないルカを、誠司さんが守っているのか。
黒いアルディーンの腕には、片腕を直された木の騎士が抱かれていた。
「あれが、歪みの原因か?」
「王の意に背く反復動作を発生させ、接続を破壊する隙を作った異常値です」
「なるほど。慈愛王の完成を阻んだ異物か」
「排除します」
槍の穂先が、動かない黒いアルディーンへ向いた。
まずい。
「プラネット・グラビティ!」
残った魔力をかき集める。
だが、術が形になるより早く、黒い鎖が空中を走った。
組み上げた魔法が、真ん中から引き裂かれる。
「バーニングショット!」
指先へ意識を集める。
だが、火花一つ出ない。
「こいつも駄目か。くそっ!」
術だけじゃねぇ。
残っていた魔力まで、根こそぎ消されている。
動け。
すぐに飛び出さねぇと、間に合わない。
だが、足が動かない。
「やめろ」
俺より先に、アベルが立ち上がった。
「ルカは、異常なんかじゃない」
「再起動の妨げとなる不具合です」
「違う」
アベルは、白いアルディーンの前へ立った。
「間違っていたのは、僕だ」
黒い槍へ光が集まっていく。
「僕の特記事項には、『その力を、今度こそ正しく人々のために使え』とある」
アベルは両腕を広げた。
「だったら最後くらい、僕の力を正しく使わせろ!」
アベルの手から、白い光が広がった。
薄い壁となって、背後の二人を包み込む。
黒い光が放たれた。
白い壁が砕ける。
それでもアベルは退かなかった。
残った黒い光が、その胸を貫いた。
血は出なかった。
胸の奥にあったものだけが、黒い光に削り取られていた。
『候補者による王権の拒絶を確認』
『第三候補、再起動不能』
「廃棄します」
黒い鎖が、地面に落ちていたオルドヌングスピアへ巻きついた。
「第三候補、廃棄。八王創生計画は継続します」
黒い霧が広がった。
伶亜さんのシミターも、リーズの矢も、霧の中を通り抜ける。
銀の仮面たちと黒い槍は、消えていた。
アベルが倒れる。
エルカローネが駆け寄り、治癒の光を重ねた。
だが、その回復能力をもってしても、黒い光に削り取られたものまでは戻せなかった。
「アベルさん! アベルさん!」
治癒の光を注ぎながら、必死に名前を呼び続ける。
だが、もうその声も届いていないのか。
アベルの焦点の合わない瞳が、ゆっくりと黒いアルディーンへ向いた。
「ルカ」
黒いアルディーンは、木の騎士を抱いたまま動かない。
「お前なら、こう言うんだろ。『行かないでって言ったじゃないか、アベル兄ちゃん』って」
アベルは、自分で首を横に振った。
「違うよ。ルカ。やっと帰ってこれたよ」
アベルの声が、かすかに震えた。
「ごめん……。僕を許して……」
その言葉を最後に、アベルの身体から力が抜けた。
同時に、白い光があふれ出す。
競技場から、感謝の家から、王宮から、無数の光が空へ昇った。
オブジェにされていた人々が、次々と元の姿へ戻っていく。
黒いアルディーンの身体にも亀裂が入った。
黒い塗装も、翼も、鎧も、光となって剥がれていく。
白いアルディーンの腕の中へ、目の見えない少年が倒れ込んだ。
ルカは、古い木の騎士を胸へ抱いたまま、アベルへ手を伸ばす。
伝えたい言葉は、たくさんあったに違いない。
ごめんなさいも。
大丈夫だよも。
許すよも。
ありがとうも――。
けれど、どれも声にはならなかった。
もう、どんな言葉もアベルへ届くことはない。
それだけのことを、こいつはしたのかもしれねぇ。
それでも、やるせなかった。




