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ブサメンガチファイター  作者: 弘松 涼
第四章 感謝の国と慈愛の王
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70 感謝の家

 感謝の家は、家ではなかった。


 石造りの巨大な保管庫だった。


 地上には白い壁と花壇があり、正面だけ見れば療養所に見える。だが台車は玄関を通らず、裏手の坂を下った。


 鉄の扉が三つ開く。

 冷たい空気が、豚の鼻を抜けた。


 地下には棚が並んでいる。


 椅子。時計。剣。花瓶。人形。

 どれも丁寧に磨かれ、番号札をつけられていた。


 人だったものを保管する倉庫。


「英雄像は中央。聖女像は祭壇の横。豚は……隅でいい」


 衛兵が俺を床へ置いた。


 扱いの差がすごい。


 足音が遠ざかる。

 鉄扉が閉まった。


 それでも、俺たちは動かなかった。


 10秒。

 30秒。

 1分。


 扉の小窓が開いた。

 衛兵が中をのぞく。


 俺の目の前で、聖女像になった聖華さんが斜め上を向いている。

 さっきの作画ミスが、ここでは妙に神秘的だった。


 小窓が閉じる。


 さらに足音が遠ざかるまで待った。


 俺は三つの術を、順番に解いた。


 最初に誠司さん。

 次に聖華さん。

 最後に俺。


「皆さん、意識はありましたか」


 誠司さんが声を潜めた。


「はい。身体は動きませんでしたが」

「俺もです。葉っぱ、すごいでしょう」


 額に当てていた三枚を見せる。

 ただの葉にしか見えない。


「少し、乾いています」


 聖華さんが心配そうに言った。


「切り替えるほど枯れます。巡回までに戻りましょう」


 嘘を重ねながら、棚の間へ入る。


 最初に見つけたのは、黒い事務机だった。


 帳簿の山を載せられ、天板の歯車を回しながら、白い数字を絶えず浮かべている。


『計算ヲ開始シマス。

 王ノ政策ニ必要ナ資源配分ヲ算出シマス。』


「加藤君」


 誠司さんが天板へ手を置いた。


 数字は乱れなかった。

 歯車も止まらない。


「加藤君。必ず助けます」


 聖華さんが唇を押さえた。


 返事はない。

 ただ、資源配分の計算だけが次の行へ進んだ。


 俺には、それが加藤君からの返事のように思えた。


 隣の棚には赤い音楽箱。

 蓋の中で、小さなリアが笑いながら回り続けている。


『王ノ心ヲ慰メマス。』


「リアさん。もうちょっとの辛抱です」


 聖華さんが言った。


 俺たちは棚の間を抜け、保管庫の奥へ進んだ。


 突き当たりの壁には、一枚の新聞が見開きのまま固定されていた。

 紙面は白いままだった。

 これまで現れた〈タスケテ〉の文字もない。


 やはり、こいつは自分の意思では文字を出せないらしい。


 その隣には、同じ形をした黒い鎧が3体。

 どれも顔を不気味な仮面で覆っている。

 舞台で英雄に倒される、悪役みたいな姿だった。


 さらに奥には、勇ましい姿をした像が立っていた。


 金色の髪。白い翼。赤い鎧。そして、額にある第三の目。


 こいつ、もしかして、広場で何度も同じ台詞を繰り返していた奴じゃねぇのか?


 像の足元には、古い木の騎士が転がっていた。


 片腕を直した跡がある。


「これは……」


 誠司さんが拾おうとしたとき、廊下から鍵の音がした。


「戻るぞ」


 三人で持ち場へ走る。


 誠司さんへ術をかける。

 英雄像へ戻った。だが、さっきより背が指一本ぶん低い。


 聖華さんを聖女像へ戻す。

 今度は正面を向いた。


 俺は豚の貯金箱になる。


 たしか、こんな形だったはずだ。

 自分の姿は、自分じゃ確かめられねぇ。


 ギィ、と重たい音が響いた。


 誰か来たのか。


 保管庫の中が、ほんのり明るくなる。

 灯りを持った衛兵たちが戻ってきたらしい。


 足音からして、二人か。


「聖女像、さっきは壁の方を向いていなかったか?」


 片方の足音が止まった。


「運んだときに見間違えたんだろう」

「英雄像も、少し小さくなっていないか?」

「王の奇跡に難癖をつける気か?」


 もう一人の衛兵が、低い声で言った。

 疑っていた衛兵は、それきり黙った。


 王の名前を出されたら、それ以上は言えないらしい。

 この国じゃ、王の奇跡とやらは絶対なんだな。


 どうやら、アベルはいねぇようだ。

 衛兵二人だけの見回りか。


 巡回の足音が遠ざかっていく。


 さて、変身を解いて探索を続けよう――と思ったら、また別の足音か。

 どうやら次が来たらしい。


 忙しいな、感謝の家ってのは。

 ただの物置にしちゃ、ずいぶん物騒だな。


「ダリオを連れてこい」


 この声は、アベルか。


 真打ち登場ってわけだ。


 鉄扉が、もう一度開いた。


 二人の衛兵が、大きな写真立てを運び込んできた。


 木枠の底が石床へ触れ、こつんと音を立てる。


 俺の右目の端に、写真が見えた。

 感謝裁判で見たダリオが、妻と娘たちの肩を抱いている。


「水車の模型になると思っていたが……家族の写真か。なるほど。君らしい」


 やっぱり、何に変わるのかまでは、アベルにも正確には分からねぇらしい。


 肩のオウムが、写真立てへ顔を向けた。


「ダリオ、ハンセイド、98」


 反省度?


 感謝を測る鳥じゃなかったのか。

 こいつも、アベルの力につながっているのか?


「言いたいことがあるなら、言ってみろ」


 オウムが何度も首を傾ける。


「ダリオ、ハンセイ。ウマク、ハナセナイ」


「何を間違えたのか、分かっているか?」


「カゾク、タスケタカッタ。カンシャ、ツクッタ。デモ、ワタシガ、マチガッテイタ」


 オウムが、ダリオの代わりに答えている。


「そうか。僕は鬼じゃない。家族を助けたかった気持ちは分かる」


 アベルの声が、少しだけ柔らかくなった。


「もう一度、正しく働けるか?」


「ダリオ、ハイ。ミズ、ナオス。ムスメタチ、アヤマリタイ」


「謝る相手は、娘たちだけじゃない。君の不正で、パンや薬を受け取れなかった人たちにもだ」


「ダリオ、ワカッテル。ツグナウ」


「そうか」


 アベルが写真立てへ手を向けた。


「ダリオ・バスク。僕は君を許す」


 この言葉を待っていた。


 特記事項にあった『許す』。

 ついに発動するのか。


 俺は意識を豚の右目へ集中させた。

 角度はぎりぎりだが、写真立ては見える。


 木枠の隙間から、淡い金色の光がこぼれた。


 逆らった者を閉じ込めたときは白。

 『許す』ときは、金色か。


 写真立てが光に包まれ、その輪郭が人の姿へ膨らんでいく。


 戻ったダリオが、石床へ膝をついた。


 これが『許す』か。


 だが、言葉だけで解除されたわけじゃねぇ。

 その前にアベルは、ダリオが自分の過ちを理解しているか、何度も確かめていた。


 特記事項には、こうあった。


 『自分が何を間違えたのか、本当に理解するまで、そこから出てくるな』


 そして、もう一つ。


 『どれだけ謝っても、許すかどうかを決めるのは僕だ』


 この二つが、檻を開ける条件なのか?


 まだ、はっきり分かったわけじゃねぇ。

 だが、少なくともアベルの檻には出口がある。


 ダリオは、自分の両手を見て泣いた。


「ありがとうございます、アベル様。必ず償います」

「そうか」


「家へ帰ったら、最初に何をする?」


「娘たちに謝ります」


「そう。感謝の家で見たものも、全部話すのかい?」


「……えっと」


「アベル、カナシイ」


「ふうん。そっか」


「待ってください!」


「どうしてすぐに答えられないんだ? 迷うようなことなのか?」


「話しません。娘たちにも、誰にも」


「上辺だけの言葉はいらない。君の本心は、この子が教えてくれる」


「アベル、カナシイ」


「ほらね」


 笑顔の意味を理解するより早く、白い光がダリオの胸を貫いた。


 今度は、何かへ変わるんじゃない。

 人の形そのものが、端から崩れていく。


 あまりにも突然だった。

 俺が反応するよりも早い。


「アベル、様……な、んで……」


「おいおい。そんな目で見るなよ」


 アベルは、困った子供を見るように首を傾けた。


「君は本当に悔い改めた。だから一度は許したじゃないか。でも、また僕に逆らった。二度目まで許すとは言っていない」


「……こんな男に、どうして俺は……。ごめんな……こんな父ちゃんで……」


 アベル……!


 喉があったら、その名前を怒鳴っていた。


 アベルは衛兵たちへ向き直った。


「これは罰じゃない。国を守るために必要な裁きだ」


 最後の光が消えた。


 床には何も残らない。


 頭の奥で、ぶちりと何かが切れかけた。


 だめだ。

 術を維持するには、冷静でいなきゃならねぇ。


 ふざけるな。

 何が裁きだ。


 勝手な理由をでっちあげて、従わないやつを消しているだけじゃねぇか。


 飛び出して、あいつの顔を床へ埋めたい。


 怒りに引っ張られ、豚の背へ細いひびが入った。


 アベルがこちらを向く。


「なんだ?」


 俺は動かない。


 誠司さんも、聖華さんも動けない。


 ここで出れば、加藤君もリアも、新聞にされた誰かも、偽アルディーンも置いていくことになる。


 ひびの広がりを、力ずくで止めた。


 アベルは、ひびの入った豚の貯金箱をちらりと見た。


「もうひびが入ったのか。安物だな」


 そして、ダリオが消えた場所へ吐き捨てる。


「カスが」


 足音が遠ざかった。


 鉄扉が閉じる。


 俺は、しばらく術を解けなかった。


 自分の顔へ戻ったら、たぶん叫んでいた。


 アベル。


 あんたがどれだけ頑張ったのか、俺は知らない。


 だが、今のを見て、一つだけ分かった。


 こいつは、とっくに一線を越えちまっている。


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