表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ブサメンガチファイター  作者: 弘松 涼
第四章 感謝の国と慈愛の王
PR
86/89

66 感謝裁判

 感謝議場は、王宮の前にあった。


 白い石を円形に積み上げた、屋根のない建物だ。

 青い天幕が傍聴席へ影を落とし、中央だけに朝の光が差している。地下の牢獄でも、罪人を見世物にする闘技場でもない。


 町の話し合いを、国民みんなで見るための場所。

 少なくとも、そう見えた。


 支店から傍聴に来たのは、誠司さん、聖華さん、リーズ、俺の四人だった。

 加藤君とリアは仕事を続け、制度が実際にどう回っているのかを記録している。伶亜さんは「裁判? 聞いても寝るだけだ」と同行を断り、本当に支店で寝ている。


「今朝の言葉、また出るでしょうか」


 聖華さんは、布で包んだ新聞を膝へ置いた。


「分からん。だから、書き換わる瞬間は見逃さないようにしよう」


 鐘が三度鳴った。


 中央へ、一人の男が入ってきた。


 四十を少し過ぎたくらい。腹は出ているが、腕は太い。古い仕事着の袖口に、油と泥の染みが残っている。

 鎖はつけられていなかった。

 左右を白い服の役人に挟まれ、俯いて歩く。


「被告、ダリオ・バスク」


 監査官が名を読み上げた。


「虚偽の困窮依頼を37件作成。協力者との相互感謝により、120グラティアを不正取得。食料、燃料、薬品を購入し、一部を外国通貨のリラで転売した疑いです」


 傍聴席から、怒りの声が上がった。


「パンを返せ!」

「薬が足りなかったのは、お前のせいか!」


 ダリオは顔を上げない。


 議場の高い席にいたアベルが、片手を上げた。


「静かにしてください」


 大声ではない。

 それでも、議場はすぐに鎮まった。


「罪を憎むことと、一人の人間を皆で痛めつけることは違います。ここは石を投げる場所ではありません。事実を確かめる場所です」


 アベルは席を降り、被告と同じ地面へ立った。


 それだけで、傍聴席の空気が変わる。

 上から裁く王ではない。罪人のそばで話を聞く王。


 演出だとすれば、うまい。

 演出ではなく本心なら、もっとすごい。


 記録係が水晶板へ触れた。


 光の中に、感謝の履歴が浮かぶ。

 同じ五人が互いへ何度も感謝を送り、存在しない屋根修理や、運んでいない食料を依頼した記録。購入された小麦、乾燥肉、薬草油。城外の商人へ引き渡した日時まで残っていた。


「記録の改変を認めますか」


 監査官が聞いた。


「……認めます」


 ダリオの声は掠れていた。


「転売も?」

「やった」

「120グラティアのうち、自分の労働に対する正当な感謝だったと主張する記録が、21件あります。説明してください」


 ダリオは、そこで初めて顔を上げた。


「俺は、二十年、水路の荷運びをしてきた」


 太い指が震えている。


「夜中に水門が詰まれば潜った。雨で倉庫が浸かれば、朝まで袋を運んだ。感謝制度が始まって、役所は言ったよ。仕事をしたら、助けた相手に登録してもらえって」

「実際に働いた21件について、依頼人は存在しないことになっています」

「水路が壊れる前に直したんだ。倉庫が濡れる前に土嚢を積んだ。誰が俺に感謝する? 水を飲んだ人間は、俺の顔も知らねぇ」


 俺は、腕輪の0を思い出した。


「だから最初は、自分で記録した。やってない仕事を書いたんじゃない。俺がやったことを、誰かが見た形にしただけだ」

「では、なぜ虚偽の仕事を増やしたのですか」


 ダリオは口を閉じた。


「答えてください」

「……一度、通ったからだよ」


 傍聴席がざわついた。


「俺は働いた。なのに暮らせなかった。紙へ名前を書いただけで、買えなかった娘の靴が買えた。娘が喜んだ。次は、まだ壊れてない場所を直したことにした。その次は、仲間の仕事を回したことにした。気づけば、働くより紙を書く方が早くなってた」


 弁護役の役人が立った。


「被告の妻は病床にあり、娘が二人います。不正取得分の一部は、治療と生活に使われました。旧水路局の同僚三名が、制度移行後に被告の収入が大幅に減ったことを証言しています」


 続いて、被害を受けた薬店の女性が証言した。


「薬草油が買い占められ、二日間、店へ出せませんでした。外国へ売った分が戻っていれば、熱を出した子供へ使えたはずです」


 ダリオが歯を食いしばる。


「あの油が必要だったのは、うちの女房も同じだ」

「だからって、不正をしていいことにはなりません」


 女性の声も震えていた。


 どちらか一方だけを悪人にできる話ではない。

 けれど、ダリオが実際に嘘をつき、限りある品物を買い占めたことも消えない。


 監査官は記録を一つずつ確かめた。

 ダリオに有利な証言も、不利な証言も止めなかった。傍聴席が騒げば、アベルが静める。


 誠司さんは、ずっと真剣に見ていた。


「公正です」


 小さな声で言った。


「少なくとも、手続きは。被告の事情を隠していません」


 すべての証言が終わった。


 アベルは、ダリオの前へ立った。


「あなたが最初に記録した21件。それが、本当に行った仕事であることは確認しました」


 ダリオが、驚いたように王を見た。


「その働きが誰にも見つけられなかったことについて、国にも責任があります。あなたは、感謝されるべき仕事をしていた」


 聖華さんの表情が緩んだ。

 傍聴席からも、安堵に似た息が漏れる。


「しかし」


 アベルの声は、厳しくなった。


「あなたはその後、架空の仕事を作り、感謝を売り、限りのある品を買い占めた」


 ダリオは何も言えない。


「あなたが偽造したのは、感謝の記録だけではありません」


 アベルは、証言台の薬店主と、傍聴席にいるダリオの家族を見た。


「誰かが明日、受け取るはずだったパンと薬です」


 言葉が、真っ直ぐに議場へ落ちた。


 ここまでの話なら、俺にも反論できない。


「不正に得たグラティアを没収。転売された物資の回収。共犯者の口座は、調査が終わるまで凍結します」


 ダリオの妻が泣き始めた。


 アベルは、そちらへ顔を向けた。


「家族への最低配給は継続します。罪を犯したのは彼であって、子供たちではありません」


 泣き声が大きくなった。


「ダリオ・バスク。あなたには〈感謝の家〉で、制度と自分の行いを学び直してもらいます。期間は定めません。心から悔い改め、もう一度、人のために働けると認められたとき、家族のもとへ帰れます」


 ダリオの膝が崩れた。


「家族を……飢えさせないでくれるのか」

「約束します」

「……従います」


 その言葉を聞いた瞬間。

 アベルの顔に浮かんだ安堵を、俺は見た。


 罪人を罰して喜んでいる顔じゃない。

 自分の正しさを、相手の口から認めてもらって、ようやく安心したような顔だった。


 そういや、少し前にも見た。

 聖華さんが制度の問題を話したとき、アベルは彼女の言葉を一つずつ確かめるように頷いていた。

 あのときと、同じ顔だ。


 俺は、こういう顔をするやつを知っている。

 正しいと認められているうちは、どこまでも優しくいられる。

 だが、自分を否定されたとき、どうなるか分からねぇ。


 俺はポケットの上から、中に入れてある四つ折りの紙へ触れた。


 アベルには特記事項がある。

 だが。

 特記事項だけで、こいつを悪人と決めつける気はなかった。

 今も、そのつもりはない。


 けど、嫌な予感もしている。


 議場に拍手が広がる。

 腕輪から生まれた感謝の光が、朝日の中をアベルへ集まっていく。


 白い服の役人がダリオを立たせた。

 鎖はない。両脇へ寄り添うようにして、議場の外へ連れていく。


 正門には、窓を閉ざした白い馬車が待っていた。

 扉には青い文字で、行き先が記されている。


 〈感謝の家〉


「お父さん!」


 娘が呼んだ。


 ダリオは振り返り、無理に笑った。

 それから馬車へ乗り、扉が閉じた。

 白い馬車は王宮の奥へ続く道に入り、見えなくなった。


 裁判は終わった。


「立派な判決だったと思います」

 議場を出ながら、誠司さんが言った。

「不正を許さず、家族の生活は守った。制度側の責任も認めています」

「私も、そう思います」

 聖華さんは頷いた。

「ダリオさんが戻れるように、感謝の家で力になれることがあるなら――」

「……あの」


 リーズが、珍しく聖華さんの言葉を止めた。


「何か、気になるんですか?」

「王は、被告が罪を認めたときより、命令に従ったときに安堵しました」


 俺と同じところを見ていたらしい。


「だから敵だとは限らない」

 誠司さんは慎重に言った。

「人を導く責任を負っているなら、従うという言葉に安心することもあります」

「うん。今日の裁判は、筋が通ってた」


 俺も、そこは否定できない。


「ただ、できすぎてるんだよな」

「何がですか?」

「あ、いや、気にしないでください。俺の思い過ごしかもしれねぇ」


 罪人がいる。王が裁く。家族を救う。みんなが王に感謝する。

 これだけなら、よくある流れなのかもしれねぇ。


 だが。


 困っている人がいる。

 誰かが救う。

 公報が伝える。

 感謝が集まる。


 偽アルディーンと、同じ形だった。


 聖華さんの腕の中で、新聞が熱を持った。


「始まります」


 紙面の文字が一斉に消える。


 俺たちは足を止めた。

 今度は全員が見ている。


 白紙の中央へ、文字が浮かんだ。


 タスケテ


 今朝と同じ四文字。


 その下へ、さらに文字が滲み出した。


 アベル 敵


「アベル……敵?」


 聖華さんの声が震えた。


 次の瞬間、二つの言葉は砕けた。

 黒い線が紙面を走り、何事もなかったように、立派な見出しへ組み替わる。


『慈愛王アベル、罪人にも救済の手』


 記事には、今日の裁判が正確に書かれていた。

 証言も、判決も、家族への配給も、俺たちが見た通りだった。


 だからこそ、書き換わる前の二語を無視できない。


 見聞きし、裏を取った真実を、誰よりも早く記事にする。

 あの二語は、あとから現れた記事より先に出た。

 なら、最初に出た方は、なんだった?


「新聞は、これまで一度でも間違えましたか」

 リーズが聞いた。


「確認した範囲では、一度もありません」

 誠司さんが答えた。


 誠司さんは、王宮を見上げた。


「しかし決めつけるべきではありません。アベルさん自身に、確かめましょう」


 誠司さんが言った。


「感謝の家のこともです」


 聖華さんが続けた。


「ダリオさんが、どこでどう過ごすのか。裁判が本当に、あの扉の先まで正しいのか」


 そのとき、王宮から白い服の使者が歩いてきた。

 俺たちの前で止まり、青い封書を差し出す。


「慈愛王アベル陛下より、ヴィスブリッジの皆様へ。支店の今後について、正式な会合を開きたいとのことです」


 封書には、明日の日時が記されていた。


 まるで、俺たちが疑問を持つのを待っていたような招待だった。


 新聞の見出しは、慈愛王を称え続けている。

 その紙面を、聖華さんはもう、無邪気に抱きしめることができなかった。


 誠司さんと聖華さんは、青い封書を確認しながら歩き出した。

 俺は一歩遅れた。

 リーズも、その場に残っていた。


「リーズ」


 小さく呼ぶと、彼女がこちらを向いた。


「新聞の言葉。あんたが教えてくれた、アベルの特記事項とつながると思うか」

「はい。無関係とは思えません」

「だよな」


 俺は懐から、四つに折った紙を取り出した。


 最初にアベルと会ったあと、リーズが誰にも見られないように渡してきたメモだ。

 危険な特記事項を見つけたときは、俺にだけ知らせる。

 それが、俺たちの間で決めたやり方だった。


 紙を開くと、アベルの特記事項が、リーズの整った字で書き写されていた。


 最初の三行に、オレンジ色の線はない。

 能力として発現していない、ただの言葉だ。


『みんな僕を信じてくれ。僕は嘘つきじゃない。

 僕は本物なんだ。僕ほどみんなのために頑張っている人間はいない。

 僕がしてきたことを正しく理解すれば、みんな僕に感謝するはずだ』


 何があったのかまでは分からねぇ。

 けれど、想像することくらいはできる。


 あんたは、あっちの世界でも頑張っていたんだと思う。

 それでも、周りは認めてくれなかったんだろう。だからこっちの世界で、今度こそ認めてもらおうとしている。


 特記事項でこけても、どうにか生きようとしているやつを、俺はこの世界で何人も見てきた。

 リアも、伶亜さんもそうだ。


 俺には、アベルもその一人に見えた。


 だから、「あんたも頑張っている」なんて言葉が口から出た。

 あとになって、王様にずいぶん上からものを言ったもんだとは思ったが、馬鹿にしたつもりはなかった。


 危ない力を持っていることと、そいつが悪人であることは、同じじゃない。


 だが。


 四行目から、紙を焦がすようなオレンジ色の線が引かれていた。


 俺は、その先へ目を落とした。

 最初は、これも愚痴だと思った。

 その場で湧いた怒りを、殴り書きにしただけだと。


 その気持ちだけなら、分からなくもない。

 俺だって、そうしていたかもしれない。


『そうだ。

 僕こそが、お前らの王にふさわしい。

 僕に逆らったやつは、冷たく狭い檻の中で反省しろ。

 自分が何を間違えたのか、本当に理解するまで、そこから出てくるな。

 その力を、今度こそ正しく人々のために使え』


 歪んではいる。

 それでも、ここまではまだ、怒りに任せて吐いた言葉だと思えた。


 だが、その次の言葉が、俺の背筋を凍らせた。


『悔い改めることすらできない人間に、存在する価値なんてない。

 どれだけ謝っても、許すかどうかを決めるのは僕だ。

 僕が許すまで、その檻から出られると思うな。

 たとえ僕が死んでも、この世界が終わるまで、ずっとだ』


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ