65 何度でも現れる英雄
偽アルディーンを見つけるには、事件を探せばよい。
そう気づいたのは、セレノアへ来て六日目だった。
朝の新聞に、南地区で荷車を引く角走獣が逃げたと載った。
まだ被害はない。警備隊が捜索中。住民は戸締まりを――。
「行きましょう」
誠司さんは記事を読み終える前に立っていた。
「誠司さん。偽アルディーン探知機が反応しました?」
「違います。事件です! 一刻も早く向かわなければ。僕は偽物になど興味はありません」
すげぇそっちだと思うけど、まぁええか。
聖華さんが新聞を抱え、俺たちは南地区へ走った。
逃げたのは、荷車を引くために飼いならされた〈角走獣〉だった。
馬より一回り大きく、サイに似た厚い皮膚と、鼻先に一本の角を持っている。
荷車の引き具をぶら下げたまま、細い通りを突進している。店先の桶が吹き飛び、果物籠が石畳に転がる。
進路の先に、子供がいた。
「僕が止めます!」
誠司さんが踏み込んだ。
右から赤い影が飛んだ。
「人は僕のことをこう呼ぶ。さすらいの勇者アルディーン!」
偽アルディーンが、子供を片腕に抱き上げた。
反対の拳で角走獣の額を押さえる。靴底が石畳を削り、三歩目で止まった。
三歩。
前も、三歩だった。
「悪に名乗る名などない。だが敢えて名乗るのなら、不屈の紅蓮の魂――アルディーン!」
相手は、逃げ出しただけの角走獣である。
悪ではない。
偽アルディーンは暴れる角をかわし、赤い拳を一度だけ叩き込んだ。
角走獣は倒れたが、息はしている。傷もない。
見事だった。
手加減まで完璧である。
彼は子供を母親に返した。
左手を胸に。顔を十五度ほど傾ける。微笑む。
「感謝は僕ではなく、君を愛する人へ。さらばだ。また、助けを求める声のもとで会おう」
右足から振り返り、外套を翻す。
歩幅まで同じだった。
「待ってください!」
誠司さんが追う。
偽アルディーンは振り返らない。
角を曲がったところで、また消えた。
「……あれ?」
「何かありましたか?」
聖華さんが聞いた。
「これ、NPCなん?」
俺がつぶやくと、聖華さんが首をかしげた。
「えぬぴーしー?」
「昔のRPGに出てくる、毎回決められたことしか言わない村人みたいなやつ」
「同じ決め台詞を大切にしているだけでは?」
誠司さんが戻りながら言った。
「英雄には、自分の型がありますから」
「今の止め方、荷車のときと同じだったぞ。子供を左腕。右手で止める。三歩下がる。左手を胸。台詞。右足から帰る」
「よく見ていますね」
「あんたは見てなかったの?」
「僕は角走獣の安全を確認していました」
たぶん、嘘だな。
格好よさで負けたのが悔しくて、細けぇところまで見ていなかったんだと思う。
ほら、握りしめた拳が小刻みに震えてるし。
「でも、この世界に、同じことしかできない人なんているんですか?」
聖華さんは、偽アルディーンが消えた路地を見た。
「私たちが出会った人たちは、みんな悩んだり、怒ったり、笑ったりしていました」
「だからおかしいんだよ」
姿がゲームの登場人物みたいでも、人は人だ。
同じ質問をすれば、同じ答えが返るわけじゃない。昨日言ったことを今日には後悔し、機嫌が悪ければ挨拶も変わる。
完璧に同じである方が、不自然なのだ。
人垣の中へ、二人の感謝記録官が入ってきた。
青い腕章。母親への質問。記録用紙の一番上に書かれた〈勇者アルディーン〉の名。最後に押された〈明朝、感謝掲示板へ掲載〉の印。そこまで前の事件と同じだった。
違う事件なのに、英雄と役人だけが、同じ型で動いている。
市民の腕輪から、感謝の光が偽アルディーンの消えた方角へ流れていく。
見える。
結果が早い。
直接、命を救う。
大勢が見ている。
誰がしたか分かる。
そして――公報になる。
「六つ、全部だな」
俺が言うと、加藤君が頷いた。
そのとき、聖華さんの腕の中で、新聞が震えた。
新聞の速報欄が白くなり、そこへ黒い文字が組み上がる。
『さすらいの勇者アルディーン、暴れる角走獣から少年を救出』
「感謝を得ることだけを目的にした仕事なら、これ以上のものはありません」
加藤君が、新聞の記事を見ながら言った。
「事件まで設計したと言うのですか?」
誠司さんの声が低くなる。
「まだ分かりません。ただ、偶然にしては完成しすぎています」
角走獣の引き具を調べたが、切れたのか外されたのかは判別できなかった。
警備隊は、荷主の管理不足として処理した。
偽アルディーンは人を救った。
角走獣も殺していない。
結果だけを見れば、誰も責められない。
翌朝。
俺たちは、六時前から支店で新聞を囲んでいた。
新聞は、出来事が起きるたびに記事を書き換える。
ただ、朝一番の更新だけは違った。
午前六時十五分。
この時刻になると、前日までの記事がいったん消え、その日の一面が大きく組み直される。
数日観察して、俺たちはその規則に気づいていた。
誠司さんは時計を置いた。
加藤君は紙とペンを用意した。
リアは三分で飽き、椅子を後ろへ傾けている。
「何を待ってるのよ」
「記事になる前の状態です」
「白紙でしょう?」
「本当に白紙か、確かめる」
六時十四分。
偽アルディーンの記事が薄くなる。
六時十五分。
紙面が白くなった。
次の瞬間、中央に四文字が浮かんだ。
タスケテ
「え?」
聖華さんが息を呑む。
文字は、一秒も残らなかった。
黒い線が砕け、広がり、新しい見出しへ組み替わる。
『本日、感謝議場にて公開裁判――感謝偽造の被告へ慈愛王が判決』
誰も動かなかった。
新聞は喋れない。
俺たちの問いへ、言葉で返事をすることもない。
その新聞が、いつもの記事が組み上がるより先に、初めて記事ではない言葉を見せた。
「今の、見間違いじゃないよな?」
「四文字でした」
加藤君が、紙に大きく書いた。
「タ、ス、ケ、テ」
聖華さんは、新聞を抱く腕に力を入れた。
「この子が、助けを求めているんでしょうか」
「それとも、誰かがこの新聞を通して知らせたのかもしれません」
誠司さんは新しい記事を読む。
「どちらにしても、今日の裁判と無関係とは思えません」
紙面には、裁判を誰でも傍聴できるとある。
被告は、感謝記録を偽造し、配給品を不正に得た男。
判決はアベル自身が下す。
「行こうぜ」
最強新聞が、いつもの記事になる前に残した依頼だ。
報酬が0でも、断る理由はなかった。




