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ブサメンガチファイター  作者: 弘松 涼
第四章 感謝の国と慈愛の王
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64 感謝の攻略法

 その日の夕方、支店の机は、ようやく本来の使い方をされた。


 食卓ではない。

 会議である。


 加藤君が、大きな紙を三枚広げた。

 一枚目は国民恩恵局で調べた制度。二枚目は、俺たちが実際に受けた仕事と獲得グラティア。三枚目には、意味の分からない線が縦横に引かれている。


「まず、分かったことを整理します」


 眼鏡が光った。


「グラティアは通貨ではありますが、誰かの財布から誰かの財布へ移るものではありません。仕事で恩恵を受けた国民が感謝を登録すると、その記録に応じて国庫が働いた者にグラティアを発行します」

「ありがとうって言った人は、損しないの?」

 リアが聞く。

「はい。感謝する側の残高は減りません。発行されたグラティアを買い物に使うと国庫へ戻ります」

「無限に増やせるじゃない」

「だから、感謝の記録には、誰が、誰に、何について感謝したかが残ります。不自然な相互登録や、実在しない仕事は監査される」


 感謝という言葉に包まれているが、国が仕事と物を管理し、国民に購買権を配る仕組みらしい。


「最低限の食料と住居は、何もできない日でも配給されます」

 誠司さんが補足した。

「病気やけがで働けない方を、飢えさせないためです」

「そこは、かなりいいよな」

「はい。前王の時代には、働けなくなった人が家を失うこともあったそうです」


 聖華さんは、学校でもらった教本を開いた。


「子供たちは、感謝の見つけ方を学んでいました。見えないところで働く人にも気づくように、と」


 聖華さんは、トトを叱ったことも話した。嫌いと言われたこと。それでも逃げず、最後まで見届けたこと。


「僕は、叱り方が下手です」

「はい」


 聖華さんは、間を置かずに答えた。

 誠司さんが一度まばたきをする。


「あ……すみません」

「いえ。事実です」


 聖華さんは笑わなかった。

 教本に目を落とし、静かに続ける。


「でも誠司さんは、必要なら厳しいことを言えます。嫌われるかもしれなくても、今言わなければ、あとでもっと悪くなると分かっているから」


 船を取り上げられた子供と、怒ったトトの顔を思い出しているのだろう。


「私は、嫌いと言われるのが怖かったです。誠司さんは、たぶん怖くても、みんなのために言えるんですね」


 俺は、ゆっくりとうなずいた。


「で、見えないところの仕事をした俺は0だった」

「そこなんです」


 加藤君が二枚目の紙を指した。


「教えている理念と、実際の配給結果に差があります」


 リアが二日間で受けた仕事は、建国祭の照明、広場の装飾、貴婦人の肖像画に光を足すこと。

 合計、41グラティア。


 伶亜さんは、猫の救助、魔物の足跡調査、夜道の護衛。

 合計、9グラティア。壊した屋根の修理費を引けば7グラティア。


「なんでや」

「リアさんの仕事は、大勢の方が同時に見ています。伶亜さんの護衛は、無事に終わるほど何も起こりません」

「何も起こらんように歩いたんやけど」

「優秀な護衛ほど、客には仕事が見えないということです」


 伶亜さんが椅子へ深くもたれた。背もたれが、ぎしりと鳴った。


 リーズが、新聞の記事を書き写した紙を、青い紙束の横へ置いた。

 青い紙束は、町の〈感謝掲示板〉から写してきた王国公報だった。


「公報に掲載された仕事は、翌日以降の感謝記録が増えています」


 屋根から猫を降ろした伶亜さんの記録。

 中央倉庫を半日で整理した加藤君の記録。

 聖華さんの治療の記録。

 青い腕章の感謝記録官が確認した仕事は、掲示板を通して町中へ知らされていた。


 同じ人が同じ仕事をしても、公報に載った方が、あとから町で声をかけられる。現場にいなかった者まで、事情を知って感謝を登録する。


「最強新聞を持ってるのは、俺たちだけだもんな」

「はい。新聞が出来事を見つけることと、王国が国民へ知らせることは別です」


 リーズが、二つの紙を指で分けた。


「町に広めているのは、こちらです。情報は、感謝の所在を示します。知らない恩恵には、人は感謝できません」


 それ自体は正しい。

 俺が直した水場も、記録官に見つかり、掲示板に載っていれば、0ではなかったのかもしれない。


 加藤君が、三枚目の紙に六つの丸を書いた。


 見えること。

 すぐ結果が出ること。

 直接助けられた相手がいること。

 大勢の前で行うこと。

 誰がしたか分かること。

 公報になること。


「この条件が多いほど、同じ労力でも獲得グラティアが増えます」

「攻略法、見つかったじゃない」


 リアは満足そうだった。


「今後は、広場で派手な依頼だけ受ければいいのよ」

「それ、人助けの攻略じゃねぇな」


 俺は六つの丸を見た。


「感謝され方の攻略だ」


 言葉にした途端、部屋の空気が少し重くなった。


 この国の制度は、善意を疑って作られていない。

 困っている人を助ければ感謝される。感謝された者は暮らせる。そうすれば、誰もが人を助けるようになる。


 単純で、優しい。

 優しいから、単純すぎる。


「外を見てみましょう」


 誠司さんが立ち上がった。


「数字だけでは、僕たちが見落としているものもあります」


 翌朝、俺たちは王都の外れへ向かった。


 中央広場から離れるほど、白い壁の汚れが目立ち始めた。華やかな看板が減り、建物の間に荷車と資材が増える。


 西門近くで、外国人観光客の荷物を担ぎ、土産店まで案内している男がいた。

 荷物を下ろすと、観光客が礼を言い、男の腕輪へ感謝の光が入った。


 その背中に、荷車を引いて通りかかった男が声をかけた。長靴には、乾いた土がこびりついている。


「おい。畑はどうした?」

「弟に任せたよ。畑で一年働いても、食った奴は俺の名前なんか知りゃしねえ。荷物を運べば、その場でありがとうと言ってもらえるからな」

「でも、小麦はいるだろ」

「国が買い取ってくれる。最低配給もある。ただ、それだけだ。子供に新しい靴を買うなら、こっちの方が早い」

「だよなあ。畑は割に合わねえよな。俺も思い切ってやめて、別の仕事を覚えようかと思ってる」

「それがいいぜ。あんたんとこの子供も、まだ小さいんだろ?」

「ああ。前向きに考えるよ」


 俺は驚いて、立ち去りかけた荷車の農夫へ声をかけた。


「もしかして、小麦を作る人って減ってるのか?」

「なんだ、唐突に。ああ、たぶんな。俺が知ってるだけでも、畑をやめた奴は両手の指じゃ足りねえよ」

「そんなに?」

「大して感謝もされねえうえに、しんどくて割に合わねえ。そんな仕事を続ける意味もないだろ」

「いや、まあ、この国の仕組みならそうなるのか。……ってか、この国、大丈夫なのか?」

「は? 問題ねえだろ。俺たちの王はアベル様だぞ。必要になりゃ、なんとかしてくださるさ。ははは」


 農夫は俺の心配がおかしいとでもいうように笑い、荷車を引いて去っていった。


 昨日の授業で、子供たちは、普段は見えないところで自分たちの暮らしを支えている人について考えた。朝早くパンを焼く人には気づいた。だが、その材料を作る人までは見えていなかった。


 畑をやめるという判断は、男たちにとって何も間違っていない。

 だからこそ、俺は笑えなかった。


 その先の農具工房では、鍬の刃を頼んだ農夫が、職人と揉めていた。


「来月まで待ってくれ」

「苗は待ってくれねぇよ!」

「俺だって作りたいさ。でも、鍬一本を打っても、感謝するのはあんただけだ。英雄人形なら、同じ鉄で十個作れて、十人が喜ぶ」


 工房の棚には、小さな赤い剣がずらりと並んでいる。

 偽アルディーン人形に持たせる剣だった。


 職人は申し訳なさそうだった。

 農夫も、職人が悪くないことは分かっている。


 だから余計に、話が終わらない。


 中央倉庫へ回ると、加藤君が帳簿の閲覧許可を取った。

 倉庫番は誇らしげに、整然と積まれた箱を見せてくれる。


「アベル様の改革で、配給の無駄は大きく減りました。国民が何を望んでいるか、感謝記録からすぐ分かるようになりましたから」


 青い砂糖菓子の箱。

 英雄人形の箱。

 建国祭用の飾り布。


 奥へ行くと、小麦の箱だけ、積み上げられた高さが急に低くなった。

 乾燥豆も、薬草も、交換用の水道部品も少ない。


「前年からの在庫は?」

 加藤君が聞いた。

「前王時代の備蓄を活用しています」

「減少率を確認できますか」

「なぜです?」


 倉庫番は、本当に不思議そうだった。


「グラティアの発行件数は、今月も過去最高です。国民の感謝が増えている証拠ですよ」


 グラティアが増えている。

 物は減っている。


 この二つが、同じ国で同時に起きていた。


 帰り道、パン屋の前には長い列ができていた。

 誰も怒鳴ってはいない。前に並ぶ者は後ろの老人に順番を譲り、店員は一人ずつに謝り、客はパンを受け取るたびに礼を言う。


 優しい人たちだった。

 優しいまま、パンが足りなくなっていた。


「国は気づいていないのでしょうか」

 聖華さんが言った。

「報告自体は上がっているはずです」

 加藤君が答える。

「水道部品の不足も、農業従事者の減少も、倉庫の帳簿には出ています」

「なら、なんで直さない?」


 俺の問いに、誠司さんはすぐ答えなかった。


 通りの〈感謝掲示板〉に、王国からのお知らせが貼られていた。


 〈感謝経済は移行期にあります。一部物資の不足は、旧制度から新制度へ生まれ変わる過程で生じる一時的なものです。互いの働きを知り、より多くの感謝を伝えましょう〉


「気づいていないんじゃない」


 誠司さんは、その文章を最後まで読んだ。


「感謝が増えれば解決すると、信じているのかもしれません」


 支店へ戻ると、新聞の一面は明るい記事で埋まっていた。


 グラティア発行、過去最高。

 建国祭の満足度、98パーセント。

 慈愛王アベル、明日も市内を巡回。


 紙面の隅に、小さな記事がある。


 〈北部配給所、小麦粉の入荷を延期〉


 記事は正しい。

 どちらも正しい。


 ただ、どちらを大きく見せるかは、誰かが決めていた。


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