62 感謝精度5の男
支店に最初に来た客は、依頼人ではなかった。
朝、店先を掃いていると、通りの向こうから白い外套が見えた。
アベルは今日も供をほとんど連れずに、肩に色鮮やかなオウムを止まらせて歩いている。市場の店主と話し、子供の頭を撫で、壊れた街灯を見つければ役人に記録させる。
王様が毎朝、自分の足で街を見て回る。
市民が自慢するのも分かる。
「おはようございます。昨夜は、よく眠れましたか?」
アベルは支店の看板を見上げ、嬉しそうに笑った。
「立派な看板ですね。セレノアに新しい力が加わったことを、僕も誇りに思います」
その声に、誠司さんたちも奥から出てきた。
「おかげさまで、形だけは整いました」
「形から始まることもあります。最初に理想を掲げ、人がその理想へ追いつけばいい」
アベルの肩で、オウムが首を傾げた。
「ハカる! カンシャ、ハカる!」
「また始まった」
アベルが苦笑する。
「この子は〈感謝鳥〉と呼ばれる魔鳥でね。人が抱いている感謝の強さを、数字にして教えてくれるんです」
「腕輪のグラティアとは違うのか?」
「ええ。あちらは人から受け取った感謝。こちらは、あなた自身が僕やこの国へ感じている感謝です」
「王様への好感度みたいなもんか?」
「もう少し美しい言い方をしてほしいですね。まあ、あくまで目安です。ちょっとした余興だと思ってください」
オウムが翼を広げた。
「セイジ、88!」
誠司さんの頭上に、淡く「88」と浮かんだ。
「セイカ、98! セイカ、カワイイ!」
「そんなに? ……かわいい?」
「後ろの言葉は数字と関係ありません。この子は、耳にした言葉をすぐ覚えてしまうんです」
アベルはオウムの嘴を指先でそっと閉じた。だが、指を離した途端――
「セイカ、カワイイ!」
「カトウ、95!」
「制度の理念については、高く評価しています」
「リア、68!」
「ちょっと。あたくしが加藤より低いってどういうことよ」
「レイア、79!」
「どうでもええわ」
伶亜さんは欠伸をした。
オウムはリーズの前で、右に首を傾けた。
左にも傾けた。
一度、逆さになった。
「フメイ!」
リーズは黙っている。
「フメイ! ムカツク!」
俺は吹き出した。
アベルは吹き出さなかった。
「鳥にまで沈黙を貫くのかい?」
「沈黙をお許しください」
「……そう」
ほんの一瞬だけ、アベルの笑顔から温度が消えた。
最後に、オウムが俺を見た。
羽を逆立て、確信に満ちた声で叫ぶ。
「シゲル、5!」
静かになった。
「50?」
聖華さんが助け舟を出した。
「5!」
オウムが念を押した。
「俺も、まあまあ感謝しているんだぜ?」
「5で?」
アベルが初めて、笑顔を作り損ねた。
え? わりとガチ? これ、余興じゃなかったのかよ?
「寝る場所はある。食べ物も、病院もある。外国人の俺たちにも、働ける場所を用意してくれた。あんたも毎日よく頑張っていると思うよ」
「では、なぜ5なんです?」
「俺に聞かれても。そいつが出したんだろ」
「この国へ不満があるなら、聞かせてください」
口調は穏やかだった。
けれど、アベルはわずかに身を乗り出している。
こっちの話を聞きたいというより、何か言いたくて仕方がないように見えた。
「昨日、水場を直した。水は出た。けど、俺の稼ぎは0だった」
「君が直したと、誰も知らなかったからでしょう。昨日も言いましたが、人を集めてから直せば――」
「それだよ」
「何がです?」
「たぶん、あんたへの感謝が5しかない理由だ」
アベルの眉が動いた。
「人を集めるには、先に困ってもらわなきゃならない。水が完全に止まる。困った顔が増える。そこで俺が登場して、みんなの前で直す。そうすりゃ感謝される」
「そんなことを勧めた覚えはありません」
「でも、この仕組みで一番稼げるのは、そういうやつだろ」
オウムが羽ばたいた。
アベルは、その脚を指でそっと押さえた。
「制度は、使う人の善意を前提にしています」
「そうかもな。俺がやったことも、制度の外じゃ善意の仕事だったと思うぜ」
しばらく、誰も口を挟まなかった。
アベルの視線が俺から離れる。
誠司さん、聖華さん、加藤君、リアへ移ると、いつもの柔らかさが戻った。
「だからこそ、あなた方のような方々に期待しているんです」
アベルは支店の中へ一歩入った。
「誠司さん。あなたの公正さは、この国の揉め事を減らせる。加藤さんの正確さがあれば、配給の無駄をなくせる。リアさんの魔法は、人々の心を明るくする」
「当然ね」
「聖華さん。救護院で献身的に働いていたと聞きました。この国には、あなたのような優しい方が必要です」
聖華さんは困ったように微笑んだ。
「ありがとうございます。でも、私はヴィスブリッジのみんなと仕事をしたいです」
「もちろんです。だから支店ごと、力を貸してほしい」
アベルの目は真剣だった。
本当に、この国をよくしたいのだろう。
それだけなら、何もおかしくない。
だが、俺の横にいるリーズへは、もう一度も目を向けなかった。
「加藤君。このまま支店で仕事を受けられると思いますか?」
誠司さんが聞いた。
加藤君は、昨日の依頼票と収支記録を机へ並べた。
「難しいです。報酬額が事前に分かりません。スタッフを派遣しても、相手の感謝が記録されなければ収入は0です。人件費も必要時間も読めません」
「金、取るの?」
リアが聞いた。
「会社ですからね」
加藤君は眼鏡を上げた。
「そもそも、ぼくたちはこの国で何をすると感謝されるのかを理解していません。感覚だけで運営するのは危険です」
アベルは、気を悪くした様子もなく頷いた。
「感謝の仕組みを学べる場所があります。国民恩恵局の講習と、学校の公開授業です。制度を知れば、この国の素晴らしさがもっと分かるでしょう」
王の声には、迷いがなかった。
俺は、0の記録が残った腕輪を眺めた。
「攻略してみるか。この国を」
感謝という名のゲームなら、まずルールを知らなければならない。




