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ブサメンガチファイター  作者: 弘松 涼
第四章 感謝の国と慈愛の王
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60 支店まで作って社畜になる

 ヴィスブリッジ・セレノア支店。


 白い壁。青い屋根。大通り沿いの三階建て。

 立地も広さも申し分ない。

 何より、玄関にはすでに真新しい看板がかかっていた。


〈ヴィスブリッジ・セレノア支店〉


「まだ正式に承諾すると言ってないですよね?」


 加藤君のメガネが、朝日を受けて冷たく光った。

 誠司さんから連絡を受け、彼は甲斐さんと手続きを確認した上でセレノアへ来た。

 ついでにリアも連れてきた。


「ついでとは何よ!」

「ぼくは支店設立のために来ました。あなたは自分でセレノアを見たいと馬車へ乗ったのでしょう」

「それなら、あたくしも支店設立のために来たことにするわ」

「過去を書き換えないでください」


 加藤君とリア、またごちゃごちゃ言い合ってる。

 なんだかんだ言いながら、結局いつも一緒にいるよな。


 伶亜さんは支店の扉にもたれていた。

 細い黒縁に、目元をすっぽり覆う横長のレンズ。くたびれたレザーアーマーと長い髪に、黒いサングラスが妙に似合っている。


「伶亜さん、黒い眼鏡をかけるようになったんですね。素敵です。とても似合っています」


 聖華さんが、嬉しそうに言った。


 サングラスな。


「そ、そうか?」


 伶亜さんは照れたのか、聖華さんから顔をそらした。

 そのまま支店の扉を指先で二度叩き、返ってくる音へ耳を澄ませる。


「三階建てか。ずいぶん立派な支店だな」


 目が見えていないなんて、知らない奴には分からないだろう。

 あのサングラスは、もしかしたら傷を隠すためなのかもしれない。けど、俺には、それだけじゃないように見えた。

 今の自分で、もう一度人の中を歩くために選んだのかもしれない。

 こいつなりに、ちゃんと前へ進んでんだな。


 そういや伶亜さん、教団の一件から、かれこれずっとここにいるな。


「あんた、ヴィスブリッジの社員になったの?」

「なってない」

「なればいいのに」

「こんなグレたの、社員にいらんだろ?」


 聖華さんにも何度か誘われたらしいが、そのたびに軽く笑って断っているそうだ。

 なのに、なぜ今日もここにいる?


 まあ、細けぇことはいいか。聖華さんも喜んでるし。


 登録書類にも、建物の所在地とヴィスブリッジの名前がすでに印刷されていた。


「必要事項は、王宮でご用意いたしました」


 白い制服の役人が、何でもないことのように説明する。

 支店の名義で仕事を引き受けること。国の施設を利用すること。グラティアを共同口座へ入れること。事故があった際の保障。

 どれもこの国で働くなら必要に思える。


 加藤君は、開設だけでなく、休止と閉鎖の決裁権もヴィスブリッジ側にあることまで確かめ、すべての書類を読み終えた。誠司さんと甲斐さんの承認も、書面で残している。


「法的な問題は見当たりません」

「だったら、これで決まりですね」


 アベルは心底嬉しそうに笑った。


 登録の最後には、王からの激励と、適性確認を兼ねた簡単な面談があった。


 アベルが、一人ずつに問いかける。


「命令と記録が食い違ったら、あなたはどちらを信じますか?」

「どちらも信じません。記録の作成過程と命令の根拠を確認します」


 加藤君が答える。

 アベルの肩に止まっていた色鮮やかなオウムが、喉の奥で何度か音を転がした。アベルはその喉を、褒めるように指で撫でる。


「あなたの力を、最も美しく使える場所はどこだと思いますか?」

「それを決めるのは、あたくしよ」


 リアは胸を張る。


「でも、大勢の人に喜ばれるのは好きでしょう?」

「当たり前でしょ。美しいものを見たら、喜ぶのが正常なの」


 オウムが翼をぱたつかせた。


「アベル、ウレシイ。アベル、ウレシイ」

「何よ。見る目があるじゃない」

「この子は、僕の言葉をよく覚えているんです」


 アベルは苦笑しながら、またオウムの喉を撫でた。


 誠司さんには、「国と仲間のどちらを優先するか」と聞いた。


「どちらかを犠牲にしなければならない段階になる前に、できることをします」


 聖華さんには、「嫌われても正しいことをできるか」と聞いた。


「その方のためになるなら、できるようになりたいです」


 強い答えをしようとして、できるとは言い切らなかった。


 リーズは、何を聞かれても、「沈黙をお許しください」で通した。

 俺は、「この国をどう思うか」と聞かれた。


「まだ分からん。見た感じは悪くねぇけど」

「多くの人が、この制度に救われています」

「あんたも頑張ってると思うよ」


 オウムが首を傾げた。


「アベル、カナシイ」

「なんでだよ。一応、褒めただろ」


 俺が抗議すると、オウムはもう一度、「カナシイ」と念を押した。

 アベルの笑顔が、俺のときだけ少し固くなった。


 登録が終わり、支店を開けた。

 受付の札を〈営業中〉へ裏返した。


 それから半日。

 客、ゼロ。

 現地スタッフへの応募、ゼロ。


「支店まで作って、また社畜になるの?」


 リアがソファで横になっている。


「社畜は働いています。あなたはただ横になっているだけです」

「これは大局を見ているの」

「天井しか見ていません」


 加藤君は、今日四回目の深いため息をついた。


「見ているだけでは、この国の仕事は分かりません」


 誠司さんが、入国時にもらった案内冊子を広げた。


「ヴィスブリッジで現地の方へ仕事を紹介するにも、まずは僕たちが仕組みを知る必要があります」


 案内冊子には、〈国民恩恵局〉の地図があった。


 国民恩恵局は、市役所と冒険者組合と職業紹介所を、一つの建物へ無理やり詰め込んだような場所だった。

 広いホールの壁一面に、依頼票が貼られている。

 文字を読めない者のために、案内係が依頼内容を順番に読み上げてもいた。


〈南地区救護院 患者案内と治療補助〉

〈中央広場 建国祭用照明魔法〉

〈共同倉庫 在庫と帳簿の差異調査〉

〈西地区第三水場 水の出が悪い〉


 報酬の欄を探した。

 どの依頼にもない。


「これ、いくらもらえるんです?」

「報酬は、仕事が終了した後、皆様から寄せられた感謝に応じて王国が配給いたします」

「やってみるまで、分からない?」

「感謝に値段を付けることはできませんので」


 案内係はまっすぐに答えた。

 グラティアを多く得られる仕事には、見えないところで人が集まっている。水場の依頼は三日前から壁の端に残っていた。


「これにするか。水の詰まりくらいならすぐ終わるだろ」


 俺は水場の依頼票を剥がした。


 誠司さんは市場の仲裁。

 聖華さんは救護院。

 加藤君は共同倉庫。

 リアは建国祭の魔法演出。

 リーズは紛失資料の捜索。


「続いて、東二番通り。屋根から降りられなくなった猫の救助です」


 案内係が依頼を読み上げた。


 伶亜さんが黒いサングラスの縁へ指を触れた――かと思った次の瞬間、その姿はホールから消えていた。

 案内係が持っていた依頼票もなくなっている。


「……猫と聞いた瞬間に行っちまったぞ」

「伶亜さんにとっては、何より優先すべき依頼なのでしょう」


 それぞれが依頼票を持ち、恩恵局を出た。


 新聞はその日、紛失物の所在、施設の混雑時間、雨の降る時刻を何度も書き換えた。

 リーズは新聞の記事を使って紛失資料を見つけ、聖華さんは救護院が混む前に必要な薬を運んだ。


 市場では、同じ露店の場所を二人の店主が自分のものだと主張していた。

 誠司さんは片方を追い出すのではなく、過去の使用日と人通りを確かめ、午前と午後で場所を分ける案を出した。二人が渋々握手したあと、両方から感謝の光が入った。


 救護院へ着いた聖華さんは、治療魔法を使う前に、待合室の患者を症状ごとに分けた。泣く子供へ話しかけ、重い患者を先へ通し、自分は休む間もなく傷を塞いだ。患者や家族が礼を言うたび、腕輪の数字が増えていった。


 共同倉庫では、加藤君が帳簿の重複と在庫の置き間違いを見つけた。半日かけて棚札まで作り直したが、その便利さを知ったのは倉庫番二人だけだった。


 一方、中央広場では、リアが空一面へ光の花を咲かせていた。


「もっと驚いていいのよ!」


 百人が歓声を上げ、腕輪へ次々に感謝が入る。


 リーズは新聞が示した書庫の隙間から紛失資料を抜き出し、依頼人へ渡した。


「どこにあったんです?」

「あなたが昨日、置きました」

「……あ、ありがとう」


 感謝は一件だった。


 伶亜さんは鳴き声だけで猫の位置を捉え、抱き上げると屋根から飛び降りた。

 飼い主に泣いて喜ばれた直後、踏み抜いた瓦の修理費を請求された。


 同じ半日でも、働き方も、見られ方も、返ってくる感謝も違う。


 俺は一人で西地区へ向かった。


 仕事の分担だけが、一人になった理由ではない。

 俺の特記事項には、入金率一万分の一という、どうしようもない項目がある。リラを収入として受け取れば、俺へ残るのは一万分の一。手にした金が消えたことさえあった。

 だが、グラティアは金貨ではない。感謝が光になり、腕輪の記録へ加算される。

 こいつまで「入金」に数えられるのか、一度試しておきたかった。


 第三水場は、集合住宅に囲まれた小さな洗い場だった。石造りの水盤が三つ。蛇口をひねっても、細い水しか出ない。


 蛇口を外した。

 詰まっていない。


 水盤の下を確認した。

 ここも正常。


 耳を澄ます。

 壁の向こうから、一定ではない水音が聞こえる。

 どこかで水が漏れ、流れが脈打っている。


「根っこは、こっちか」


 裏路地に、古い地下水路へ続く鉄扉があった。

 中へ入ると、湿った石と藻の臭いがした。天井から落ちる水滴が古い通路へ響いている。


 少し進むと、主水路の支柱が折れ、石壁が内側へ傾いていた。

 木の板と布を詰め込んだ応急処置が何層にも重なっている。今日昨日の崩れではない。ずっと前から、誰かが壊れるたびに埋めてきた。


 このままなら、水場一つどころではない。

 地区全体の水が止まる。


 人の気配がないことを確認し、俺は倒れかけた石柱を持ち上げた。

 この身体にとっては、羽根よりも軽い。

 それでも、人前でやれば騒ぎになる。


 新しい支えと交換し、壁の隙間を端材と砂で塞ぎ、水路の傾きを戻した。

 一気に水量が増す。

 地上の遠い場所で、子供たちの歓声がした。


「出たぞ!」

「水が戻った!」


 しげるさんが直しました、と叫ぶ声はない。

 当たり前だ。地下にいる俺の姿など、誰も見ていない。


 地上へ戻ると、白い外套を着たアベルが水場を見ていた。

 肩には、登録面談のときのオウム。


「水が戻ったようだね」

「そうみたいだな」

「君が直したの?」

「依頼は蛇口の調査だったけど、原因は地下にあった。だから、まぁ」


 アベルの目が細くなった。


「どうして、人を集めてから直さなかったの?」

「壊れる前に直した方が楽だろ」

「君が救ったと知れば、大勢が感謝するのに」

「水が出りゃ、それでいいじゃん」


 オウムが、くるりと首を傾げた。

 アベルは、どこか落ち着かない顔をした。


「君は、この国をどう思う?」

「悪くはねぇよ。あんたも頑張ってると思う」


 王様に向かって、上から目線の評価だったかもしれない。

 だが、嘘は言っていない。


 アベルは微笑んだ。

 その笑顔は崩れなかった。けれど、その目が笑っていないように見えた。


 夕方、恩恵局で仕事の終了を報告した。


「西地区第三水場、復旧を確認しております」

「だろ。で、いくら?」


 係員が俺の腕輪を確認した。


「感謝記録は、零件です」

「うん」

「したがって、今回の配給は零グラティアとなります」

「うん?」


 水は出た。

 仕事も終了扱い。

 だが、零。


 これでは実験にもならない。

 グラティアなら入金率をすり抜けるのか。それとも、リラと同じように一万分の一まで削られるのか。

 入ってこなかったものでは、確かめようがなかった。


「窓口のあんたが、王国を代表してありがとうって言ってくれたら?」

「私は恩恵を受けた当事者ではありません。役人が国民を代理して感謝を発行することは、不正防止のため禁止されております」

「がっちりしてんな」


 感謝されなかった。

 それだけのことだ。


 支店へ戻ると、机の上にグラティアの結果が並んでいた。


 腕輪に表示された「G」は、グラティアの略だ。


 聖華さん、26G。

 リア、22G。

 誠司さん、8G。

 加藤君、2G。

 リーズ、1G。

 伶亜さん、3G。屋根の修理で2G減って、実質1G。

 俺、0G。


「俺、この国で一番大きな仕事したと思うんだけど」

「リアさんの魔法も、大勢の方を笑顔にした立派なお仕事です」


 聖華さんがすぐにリアを庇った。


「それは分かってます。別にリアの仕事が無価値だと言ってるんじゃないよ」

「あたくしの美しさに感謝が集まるのは当然でしょう」

「うん。もう、それでいいよ」


 結果だけ見れば、俺は何もしていない。

 誰も、俺へ感謝していないのだから。


 聖華さんは、自分のグラティアを支店口座へ移した。

 誠司さん、加藤君、リーズも続く。リアは少し迷ってから、全額入れた。伶亜さんは、余っていた一グラティアを放り込んだ。

 共同口座は、国が支店へ認めた事業用の配給枠である。誰か個人の腕輪へ払い戻すことはできない。俺が金として受け取るわけでも、触れる必要もなかった。


「みんなで使えばいいじゃないですか」


 聖華さんの腕輪から、支店口座へ光が流れ込んだ。


 しげるさんも働きましたよ、と言ってくれる者が、ここにはいる。


 一人で暮らすのはきついかもしれない。

 だが、仲間と支え合うのなら、この制度も悪くない。


「明日は、このグラティアで支店に必要なものを揃えましょう」


 誠司さんが言った。


 支店の中には、まだ何もない。

 それでも、窓の外には感謝の光が行き交い、新しい看板は夕日の中で輝いていた。


 この時点では、俺も、この国を嫌いにはなれなかった。


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