第2章
女神官は唇を固く結んだ。
「真実が怖いから、嘲っているのね」
彼は少しのあいだ女を見つめ、それから突然、薄く笑った。
顎へまた血が流れる。
「違う。お前らの『真実』が分かり始めた」
アズガルは黙って立っていた。魔族たちは耳を傾けている。グロムまで満足そうに鼻を鳴らすのをやめ、少し首を傾けた。
「予言があるんだろ」
彼は言った。
「異世界から真なる影の君主が現れる。均衡を崩す。天秤を魔族側へ傾け、人間に敵対する。そうだな?」
女神官は黙っていた。
代わりに剣士が答えた。
「そうだ」
「きれいだ。重々しい。ほとんど説得力まである。ただ、どうやら文章が途中で切れてる」
女神官が勢いよく目を上げた。
「侮辱するな」
「なぜ?」
彼の笑みが少し広がる。
「もう槍で突かれたんだ。これで俺も神学論争の当事者だろ。解釈する権利くらいある」
「予言は七百年、〈光〉の神殿に守られてきた」
「じゃあ七百年、尻で読んできたわけだ」
剣士が飛びかかろうとしたが、グロムが肩を締め上げる。男は苦しげに息を漏らし、力を失った。
女神官は怒りで真っ青になった。
「穢れた者め」
「その穢れ話はあとにしろ。完全版を聞け」
彼は息を吸った。腹が痛んだが、顔には出さない。
「異世界より真なる影の君主が来たる」
わざとゆっくり、ほとんど厳粛に読み上げるように言う。
「されど君主は、自ら目覚めるにあらず。魔族が目覚めさせるにもあらず。なぜなら彼のもとへ、揺るぎなき〈光〉の馬鹿が四人やって来るからである……」
リラが小さく鼻を鳴らした。
彼は続けた。
「……剣と槍と聖なる布切れ、それから自分たちの絶対的正義を武器にして。彼らはパンと卵とチーズを持って家へ帰る途中の男を見つける。未来の悪と呼ぶ。名を尋ねない。望みも尋ねない。選択も与えない。そして自分たちが怪物だと決めつけたものを鉄で突き続け、その怪物が本気で腹を立てるまでやめない」
女神官は、顔を殴られたかのように彼を見ていた。
彼はもう止まれなかった。
怒りがあった。痛みがあった。恐怖も。
そのうえで、自分が相手の腐った場所を見つけ、そこへ指を押し込んでいると理解した人間特有の、冷たく、どこか愉快ですらある明晰さがあった。
「それで怪物が怒ったら」
彼は言った。
「初めて考えるわけだ。初対面の挨拶が腹への槍って、こいつらどんな連中なんだ? 他人の世界まで来て丸腰を殺す〈光〉って何だ? 自分を保つために四人の殺し屋と都合のいい文章を必要とする信仰って何だ?」
「私たちは戦争を防ぎに来た」
女神官が囁いた。
「違う。お前らは戦争の理由を作りに来た」
沈黙が重くなった。
濡れた中庭まで静まったようだった。
「嘘よ」
女は言った。
だが、声にはもう先ほどほどの強さがない。
「いや、即興だ。そこは違う。嘘っていうのは、お前らの坊やが俺の腹を刺したあとでも自分たちを英雄と呼ぶことだ。俺はただ、お前らの聖なる取扱説明書に欠けてる部分を補ってるだけだ」
彼は剣士へ向いた。
「正直に答えろ。お前。叙任勇士。こういう瞬間を望んでたんだろ?」
剣士が目を上げた。
「義務を果たしたかった」
「違う。義務なんて退屈なものだ。それはあとから自分を隠すために使う。最初にあったのは別だ。世界を救うと言われた。悪が育つ前に見抜ける日が来ると言われた。そのとき自分の手は震えないと。弱く、迷い、汚れた普通の人間より、お前は上等だと。なぜならお前は〈光〉だから」
男の顔が灰色になった。
「黙れ」
「ところが悪の正体は、買い物袋を持ったおっさんだった。それでもお前は刺した。そこで立ち止まって考えたら、『英雄である自分』っていう綺麗な物語が崩れ始めるからだ」
「黙れ!」
グロムがまた男をその場へ押さえつけた。
彼は笑わず、剣士を見た。
「お前が殺したかったのは俺じゃない。師匠どもが作ってくれた『自分』を、そのまま守りたかったんだ」
女神官が囁いた。
「精神を毒している……」
「違う。質問してるだけだ。お前らの信仰じゃ、だいたい同じ意味なんだろうが」
アズガルがゆっくり捕虜から彼へ視線を移した。
そこには今までなかったものがある。
慎重な、注意深いもの。
彼はそれに気づいて薄く笑った。
「どうした、アズガル。影の君主って、こんなのを想像してなかったか?」
魔族は頭を下げた。
「誰も、あなたがどのような方か知りませんでした」
「俺も知らなかったよ。朝は、卵を夕飯にする疲れたおっさんで一日が終わると思ってた。夕方には異世界間の狩猟対象だ。充実した一日だな」
リラは今度こそはっきり笑った。
女神官が目を閉じる。
「それでも、あなたは予言どおりのものになる」
彼は痛みの許す範囲で、女へ身を寄せた。
「かもしれない」
女が目を開く。
彼は声を落としたが、一語一語は明瞭だった。
「ただ覚えておけ。もしそうなったとしても、お前が未来を『見た』わけじゃない。未来を『作る作業に参加した』んだ」
女神官は黙った。
「大事な違いだ」
彼は続けた。
「予言は窓かもしれない。馬鹿向けの手順書かもしれない。お前らは後者を選んだ」
剣士が掠れた声を出した。
「お前が役に立たなくなれば、魔族はお前を殺す」
「かもな」
彼は答えた。
「ただ、今の計算は簡単だ。〈光〉の人間は俺を見つけて、刺し殺そうとした。魔族は俺を見つけて、刺していた連中を止めた。俺は大人だ。二までなら数えられる」
「奴らは化け物だ」
彼は一瞬、自分の服に開いた槍の穴へ目をやった。次に壁際の死んだ槍兵。そして女神官。
「今日、その言葉はずいぶん安くなったな」
アズガルが一歩近づいた。
「もう行かねばなりません」
彼は頷いたが、捕虜から目を逸らさなかった。
「ああ。お前らの世界を見てみる価値はありそうだ」
女神官が身を震わせた。
「駄目」
今度こそ、その声には本物の恐怖があった。
彼はそれを聞いて、最も痛い場所へ触れたのだと理解した。
「駄目?」
彼は柔らかく聞き返した。
「なぜだ? お前らが恐れていたのは、まさにそれじゃないのか? 俺が、人間ってどんな連中なのか見たくなること。お前らの〈光〉がどうできてるか。誰が予言を書くのか。誰が槍を持った若者を、知らない人間を殺しに送り出すのか」
「あなたは破滅をもたらす」
「かもしれない。あるいは、都合の悪い質問をしすぎるだけかもしれない」
彼は後ろへ身体を預け、リラに支えさせた。
「どっちにしろ、おめでとう。今日、お前らの信仰は魔族のために、俺が人生で見たすべての魔族以上の仕事をした。ちなみに魔族を見てから、まだ十分くらいしか経ってない」
女神官は黙った。
剣士が顔を背けた。
それはほとんど、自白と同じだった。
彼はアズガルへ視線を移した。
「答えを得られる場所へ連れていけ。崇拝はいらない。答えだ。俺がお前らの世界で何なのか。この《刻印》は何なのか。人間はどうやって俺を見つけた。次に誰が来る。それと、くそったれな予言の残りのページはどこだ」
アズガルが片膝をついた。
「仰せのままに、君主様」
「それはやめろって言った」
短い間を置いて、魔族は言い直した。
「仰せのままに」
今度は少しましだった。
「答えが要る」
彼はもう一度、アズガルに言った。
立とうとした。脚が裏切った。リラが腕を取る。振り払いたかったが、身体は誇りより生存を選んだ。
グロムは剣士を肩へ担いだ。煙と骨の魔族が、影で縛られた魔術師を持ち上げる。リラは女神官を引いていった。
死んだ槍の青年だけが壁際に残された。
彼はそれに気づいた。
「あいつは?」
アズガルがそちらを見た。
「死んでいます」
「それは見れば分かる」
「連れていきますか?」
妙な質問だった。
身体が冷えた。
自分でも、なぜ訊いたのか分からない。あの青年は彼を殺そうとした。腹を刺した。自分の選択と、他人から与えられた信仰の結果として死んだ。
それでも一時間前には、生きた若者だった。槍を持ち、自分は本当に世界を救うのだと信じていたのかもしれない。
「ああ」
彼は言った。
「連れていけ。ゴミみたいにここへ置くな」
アズガルが注意深く彼を見た。
「慈悲ですか?」
「違う。始末をつけるだけだ」
魔族はグロムへ頷いた。グロムは空いたもう片方の手で、何の苦もなく槍兵の遺体を持ち上げた。
建物のあいだの通路に、闇が開いた。
物語に出てくる門のような転移ではなかった。
むしろ、そこだけ場所そのものが欠けたようだった。夜の一部が、周囲より深くなる。そこから乾いた風、灰、それから遠い金属のような匂いが流れてきた。
彼は境目で足を止めた。
背後には中庭。濡れたアスファルト。潰れた卵。水たまりのパン。人々がもうテレビを見直し、自分たちのことで言い争っている窓。
普通のままでいるふりを続ける、彼の世界。
隣には魔族たちが立っていた。
恐ろしい。
異質だ。
危険だ。
それでも彼らは、彼の死を求めて来たのではない。
彼は息を吸った。
腹が痛みで答えた。
「分かった」
彼は言った。
「お前らが何をそんなに怖がってるのか、見てやろう」
そうして〈影〉へ踏み込んだ。




