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影の君主  作者: Svolik
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第1章 帰り道

アニメとヘンタイの境界線を保ちつつ、この題材を大胆に、あるいは勇気を持って映像化してくれる漫画家が見つかれば嬉しいです。ヘンタイ自体に反対しているわけではありませんが、読者層は狭くなるでしょう。条件については交渉可能です。ストーリーは長大で、何年もかけて制作するのに十分な長さです。

これを読んでいる間、せめて一言でも書いてください。少しは恥を知ってください。さもないと、私は虚空に向かって書いていることになります。

その晩、彼は仕事を四十三分だけ長く続けた。


もっと後になって、痛みが記憶へ変わり、その記憶さえ新しい人生の一部になってから、彼は何度もその数字を思い返した。四十三分。笑ってしまうほど日常的な長さだ。コーヒーマシンの前でどうでもいい話をしても、固まった報告書を待っても、鍵を探しても、交差点の渋滞にはまっても、そのくらいの時間は簡単に失う。


四十三分あれば、人間は自分の運命のまったく別の地点に立っていることがある。


彼は左手に買い物袋を提げて店を出た。中にはパン、チーズ、卵一パック、ミネラルウォーターの瓶、それからレジ脇で疲れに任せて無意識に取った、どうでもいい甘い菓子が入っていた。長く、乾いて、妙に肌にまとわりつく一日だった。映画も本も人間も、もう何も欲しくない。家に帰り、靴を脱ぎ、湯を沸かして、台所で十分ほど一点を眺めていたい。そんな日だった。


スマートフォンの残量は九パーセント。


空は低く垂れ込めていた。雨はもう止んでいたが、アスファルトは街灯を受けてまだ光っている。水たまりでは窓の黄色い明かりが揺れていた。どこかの中庭で古い車が咳き込み、集合住宅の扉が閉まり、犬が短く一声吠えて黙った。


彼はいつもの道を歩いていた。


薬局の脇を通り、小さな公園を横切り、夜になると避難の途中で置き去りにされたように見えるブランコのある児童公園を抜ける。その先には建物と建物のあいだを通る、狭くて暗いが近道になる通路があった。昼なら小学生やベビーカーを押す母親たちが行き交う。夜は誰もいない。


何百回も通った道だった。


だからこそ、四人の姿にはすぐ気づいた。


通路の出口に立っていた。


煙草も吸わない。話もしない。スマートフォンも見ない。ただ、ある特定の誰かを待ち続け、ようやくその相手が現れたかのように立っている。


最初、彼はコスプレ系のロールプレイヤーかと思った。


あまりに馬鹿げた考えだったので、かえって少し安心した。この街でも、妙な祭りや撮影、歴史再現の集まりくらいはある。マントをまとい、革のベルトを巻き、模造剣を下げた人間。世の中にはいろいろいる。


だが、その四人は違って見えた。


一人は背が高く肩幅が広い。金属の胸甲をつけ、腰に短剣を佩いている。二人目はもっと若く、痩せ型で槍を持っていた。三人目は女。鎖帷子の上から白い外套をまとい、胸には太陽の紋章。四人目は少し後ろに立ち、銀糸の刺繍が入った濃紺の服を着ていた。目に見える武器はない。だが、言葉ひとつで他人の運命を決めることに慣れた者の顔をしていた。


四人が動き、道を塞いだ。


彼は立ち止まった。


手の中で袋がかすかに鳴った。


「皆さん」


短い間を置いて、彼は言った。


「これがドッキリなら、今日は観客として最悪ですよ」


誰も笑わなかった。


大男が一歩前へ出た。身につけた金属は舞台衣装のようには鳴らない。重く、本物らしい鈍い音を立ててずれただけだった。


「こいつだ」


槍の青年が言った。


若い声だった。張り詰めていて、どこか厳粛ですらある。


白い外套の女は、彼の皮膚の下に何かおぞましいものを見つけようとするような目を向けていた。


「確かなの?」


四人目が手を上げた。指先に淡い金色の光が灯る。


目の前の空気が震えた。


突然、歯が痛んだ。ひどくはない。ただ、金属でガラスを引っかく音を聞いたときのように不快だった。光は濡れたアスファルトを滑り、靴を抜け、脚を上り、胸から顔へと通過して――消えた。


四人目が息を吐いた。


「《刻印》がある」


大男がゆっくり剣を抜いた。


その瞬間、普通の夜は終わった。


雷鳴もなかった。閃光もなかった。世界と世界のあいだに亀裂が走ったわけでもない。ただ、武装した男が目の前にいて、どうやらこれから本物の鉄で自分を斬るつもりなのだと理解した。


彼は一歩下がった。


「待て。何してる?」


「真なる影の君主」


女が言った。


診断名のように。判決のように。


彼は瞬きをした。


「誰が?」


槍の青年が両手で柄を握り直す。


「しらばっくれるな。俺たちは〈光〉の勇士だ」


「若いの」


恐怖よりまだ強い怒りが腹の底から湧くのを感じながら、彼は言った。


「何の話かさっぱり分からん。こっちは卵の入った買い物袋を持って、スマホの電池も切れかけだ。金が欲しいならそう言え。芝居がしたいなら、もっと若い相手を探せ」


剣を持つ大男が近づいてきた。


走らない。落ち着いて。


まずい。


若い頃、彼はボクシングをやっていた。短期間ではあったが、形だけではない。その後には合気道、射撃場での射撃、登山、クライミング、長距離サイクリング、趣味のナイフ、古い剣術書、路上格闘を分析する動画。そして若い頃には、考えるより先に動かなければならなかった不愉快な夜も何度かあった。自分を戦士だと思ったことはない。だが、押されただけで倒れるような、たるんだ事務職の身体でもなかった。


もう若くはない。長い一日の後には背中がそれを教え、口元には疲れた皺も刻まれている。それでも身体は締まり、筋が通り、まとまっていた。黒い髪のこめかみには白いものが混じり始め、顔からはとうに柔らかさが消え、問題になる前に余計なものへ気づく目が身についている。


脅威がどういう姿をしているかは知っていた。


そして今、目の前にあるのは種類そのものが違う脅威だった。


彼の知識はすべて、自分の世界の人間を相手にするものだった。拳、ナイフ、瓶。先に殴ること。攻撃者の心理。相手もジーンズと上着を着た人間である場合の話だ。生まれたときから鉄を握っていたかのように剣を扱う、鎧姿の男を相手にするためのものではない。


彼は買い物袋を大男の顔へ投げつけた。


空中で袋が開いた。パン、卵、ミネラルウォーター、チーズが飛び散り、胸甲や肩や兜にぶつかる。卵の一つが剣士の頬で割れた。


ほんの一瞬、男が瞬いた。


〈光〉の勇士か。


場違いなくらい鮮明な思考が頭をよぎった。


卵でも食らえ、〈光〉の勇士。


彼は脇へ飛び出した。建物の壁際に、ぎりぎり人一人が通れる隙間が残っている。抜けられれば。入口のほうへ出られれば。誰かに聞こえるほど叫べれば――。


槍の青年のほうが速かった。


柄が膝裏を打った。


脚が崩れる。濡れたアスファルトに倒れ、掌と肩を強く打ちつけた。肺から息が抜けた。転がりながら、槍の穂先が落ちてくるのが見え、反射的に身体をずらす。


鉄が肋骨のすぐ横でアスファルトに突き刺さった。


火花? 違う。ただアスファルトが砕けた。


彼は柄を蹴り、両手で掴んで捻り取ろうとした。訓練なら理にかなった動きに見えただろう。現実では、青年が手の位置をずらして柄をひねっただけで、焼けるように痛む掌が勝手に開いた。


次に顔を殴られた。


拳ではない。柄頭だった。


世界が白く爆ぜた。歯が鳴り、口の中に塩辛い味が広がる。


肘をつき、彼は後ろへ這った。みっともない。滑稽で、獣じみている。だが目の前に槍があれば、生きている人間は這う。尊厳だの格好だのという美しい考えは、あとから安全な場所で見ていた者が口にするものだ。


「やめろ!」


血を吐きながら彼は怒鳴った。


「お前ら頭がおかしいのか!?」


白い外套の女が近づいた。


「まだ空です」


女は言った。


「力が目覚める前なら」


「なら間に合ったな」


大男が答えた。


四人目――魔術師か神官か――は注意深く彼を見ていた。その顔には憎しみがない。それがなぜか一番腹立たしかった。憎しみならまだ理解できる。こいつは医者が腫瘍を見るように自分を見ていた。


「今すぐ殺す?」


槍の青年が訊いた。


女は少し考えた。


「確認が必要よ。聖騎士団は証を求める。それに、すでに〈影〉と結ばれているなら浄化も必要になる」


彼は笑った。


短く、掠れた、何ひとつ楽しくない笑いだった。


「聖騎士団ね」


彼は言った。


「そりゃそうだ。聖騎士団。普通の狂人だと思ってたよ」


大男が胸を蹴った。


全力ではなかったらしい。ただ黙らせるための一撃。


それで十分だった。背中が縁石に叩きつけられ、視界に黒い斑点が浮かんだ。彼は痙攣するように息を吸い、そこで初めて、本当に怖いと思った。


それまではまだ、何かが崩れて終わる可能性を捨てきれていなかった。人違いだと分かるかもしれない。誰かが窓から叫ぶかもしれない。警察が来るかもしれない。襲撃が途中で終わるかもしれない。


もう分かった。


こいつらは準備して来ている。探している相手を知っている。少なくとも、自分たちは知っていると思っている。彼らにとって、彼はすでに自分たちの戦争の一部なのだ。


彼は女を見た。


「よく聞いてくれ。俺は普通の人間だ。お前らの聖騎士団も、〈影〉も、君主も知らない。家に帰る途中だった。ポケットに鍵も身分証もある。見ればいい」


「影の君主は、いつも定命の者の器をまとって現れる」


女が言った。


「便利な話だな」


彼は掠れた声で返した。


「買い物袋を持ったおっさんなら誰でも当てはまる」


槍の青年が身じろぎした。


「侮辱するな」


「で、どうする?」


彼は青年を見上げた。


「自分を英雄だと思う邪魔をしたから、俺を殺すか?」


青年の顔が歪んだ。


当たった。


彼にはすぐ分かった。仕事でも、議論でも、喧嘩でも、家庭でも、準備なしに真実を突きつけられた人間の顔を何度も見てきた。人の信念を殴るほうが、身体を殴るより簡単なことがある。


ただし今、地面に転がっている身体は彼のもので、青年の手には槍があった。


青年が一歩踏み込み、突いた。


穂先が腹に入った。


深くはない。掠めるような角度だった。それでも十分だった。


何が起きたのか、すぐには理解できなかった。


最初に来たのは衝撃。鈍く、重い。そのあと、皮膚の下へ熱湯を流し込まれたような熱い痛みが内側で開いた。手が勝手に傷口へ伸びる。指が濡れた。


彼は視線を落とした。


血は本物だった。


奇妙なことに、その血を見た瞬間、最後まで残っていた理性の言い訳が吹き飛んだ。それまでは頭が必死に別の可能性へ縋っていた。襲撃。カルト。薬物。芝居。夢。


血が全部を単純にした。


こいつらは彼を殺している。


路上で。集合住宅のあいだで。自宅の台所から歩いて二十分の場所で。


彼は顔を上げた。


「覚えておけ」


まだ声が出ることに自分でも驚きながら、槍の青年へ言った。


「俺が生き残ったら……お前を探し出す」


青年の顔から血の気が引いた。


剣の大男が眉をひそめる。


女が手で合図した。


「縛って。魔法陣まで生かして運ぶ」


「何の魔法陣だよ……」


問い返したが、声が途切れた。


槍の柄が肩を打ち、地面に押し倒される。大男の靴が手首を踏みつけた。何かが鳴った。骨だったのか、そう聞こえただけなのか。痛みがあまりに鮮烈で、一瞬、中庭も街灯も顔も全部消えた。


彼は絶叫した。


叫び声が壁に跳ね返った。


上のほうで小窓が開く音がした。


「ちょっと! 何してるの!」


女の声が降ってきた。


四人目が掌を上げた。


金色の光が、透明な膜のように空気へ広がった。


小窓がばたんと閉じる。上にいた女の声も消えた。


彼は荒い息を繰り返しながら横たわり、呆然と、そして腹立たしくその魔法を見つめた。


魔法。


本物だ。


なら、この馬鹿げた話は本当でもあるらしい。


少なくとも、一部は。


「分かった」


彼は囁いた。


「仮に、そうだとしよう」


女が身を屈めた。


「何?」


彼は女へ顔を向けた。裂けた唇から顎へ血が流れている。


「仮に、お前らが狂人じゃないとする。仮に、本当に別の世界から来た。そこには予言があって、聖騎士団があって、〈光〉があって、予定どおり全部そろってるとする。じゃあ一つだけ答えろ、聖女様」


女の動きが止まった。


「どうして俺が最初に見たお前らの〈光〉は、腹に刺さる槍なんだ?」


女の顔が揺れた。


ほんのわずかに。


大男が剣を上げた。


「すでに危険です」


「生きたままよ」


女が念を押した。


「生かしておく必要がある」


「相対的には」


四人目が言った。


落ち着き払った口調だった。


相対的に、生きている。


あまりに事務的な言い方で、頭の中が急に冷えた。恐怖はほとんど消えた。残ったのは純粋で重い怒り。石のように密度のある怒りだった。


立ち上がろうとした。


身体が言うことを聞かなかった。


槍の青年が近づいてくる。今度は完全に動けなくするため、さっきより加減してもう一度殴るつもりらしい。


その瞬間、街灯が消えた。


建物のあいだの通路全体が闇に沈んだ。


女が勢いよく振り返る。


「盾!」


四人目が両手を跳ね上げた。金色の円環が彼らの前に開き、壁を、濡れたアスファルトを、割れた卵を、水たまりに落ちたパンを、彼の指についた血を照らし出す。


その円環の向こうに、影が立っていた。


最初は人間だと思った。


次の瞬間、その影の一つが翼を広げた。


巨大な翼。縁はぼろぼろで、長いあいだ灰の上を引きずられた外套のようだった。


闇から最初の魔族が姿を現した。


背が高く、細身。冷えた炭のような肌。こめかみから後ろへ伸びる角。黒髪は、乾いた風に撫でられたばかりのように不揃いな束になっている。素早く見れば、顔立ちはほとんど人間だった。だが見つめれば違う。頬骨が鋭すぎる。指が長すぎる。縦長の瞳孔を持つ目が落ち着きすぎている。革と黒ずんだ金属でできた暗色の鎧には、光沢も飾りもなかった。茶色と深い赤の部分から感じられるのは儀礼ではなく、戦争に慣れた者の実用性だった。


その後ろから、さらに三体が続いた。


一体は大柄で獣じみ、口には牙が並んでいる。もう一体は女――少なくとも女に近い姿で、銀白色の髪と黒い爪を持っていた。最後の一体は煙と骨でできているかのようで、輪郭が絶えず変わっていた。


〈光〉の勇士たちは一瞬で陣形を組み直した。


そこで初めて、彼は自分を襲ったときと、本物の戦闘との違いを見た。


さっきまで彼らは自信たっぷりで、ほとんど気だるいほどだった。今は動きに速度がある。連携がある。規律という鎧の下へ押し込めた恐怖がある。槍の青年から、腹を立てた若造の顔が消えた。剣士が前へ出て、女は太陽の紋章を掲げ、魔術師は金色の多層の何かを編み始める。


魔族たちは急がなかった。


最初に出てきた男が、彼らの向こうを見た。


彼を。


世界全体が息を止めたようだった。


「見つけた」


魔族が言った。


低く乾いた声。灰の下で熾火が擦れるような響きだった。


白い外套の女が横へ動き、その視線から彼を庇うように立った。


「〈光〉の名において命じる。聖騎士団の獲物から離れなさい」


魔族がゆっくり女へ顔を向けた。


「獲物?」


たった一語。


そこに込められた冷たい驚きのあまり、剣士まで身体を固くした。


魔術師が先に攻撃した。


掌から金色の矢が飛び、闇を貫く。翼の魔族は避けようとすらしなかった。彼の前で影が生きた布のように持ち上がり、光を呑み込む。焦げた埃の匂いがした。


それから始まった。


映画のようではなかった。


映画なら戦いは理解できる。観客には、攻撃も防御も、格好のいい旋回も、視線の応酬も見える。


ここでは全部が断片に砕けた。


剣士が突進する――大柄な魔族が横からぶつかった。金属が甲高く悲鳴を上げる。剣士の肩があり得ない方向へずれた。それでも男は斬り返し、魔族の胸を裂いた。浅い。魔族は牙を剥いただけだった。


槍の青年が翼の魔族へ槍を投げた。


男は柄を片手で掴み、ひねり、そのまま投げ返した。


青年は辛うじてバックラーを掲げた。


槍はバックラーを、腕を、胸をまとめて貫いた。


身体が壁まで吹き飛ばされる。後頭部を打ちつけ、そのまま煉瓦に黒い筋を残しながら崩れ落ちた。


女が叫んだ。


恐怖ではない。


怒りで。


胸の太陽が白炎を放った。一瞬、通路が真昼の光で満たされる。魔族たちが後ずさった。煙と骨の魔族は形を失いながら、鋭い声を漏らした。


地面に倒れていた彼は、目を刺す痛みに瞼を閉じた。


開けたときには、白髪の女魔族がすでに女の背後にいた。


どうやってあの光を抜けたのか、彼には分からなかった。


黒い爪が女神官の喉へ添えられる。


「殺すな」


翼の男が言った。


女魔族は不満そうに顔を歪めたが、従った。短く湾曲した刃の柄で女の後頭部を殴る。女は膝をつき、そのまま横倒しになった。


生きている。


今のところは。


魔術師が退こうとした。


もう裁判官のような顔ではない。自分の世界観が突然そこで終わってしまったことに気づいた人間の顔だった。指の周囲では金色の糸が回っている。それでも両手は震えていた。


翼の魔族が一歩進んだ。


魔術師が消えた。


閃光とオゾンの匂いだけを残し、本当に姿が消えた。


二メートルほど先、壁際に再び現れる。新しい防壁も、ほぼ間に合っていた。


ほぼ。


足元の影から骨の手が伸び、足首を掴んだ。


魔術師が倒れる。


大柄な魔族が背中を踏みつけた。骨の鳴る音は小さかった。起きたことの大きさに比べて、驚くほど小さな音だった。


「そいつも生かせ」


翼の男が言った。


「道を知っている」


大柄な魔族は不満そうに鼻を鳴らしたが、足をどけた。


剣士はまだ立っていた。


片腕は垂れ下がり、顔は血に濡れている。それでも女と魔族たちのあいだに立ち、ふらつきながら倒れない。尊敬に値する何かがあった。頑固で、恐ろしく、滅びることを承知した何か。


最初にしたことが、負傷した見知らぬ男を蹴ることではなかったなら、どんな歌の中でも英雄になれただろう。


「化け物ども」


剣士が言った。


翼の魔族は、地面に倒れている彼を見た。腹の血を。潰された手首を。散らばった食料を。


それから剣士へ視線を戻した。


「お前は、丸腰の男を殺しに来た」


剣士が歯を食いしばる。


「そいつは〈光〉の終焉になる」


「なら、もっと早くやるべきだったな」


魔族が答えた。


動いた。


剣士が剣を構える。


攻撃そのものはほとんど見えなかった。聞こえたのは金属音。見えたのは火花。暗い翼。弾き飛ばされる剣。


剣士が片膝をついた。


翼の魔族が、その頭に掌を置いた。


「残りはどこだ?」


剣士は血の混じった唾を男の顔へ吐いた。


届かなかった。


魔族は怒らなかった。


ただ、指に力を込めた。


剣士が絶叫した。


長くは続かなかった。


だが地面に倒れている彼が理解するには十分だった。


魔族たちは彼を救った。


ただし、その慈悲の量は、夜の刃に宿る温もりと大差ない。


悲鳴が途切れたとき、剣士はまだ息をしていた。


相対的には、生きていた。


翼の魔族は剣士を放し、魔術師へ向き直った。


「転移の痕跡は残っているか?」


煙と骨の魔族が、金色の線の切れ端を浮かべるアスファルトへ身を屈めた。


「残っています。奴らは小さな裂け目を通って来た。帰路は閉じていますが、聖騎士団の匂いはまだ新しい」


「よし」


彼は上体を起こそうとした。


無理だった。


腹の痛みが重く熱く脈打つ。手首は腫れていく。口には血の味が残っている。服越しにアスファルトの冷たさを感じながら、なぜか卵が駄目になったことを考えていた。パンも水たまりの中だ。


完全に馬鹿げた考えだった。


それでも頭はそこへ縋った。壁際で胸を貫かれた槍の青年を見ないために。


翼の魔族が彼のところへ歩いてきた。


近くで見ると、さらに恐ろしかった。醜いのではない。恐ろしいのだ。ひとつに凝縮された力が多すぎる。


獣じみた魔族は身体そのもので人を怯えさせる。


この男は違った。


誰を生かすか。誰に喋らせるか。誰を「相対的に生かしておく」か。それを決められる者の恐ろしさだった。そして周囲の世界が、もうその決定に従って動いている。


彼は唾を飲み込んだ。


「とどめを刺すつもりなら」


彼は言った。


「順番待ちしてくれ。今日は希望者が多い」


魔族が足を止めた。


数秒、黙って彼を見る。


それから片膝をついた。


地面に近づいたからといって小さくはならなかった。むしろ、身体のすべてが動くために組み上げられていることがよく分かった。暗い装甲板。ベルトの下の硬い皮膚。肩を覆う黒ずんだ金属。胸を斜めに横切る深紅の帯。茶色の当て革は年月ではなく使用によって擦れている。


美しい制服ではない。


生き残り、殺すために着るものだった。


男の後ろで、残りの魔族たちも一人ずつ頭を垂れた。


半死半生の魔術師を襟首でぶら下げたままの大柄な獣型の魔族まで、頭を下げる。


ひどく間違った光景に見えた。


化け物たちが彼の前で膝をついている。


泥と血の中で。パンと割れた卵のすぐ横で。


翼の魔族が頭を垂れた。


「君主様」


彼は目を閉じた。


開いた。


何も変わっていない。


「やめろ」


彼は言った。


「始めるな。絶対に」


「我々は十三年間、あなたを探していました」


魔族が言った。


「おめでとう。人違いだ」


「〈影〉の《刻印》が応えました」


「今日は何でも俺に反応するらしいな。特に腹が」


魔族が顔を上げた。目に一瞬、苛立ちにも似たものが浮かぶ。


彼に対してではない。


起きてしまったことに対して。


「申し訳ありません。我々は遅れました」


その言葉は思いがけず強く響いた。


太陽の紋章をつけた人間たちは、彼に判決を持ってきた。


角を生やした魔族は、謝罪した。


世界は明らかに狂っていた。


「お前は誰だ?」


彼は訊いた。


「アズガル・ラハト。内なる〈影〉の家門、第一の剣です」


「実に分かりやすいな、アズガル・ラハト。次は、脇腹に穴の開いた人間にも分かるよう短く頼む」


魔族はさらにわずかに頭を下げた。


「あなたは、人間が未来の災厄と呼ぶ者です。そして我々が、真なる影の君主と呼ぶ者です」


彼は低く笑った。


笑いはすぐ咳になり、咳は痛みに変わった。歯を食いしばって波が過ぎるのを待ち、それからようやく息を吐く。


「俺は客を相手に仕事をしてきた。山ではリュックを背負った。船の模型を組み、紙の標的を撃ち、剣の本を読み、ネットで馬鹿と議論した。川下りで一度溺れかけて、離婚は二回した。それが俺の全肩書きだ。君主なんてどこにも入ってない」


白髪の女魔族が顔を上げた。


奇妙な表情が浮かんだ。


ほとんど、笑みだった。


「人間みたいに喋るのね」


「人間だからだ」


アズガルが言った。


「今のところは」


その最後の言葉が、彼にはまったく気に入らなかった。


「今のところ?」


アズガルは黙った。


長すぎる沈黙だった。


彼は白い外套の女へ目を向けた。意識はないが、胸は上下している。剣士は壁際で喘いでいた。魔術師は歯を食いしばったまま呻いている。槍の青年だけはもう動かなかった。


「生かしたのは話を聞くためか?」


彼は訊いた。


「はい」


「俺が聞くため? それともお前らが?」


「お望みなら、あなたが。いずれにせよ、我々も聞きます」


彼は改めてアズガルを見た。


痛みの下で、古くて頑固な機構が動き始めていた。


危機でも、交渉でも、事故でも、喧嘩でも、他人が取り乱しているときでも、彼を助けてきたものだ。


まず呼吸。


次に事実。


それから判断。


パニックは、もう安全な人間だけが許される贅沢だ。


一つ。魔法は存在する。


二つ。別世界から来た四人の人間が、彼を殺そうとした。


三つ。魔族は襲撃者の一部を殺し、一部を尋問用に生かした。


四つ。魔族は彼を君主と呼んでいる。


五つ。この傷を急いでどうにかしなければ、あらゆる哲学はアスファルトの上で終わる。


「生きたい」


彼は言った。


アズガルは即座に立ち上がった。


「リラ」


白髪の女魔族は、彼が身を引く暇もないほど素早くそばへ来た。しゃがみ込み、爪で傷の周りの上着とシャツを切り裂く。動きには迷いがなく、それでいてほとんど優しかった。指先からは冷気と鉄の匂いがした。


近くで見ると、銀白色の髪、冷たい薄灰色の肌、細く優美な黒い角、鋏より正確に布を切る黒い爪がよく見えた。暗い服の下には、この泥と血には場違いなほど鮮やかな黄色の裏地が覗いている。切れ込みも身体に沿う仕立ても動きを邪魔せず、むしろその身体まで両手と同じように研ぎ澄まされ、危険なのだと強調していた。


顔立ちは細く、注意深く、ほとんど冷たい。


だが、その動きには慌ただしさも嫌悪もなかった。


「浅い」


彼女は言った。


「腸は無事。出血は多いけど、生きる」


「計画が一致して嬉しいよ」


彼は息を吐いた。


彼女は彼の目を見た。


「痛むわ」


「正直なのはありがたいが、もう痛い」


彼女は掌を腹へ置いた。


そこで、本当に痛くなった。


黒く引きつる痛み。傷口へ溶けた金属を注ぎ、そのあと神経ごと引きずり出されるようだった。彼は反り返ったが、大柄な魔族が肩を押さえた。叫びは喉につかえ、掠れた呻きになる。


「押さえて」


リラが言った。


「いや、俺はもう十分寝てるだろ……」


彼は歯のあいだから絞り出した。


「いい兆候ね」


彼女は言った。


「悪態をつけてる」


掌の下で〈闇〉が蠢いていた。物語に出てくる治癒魔法のような光景ではない。生きた樹脂に近い。傷口を引き合わせ、血を止め、内部へ食い込み、死ぬ可能性そのものを痛みで焼き潰していく。


すべてが終わったとき、彼は汗で濡れ、震えながら横たわっていた。


腹はまだ痛む。


だが痛みの質が変わっていた。鈍い。耐えられる。


手首はまだ壊れたままだった。


リラが彼の手を取った。


「こっちも」


「一秒待て」


彼は慌てて言った。


「心の準備をする」


彼女は無表情のまま一まで数えた。


「準備できた」


「違う、せめて三まで欲しかった」


骨が元の位置へ戻った。


結局、彼は叫んだ。


すぐ近くで、大柄な魔族が満足そうに鼻を鳴らした。


「丈夫だな」


「お前のことは覚えたぞ」


話せるようになってから、彼は言った。


「グロム」


大柄な男が名乗った。


「そうか。いかにもって名前だな」


アズガルがまた彼のそばに膝をついた。


「ここを離れねばなりません。裂け目が注意を引きました。〈光〉の者たちが第二陣を送る可能性があります」


彼はアズガルを見て、次に建物のあいだの通路を見て、最後に死んだ槍の青年を見た。


「まともな説明を聞くまで、どこにも行かない」


「ここは危険です」


「そりゃ驚いた」


アズガルは彼の視線を受け止めた。


「君主様、今は一瞬ごとに危険が増しています」


「たった今、お前らのおとぎ話仲間四人に殺されかけた。そのあとお前らが現れて、あいつらを部品みたいにばらして、俺は魔族の支配者だと言った。危険はもう増えない。ここに住み着いて、部屋を借りて、住民登録まで済ませてる」


リラが小さく鼻を鳴らした。


アズガルは、それを説明を短くしろという命令だと受け取ったらしい。


「世界には五大領界があります。〈光〉、〈闇〉、〈影〉、〈森〉、〈海〉。〈光〉は人間の領界、〈影〉は魔族の領界です。予言では、異世界から真なる影の君主が現れ、〈光〉に不利な形で均衡を崩すとされています。人間はあなたが目覚める前に殺すため探している。我々は玉座へお連れするため探していました」


報告書を読み上げるような、平坦な口調だった。


彼はしばらく黙った。


集合住宅の上では、また普通の黄色い街灯が灯っている。壁の向こうではテレビの音。別の部屋では男と女が喧嘩していた。道路を車が走り、タイヤが濡れたアスファルトの上で音を立てる。


世界は以前と同じ顔をしようとしていた。


あまり成功していなかった。


「〈光〉に対して、か」


ようやく彼は言った。


「はい」


彼は白い外套の女へ顔を向けた。


「あいつも〈光〉か?」


「暁環聖騎士団の女神官です」


「槍の若いのは?」


アズガルは壁際を見た。


「叙任勇士。下位階級です」


「叙任勇士、ね」


腹へ入る穂先がまた目に浮かんだ。歪んだ若い顔。言葉に傷ついた顔。上の者にそう言われたからという理由で、人を殺せる顔。


「分かった」


アズガルは待った。


魔族は待つのがうまいらしい。そう感じた。動かずにいるだけなのに、人間のせわしなさとは無縁の、古い何かがあった。


「俺はお前らの君主じゃない」


彼は言った。


アズガルは反論しなかった。


「ですが、人間たちはすでにあなたをそう見ています」


効く一言だった。


彼は目を閉じた。


全部が間違いだと言うこともできる。病院へ行きたい。警察へ行きたい。家へ帰りたい。放っておけと要求することもできる。落下するエレベーターの手すりに縋るように、これまでの人生へ縋ることも。


だが、その人生はもう終わっていた。


〈光〉の人間たちは、ありふれた中庭で彼を見つけた。なら、また見つける。魔法が実在するなら、アパートの壁など何の意味もない。パスポートも、仕事も、銀行カードも、習慣も、年齢も、経験も。別世界から槍を持って来る者への防壁にはならない。


彼は目を開けた。


「この二人」


女神官と剣士を顎で示す。


「喋れるか?」


「はい」


「なら先に喋らせる。俺に。ここで。今すぐ」


アズガルがほんのわずかに眉をひそめた。


「あなたは負傷しています」


「その原因があいつらだ」


沈黙。


やがて魔族は頷いた。


「お望みのままに」


リラは女神官を手早く、そして乱暴に起こした。小瓶から黒い液体を顔へ浴びせる。女はびくりと痙攣し、喘ぎ、起き上がろうとしたが、影が瞬時に腕と喉へ絡みついた。


剣士も起こされた。グロムは傷ついた肩を、衣服の詰まった袋でも持つような気軽さで掴んでいる。


リラに支えられて、彼も身体を起こした。世界が揺れたが、どうにか倒れずに済んだ。


彼は女神官をじっと見た。


今ならよく観察できた。まだ若いが、少女ではない。三十前くらい。明るい色の厳しい顔立ち。淡い褐色の髪は、髪の一本一本まで聖騎士団へ奉仕すべきだと言わんばかりにきつくまとめてある。白い外套は乱れ、その下の鎖帷子は泥で黒ずみ、胸の太陽の紋章だけがまだ残った光を拾っていた。灰青色の目は澄み、硬い。


そこに再び、さっきと同じものが燃えた。


嫌悪。恐怖。信仰。


「お前は世界を滅ぼす」


女が言った。


弱い声だったが、確信は揺らいでいない。


彼は短く頷いた。


「最初からやり直そう。俺の名は――」


そこで止めた。


名前が急に、この通路にも、この連中にも、この血にも、あまりに個人的なものに思えた。


「いや、まだいい。お前は俺の世界へ来た。路上で俺を見つけた。お前の若い英雄は俺の腹を刺した。じゃあ説明してくれ。なぜ俺は、お前を『正しい側』だと思わなきゃならない?」


女は歯を食いしばった。


「私たちは〈光〉を守っている」


「標語を聞いたんじゃない」


剣士が顔を上げた。


「お前は魔族の君主になる。お前を通じて奴らは戦争を始める。都市は焼け、子供たちは〈影〉の祭壇で死ぬ。俺たちは文書を見た。兆しを見た」


「だから、パンを買っていた人間を殺すところから始めた?」


「今、一人の無実を犠牲にするほうが、あとで何千人も死ぬよりましだ」


彼は長く剣士を見た。


本当に長く。


それから訊いた。


「その台詞、もう何回言った? 何千回?」


先に目を逸らしたのは剣士だった。


それで十分だった。


化け物ではない。サディストでもない。ただ、自分に都合のいい一文を見つけて、その中へ良心を隠した人間だ。


女神官が囁いた。


「あなたには分からない」


「お前が思ってるより、よく分かる。お前らは未来の俺を理由に、今の俺を殺しに来た。その未来を自分たちで今、前へ押し出しながらな」


女の顔から血の気が引いた。


彼は薄く笑った。唇がまた裂けた。


「そう。嫌な考えだろ。聖典に書いとけ」


アズガルは隣で黙っていた。


彼はそちらを見る。


「で、お前らは?」


「我々が?」


「俺を玉座へ座らせたい。なぜだ。正直に言え。礼なんかいらない」


魔族はすぐには答えなかった。


「魔族は、長い戦争に負け続けています。一つの戦いでも、一つの戦役でもない。長い戦争そのものです。〈光〉は国境、神殿、条約、聖なる遠征、禁令で我々を圧迫している。我々は世界の汚染だと呼ばれる。自分たちの領土に閉じこもっているかぎり、存在を許される。あなたの到来は均衡を変えます」


「均衡?」


「予言は五大領界すべてに認められています」


彼は理解した。


そして今度は本当に笑った。


「つまり俺は、法的な問題なんだな」


リラの笑みが少し広がった。


「本当に人間らしい言い方をするのね」


アズガルは話を逸らさなかった。


「あなたは旗印になれる。統治者にも。武器にも。多くの者が、あなたのもとへ集まるでしょう」


「お前は?」


「真なる影の君主を見つけ、故郷へ連れ帰ると誓いました」


「故郷」


彼は繰り返した。


「きれいな言葉だな。俺の家ならあそこだ。血を流してなければ徒歩五分」


アズガルは軽く礼をした。


「――でした」


残酷だった。


そして、たぶん正直でもあった。


彼は自宅のほうへ目をやった。どこにでもある巨大な集合住宅。窓、ベランダ、他人の洗濯物、エアコン、衛星アンテナ。あそこには自分のマグカップがある。机には読みかけの本。ブラウザには十個ほどタブが開きっぱなし。流しにはたぶん、朝使ったカップが残っている。


片づける暇さえなかった人生。


そこへもう、槍を持つ手が伸びていた。


「じゃあ、こうする」


彼は言った。


思ったより弱い声だった。


それでも全員に届いた。


「俺は玉座なんか受け取る気はない。誓いも立てない。戦争も約束しない。お前らの予言とたまたま条件が合ったからって、それだけで象徴になってやる気もない」


アズガルはすぐには答えなかった。


女神官は激しい期待を込めて彼を見ていた。今ここですべてを拒絶すれば、それが〈光〉の正しさの証明になると信じているようだった。


彼は女へ向き直った。


「ただし、お前らとは行かない。行くなら、お前ら以外とだ」


期待が消えた。


「選んだのね」


女が囁いた。


「違う。最初の一手を打ったのはお前らだ。俺は今のところ、二手目を打たせないだけだ」

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