第39話 歩き続ける理由
数分後、車椅子を押して澪さんがやって来た。
『勝手に抜け出して、あれほど言ったじゃないですか』
やはり、脱走だったのか。
『うるさい。ワシはまだやれる』
『体調戻ったら、また歩きましょ?』
『それじゃ間に合わんのじゃ』
『わがまま言わないで⋯』
そんな会話が聞こえてきた。
山田さんを車椅子に乗せた澪さんが振り返り
『御迷惑おかけしました。お詫び代わりに夜、あの店で御飯どうですか?』
『どさくさに紛れててデートの約束か?tetsuも隅におけんのう』
「そんなんじゃないですって。ホント気にしな⋯じゃあ、お言葉に甘えて」
『それじゃ後で』
「はい。山田さん無理しないでくださいね」
『お前に言われたくないわ。良かったなOK貰えて』
『バカな事言ってないで行きますよ』
と、幾分元気を取り戻した山田さんは戻って行った。
それにしても、あの一瞬澪さんが見せた悲しげな眼差しに蹴落とされて承諾したが、何か話があるのだろうか?
暖簾をくぐると、奥の小上がりに澪さんがいた。
「すみません。遅くなって」
『いえ、私も今来たところですから。
改めて、今日はありがとうございました』
「いえ、山田さん大丈夫でした?」
澪さんは視線逸らしながら言った。
『大丈夫ですよ⋯とは言い切れないですね。ホントはお話しできる事ではないんですけど⋯』
『実は、この夏の猛暑で入院患者さんの中にも体調崩される方多くて。こちらも気をつけているんですが、なにぶん御高齢の方が多いので。山田さんもその一人で』
「なるほど」
『でも、山田さんは散歩をやめたがらないんです。先生からも何度も注意されて』
「だから抜け出して⋯」
『“ワシには約束がある”って言い張って』
「そういえば、待っている時もそんな話してたような。何の約束なんですか?」
『私も詳しくは知らないんですが、昔の仕事仲間の一番弟子に“哲”さんて人がいらして、不義理をしたから何がなんでも歩ききらなきゃならないと』
不義理をした相手に追いつこうとするような歩き方。
それは、どこか必死すぎる気がした。
「歩ききる?」
『はい、来月行われる“100kmウォーク”にエントリーされてて、日頃の散歩もそのトレーニングを兼ねてたんです』
“100kmウォーク”
現場近くの掲示板で見かけたポスターを思い出した。
誰が出るんだ、こんなもの。そう思って通り過ぎたやつだ。
『でも、今のままだと先生の許可出る確率はほぼなくて⋯』
澪さんは俯いて言葉を続けられなかった。
代わりに、湯呑みから立ち上る湯気だけが、ゆっくりと揺れていた。
その時はまだ、それが自分に関係する話だとは思っていなかった。




