第33話 誰かの声
その朝、いつもと変わらない。
それでも、何かがざわつく。
思い出せないものが、胸の奥に残っている。
現場は、いつも通り回っていく。
俺も、いつも通り立っている。
その日の夕方、珍しく澪さんから声がかかった。
『“実験”と“観察”の結果を、私なりに整理してみました。あの定食屋でお話しできませんか?』
「わかった。でも今日は酒はナシだ」
『私も明日仕事ですから』
それだけ言って、通話は切れた。
澪さんは席に着くなり、切り出した。
『あなたが一番安定しているのは、前に立って判断を先に出す時です』
「いきなりだな。この話をする時、少し楽しそうだぞ」
一瞬だけ、表情が崩れた。
『……職業柄、でしょうか』
すぐにいつもの顔に戻る。
『あなたは“背負う側”に立った時、迷いが消えます。
判断も速い。視線もぶれない』
「へえ」
『その状態を意図的に作れれば、今の不調も軽くなるかもしれません』
「仮説、か」
『はい。ですが、試す価値はあります』
「嫌いじゃない。で、どうする?」
『次に現場に立つ時、あなたが最初に判断してください。説明は最小限で』
「それ、うちの親父みたいだ」
『そうなんですね。』
「物は試しやってみるか」
翌日、現場で“演じる”。
この前までは探り探りだったが、今回は早く積極的に行動を先に。
指示は短く。
一瞬戸惑った顔の職人は、目を合わせた直後に何かを感じたように応じる。
“収まりがいい”
やはり、このスタイルが心地よい。
まだ、やり始めたばかりだからお世辞にも滑らかとは言えないが、一瞬戸惑った職人が目を合わせたら理解してくれてありがたい限りだ。
そうして、一日目は無事終了。
“無事”というより妙に上手くいった。
ーーそりゃそうだろう。
誰の声かは、考えなかった。




