第29話 仮の兄妹
「お兄ちゃん⋯」
昨夜の声が、妙に鮮明に残っている。
独りっ子だし、誰かにそう呼ばれた記憶もない。 現場でも年功序列は曖昧で、俺はどちらかと言えば後輩寄りだ。
それなのに——
あの呼び方は、不思議と収まりがよかった。
今日は日曜。現場もないし、偶然顔を合わせることもない。
だが、気になっているのはそこじゃない。
結局、肝心な話は聞けていない。
どう切り出すべきか考えあぐねていた時、スマホが震えた。
『昨日の呼び方憶えていますか?あなたが名前を呼んだ時——少しだけ、はっきりしました。あなた、無意識で“守る側”に入りますよね。まるで、あなたの中にもう一人“兄”がいるみたいでした。』
『もし、あなたの違和感が“役割の問題”なら、逆の役をやってみれば分かるかもしれません。そこで提案があります。』
提案、という言い方が妙に仕事じみている。
『仮説の検証をしませんか?』
『あの時のあなたは、迷いが少なかったです。少し乱暴で、でも楽しそうで。』
それなら、意図的に俺を“兄”、澪さんを“妹”のポジションに固定して、判断や結果にどう影響するかを検証する“実験”がしたいとの事。
それで少しでも違和感の原因がわかるのなら、やってみる価値はありそうだと思い承諾した。
詳細はいくつかの条件パターンを用意するから、その中で無理のないものを選ぶそうだ。
最近まで、現場近くの人だった澪さんが仮とはいえ“妹”なんて、おかしな事になったものだ。
——面白がっている気配が、胸の奥でわずかに動いた。




