②
箱入りのお嬢様である香名だ。激しい憤怒で我を忘れていて、敦也の顔を握る手に力がこもっていた。お嬢様なのに、力は無駄に強い。怪力だと貶すと、余計に頭に血が上って殺されるかもしれない。香名は想定外の事態には弱いタイプなのだろう。いや、敦也を罰するために鍛えているのかもしれない。
首が鞭打ちになりそうだった敦也が香名の手を押さえて、解放してもらった。
「いいだろ、べつにって言っていたの?」
「よくわかったな……」
敦也は顔を擦りつつ、低めのしわがれた声で返事をした。
香名は口元に握り拳を持っていき、息を吹きかけて天使と見紛う微笑みを浮かべる。あの麗らかな笑顔は、どんな行いも正当化できてしまう。狡賢い小悪魔だ。一発殴られた。
「私に遊びを教えてくれるの?」
「……ああ。いくらでも教えてやるよ」
敦也はすっくと立ち上がって、新技を披露。種を自分の顔に乗せて福笑いもどきをし、狙った場所に種を飛ばしたりした。自分の持てる遊び心と芸を駆使して、香名を笑わせようと精一杯尽くした。敦也だけの大道芸だ。香名は大笑いし、面白いと絶賛した。
「椎菜もやってみろよ」
「私はいいわ。そんなヨゴレ役、できない」
「これだからお堅いお嬢様は……。友達できないぞ」
「友達いるわよ。あなた達。他の人は私には合わないもの。私に嫉妬してばかりか、私を欲してばかりかのどちらかしかいない。あなたは違うでしょう。私に嫉妬もするし、私を欲しいとも思っているけど、あなたは私を喜ばせようとしてる。その必死さがいいわよね」
「俺を手玉に取ってやがる、この悪女……」
「ふふ。悪女に惹かれたあなたがいけないのよ」
香名は手を濡れたハンカチで拭いた。手が汚れると思って、予め用意しておいたものだ。どんなときでも清潔さを保つ優雅な気品を漂わせる女性。近年忘れ去られつつある大和撫子だ。香名椎菜は姿勢も良く、清楚で可憐でお淑やかなところが欠如することがない。振るわれる手さえも優美。それでいてかなり痛い。頬は赤く腫れ上がる。でも不思議とむかっ腹が立たない。新たな扉を開いたわけじゃないが、苛立ちはないのだ。最初に引っ叩かれた時は茫然としていて周りが見えなかったから。引っ叩かれて説教されて暫く経った後、自分が悪かったのだと気づかされた。
――あいつの暴力は……相手の目を覚まさせるため……か。




