③
なんでもできるはずの香名が、母親にぶたれていたとは初耳だった。敦也は気になったが、香名が自ずから話したいと思うまで、待つことにした。
「そ、そうか。悪かった」
「いいえ。謝ることはないわ」
香名は続きを話す。
「私が完璧を目指せるようになったのは、母の躾あってのことよ。昔から私は天才だったけれど、それは英才教育が物を言った。厳しい訓練に耐えて、私は色々なことを身に付けてきたの。幼い頃から英会話もしたし、ピアノもヴァイオリンも工芸も陶芸も茶道も華道も日本舞踊もした。家庭教師を雇ってもらったのに、すぐに私が追い越して、私が先生に教えることになってしまったの」
――で、なんでお前は海外の学校で飛び級しなかったんだ?
敦也の目が語る疑問を、香名は汲み取る。返答はしたが、答えにはなっていない。
「どうしてここまでできるのに、私は飛び級しなかったんでしょうね。自分のことなのに、よくわからない。ふふ。私でも解けない謎はたくさんあるのよ。きっと……敦也と同学年でいたかったからでしょうね」
小悪魔な笑みを浮かべる香名の茶目っ気に、心がときめく。
「でも母親のことは好きなんだよな」
「ええ。好き。完璧にできないときは厳しかったけど、親子水入らずで旅行に行くときや完璧にできたときは誰よりも優しかった。私のことは家の名を守るための道具としか思っていなかったのでしょうけど。それでも、母の愛を感じたわ。厳しかったのは、父の方。正直な話、あの人のことは苦手だった」
「……俺も、父親のことは苦手だった。母親も……な」
香名は相槌を打って、敦也の話に同調した。
「母が私の躾を全面的に担っていたから、父が私をぶつことはなかった。でもね、父は私にいつも厳しい言葉を投げかけたわ。私はしっかりしなくちゃいけなかったの。完璧を演じ続けなければいけなかったの。私だって、妹が羨ましかった。あの子ほど憎くはなかったけど、私も憎んでいたの。長女で家督を譲られる身を、あの子に代わって欲しいと思った。責任を押しつけられる私に、誰も同情なんてしてくれないもの。長子なのだから当然だとみんなはいうわ。私は生まれたときから、人生を決められていたのよ。何も自由なんかじゃない。お金持ちだからといって、いいことなんてないわよ。美味しい物を食べたって、私の心の空は晴れないもの。私の身体とあの子の身体が入れ替わればいいのに――って、そんなこどもみたいなこと、思いついていたわ。そんなこと、あるはずないのにね」
自分のどん底の生活に比べたら、お金持ちである分まだましだと言いたかったけど、敦也は言葉を呑み込んだ。そんなこと、口に出したらずっと辛い思いをしていた彼女を傷つける。




