⑤
香名の家は、三〇〇坪を優に超えそうな、広大な屋敷だった。日本家屋と称してもいい。黒と白のコントラスト。敦也の居住地では滅多に見かけない瓦屋根。風情のある庭と畑。屋外に池があって、鯉が自由気ままに泳いでいた。金持ちどころじゃない。名家だ。敦也は香名が金持ちであることを知っていたが、日本の元貴族のような趣深い家に住んでいる人だとは予想だにしなかった。見たこともない景色が、目の前に広がる。敦也の心を夢いっぱいにし、好奇心をくすぐった。
厳かな建物が建ち並び、迫力に圧倒される。入るのも億劫になり、材質が木の門と石畳の前に立ち尽くす。香名に声をかけられたが、敦也は暫くここで香名の家を見渡すことにした。
祖父母は侍女を傍に置いて、縁側で茶を飲んでいた。香名は着物に着替えて茶道と華道の稽古をするらしい。大層な家とあれば、礼儀作法も日課なのだろう。香名の美しさは磨き抜かれている。礼儀作法が美しさを際立たせているのかもしれない。香名の姿が見えなくても、内面から溢れ出る気品が、漂ってくる。自分とは違う世界の住人だと思わせる物悲しさがある。
――こんな家に住めるのか。
敦也は目を輝かせて、壁にそっと触れた。横へ長く続く白い壁は、予想を裏切らずに硬い感触だった。嬉しさが込み上げてくる。敦也は今までろくな暮らしができなかった貧乏人だったから。一転して大金持ちの家に住めることは、宝くじの一等に当選することと同じぐらいの確率ではないだろうか。夢を買うのと同等の幸せを手に入れた。いや、香名のようにすべてを兼ね備えている人だからこそ、この屋敷に住めるのだ。
敦也は礼儀作法とは無縁の、適当な敬語しか使えない。人に意見できるだけの礼儀を身に付けていない。これから礼節を重んじ、常識を身に付けるのには、時間がかかりそうだ。
香名が一分一秒も無駄にしないで吸収する人なら、敦也は一分一秒を無駄にして吐き出している。正反対の二人が、一つ屋根の下で暮らす。敦也が臆病でヘタレだから、香名は誘ったのだろう。もし襲われるとわかっていたら、当初の予定で養子縁組にと迎え入れてはくれなかった。ちょっぴり悔しいが、そう考えると辻褄が合う。
敦也は一歩踏み出して、門を潜り香名の家に足を踏み入れた。
香名の家を堪能した後は、出かけることになった。昼食は外食らしい。家で飯を食べることは殆どないのだと。板前の寿司屋に行って、高級な寿司を食べるのだそうだ。激安の回転寿司以外の寿司を食べたことがなかった敦也は、ワクワクが止まらない。胸を高鳴らせ、こどものようにはしゃいでいる。気分は最高潮に達する。一貫千円ほどもする、超絶に高級な寿司を口にできるのだ。きっと、舌がとろけるほどの旨味を堪能できるのだろう。移動も黒塗りの車に乗り、上流階級の気分にも少し慣れてきた。一生乗れないと思っていた海外の高級車にも乗れて、ラッキーと敦也は思う。
「感覚が麻痺してしまいそうね」
「ほんとだな」
「一度経験してしまえば、貧乏な暮らしに戻れないでしょう」
「ああ……。没落貴族とかにはなりたくないよな。ずっと金持ち気分を味わっていたいよ。俺、やっぱお前んとこのこどもに産まれたかった……なんて言ったら、母さんに怒られるかな?」
敦也の声が弾む。ご機嫌だということがバレバレだ。香名はクスッと小さく笑った。




