⑤
「悪い。非常に悪い。こどもが自立する頃には、もう親の手を離れているから。考え方に自由を持たせなければ、こどもの成長は望めなくなる。こどもは親が思っているよりも成長が早い。親離れは早くに来る。私は三歳から親離れをしたわ。やりたいことはすべて自分で決めた。留学も私がやりたいからやったの。習い事も、私は何年、十何年と続けてきていつも賞を取ってきた。そのやり続けてきたこと、すべてにおいて才能があると認められたわ」
最後の方はただの自慢話になっていたが、母親は無言で聞き続けていた。
聞く耳を持たない頑固な人ではないのが、唯一の救い、だったのではないだろうか。
ヒステリックでも、傲岸不遜でめちゃくちゃ自己中心的な人物でも、人の話も聞けないほど最低な人間ではなかったのだ。もっとちゃんと、話し合えば、良かった。母親のことを全く見ていなかった敦也が、初めて母親のことを理解できるようになった瞬間、涙が滲んだ。
母親だって、人の心を持った人間なのだ。血も涙もない悪人ではない。突如として貧乏でお先真っ暗な人生を歩むことになって、夫に自殺されて精神的に参って、それでも誰かに頼ろうとしないで毎日懸命に死に物狂いで頑張っていた。
一人で頑張って働いて、稼いでいる母親のために、アルバイトでもいいから生活費の足しになることをすれば良かったのに、やらなかったのは自分だ。親がこどもの面倒を見るのは当たり前だろうと思っていた自分は、知らずのうちに母親を追い詰めていた。
母親だって、スーパーマンに助けて欲しかったのだ。
助けてくれと言い出せなかっただけで、誰かに助けて欲しかったのだ。
「……私は、大抵のことはなんだってできる。努力なんてしなくても、ちょっとやるだけで大抵のことは普通の人以上にこなせる。私は優秀過ぎる。できないことの方が少ない。でもね、色々なことができて、人が羨むようなものを持っていても、叶えられないことはたくさんあるの。なんでもできない人の方が、夢を叶えやすい。私みたいに大きな夢を持たないから。己の器の大きさを知っているから、夢を叶えられるのよ。私は誰よりも身の程知らずで、恥知らずな……哀れな人間なのよ」
信頼してもらえるように自虐してから、香名はもう一度申し出た。
「そんな私でも、彼だったら救えるって、神が夢でお告げしてくれた。私なら彼を救える。何度も言うわ。あなたは彼とは別れるべきよ。彼が救われないし、あなたも救われない。この先交錯することがなければ、お互いに幸せになれる。あなた達は一緒にいたら、お互いに足を引っ張ってしまうのよ。どちらも成長できない。だから、私に任せて、あなたは自由に生きればいい」
母親は香名と握手をして、敦也の頭を撫でた。母親は酷い泣き顔をしていた。不細工な泣きっ面。母親のこんな顔を見るのは、最初で最後になるだろう。もっと互いのことを知れたなら、話し合うこともできたかもしれなかったのに。不幸は、不幸を呼び、誰も幸せにしてくれない。
最後だけ美しく飾るなんて、ずるい。




