⑥
「いいえ」
「でもお前……! 初めて会ったとき……俺に説教して、ひっぱたいて……。講義中にばらした。最低だろ! お前のせいで、あの後俺がどんだけ酷い言葉を浴びせられたか……手酷い罰だって、受けさせられたんだよ……」
「すべて自業自得」
香名が真剣な目をして言い放つ。敦也は言葉を呑み込まされ、引き下がった。彼女の瞳と声は、有無を言わさぬ強烈な力を持っている。
「あなたがしたことの重さを知ればいい。あんなのは軽いのよ。無事で済んだから良かったなんて甘い考えはやめて。あれは奇跡に近いのよ。幸運を呼び寄せたに過ぎない」
香名は更に続けた。
「自殺なんて、考えないで。死にたくなったら、何度でもぶつ。何度でも立ち上がらせる。何度でも……私はあなたを救ってみせるわ。私はあなたの神。私はあなたの救世主なのよ。将来立派な学者になるあなたの心を救うために、私は帰国したの」
香名が恥ずかしいことを言っているようには見えなかった。思春期の少年少女特有の中二病でもないらしい。真剣な眼差しで、そうだと信じて真実を告げていたように見えた。なんのことを言っているのか理解し難い考えを持っている、と敦也は思った。自分を神と言うのは、おかしすぎる。宗教にのめり込みすぎて、自分を神だと思い込んでいるのではないか、と敦也は邪推した。香名は至って真面目そのものなのに、敦也は香名の言葉を信じなかった。
香名は敦也の手をぎゅっと握り締めた。白くて細い指が湿っていて、妙に艶めかしい。
「……っ、放せよ」
「い、や。」と香名が言えば、敦也は「くそ」と毒づく。
「あなた、本当は私に惚れているでしょう。私はあなたのことはなんでも知ってる。なんでもお見通し。そうなるように、仕向けられたの。すべては神の仰せのままにね」
たかが数日話しただけの関係で、なんでも知っているわけがないだろう。
「頭のおかしい女なんか、好きになるかよ。自意識過剰もほどほどにしろって」
「自意識過剰という言葉を知っているの? 自意識過剰は緊張のしすぎのことよ。それを言うのなら、自信過剰が正しいんじゃないかしら? 私はあなたを救うために現れたのよ」
香名は何かに取りつかれたように、言葉を吐き続ける。
「――あなたも私も救われるべき存在だ。」
虚ろな目をして、香名は言った。見間違いかと判断した敦也は目をこすった。次の瞬間には、虚ろな目をした香名はいなかった。にっこりと麗らかな笑顔を携えた香名がいた。
「あなたに手紙を書いてあげる」
「手紙? なんでまた」
「口では言えないから」




