⑲
もし、死んだのが敦也だったら?
泣くより、喜んでいたかもしれない。そう思い、敦也は唇を強く噛んだ。赤くなるまで。
「どうして、あなたが死ぬのよ……。ねえ……なんで……なんで私を置いてったの……。私を連れて逝って欲しかったのに……! なんでこの子を押しつけて! 先に逝くのよぉ……!」
遺体に覆いかぶさって、母親は駄々を捏ねるこどものように泣き続ける。敦也は嘆き悲しむ母親を睥睨して、動かない父親に目をくれた。
――人形みたいになった……。これが……死ぬってことなんだ。
自殺というものを、敦也は知ったのだ。
それからも母親の幼児退化は進み、現在も出稼ぎに行くのに苦労している。毎日のように、あなたに才能があれば良かったのに、あなたが稼げる人間だったら良かったのに、と蔑んだ目で見られ、目の上のたんこぶ扱いされれば、生きているのがしんどくもなる。自分という存在を、お金を生み出すか生み出さないかでしか見てくれないから。消費するだけの自分には価値がない。お金を生み出せない才能なんてどうでもいいのだと刷り込まれてしまった。
人に価値をつけること自体が間違いなのに。
それを知らずに、敦也の両親は敦也に価値をつけてしまった。
人の命は金よりも軽い。
彼等による洗脳が、頑張り屋で才能豊かな敦也を、無感情で冷徹で怠惰な人間へと変貌させた。未だに親に縛られているから、本来の努力家に戻りたくても、戻れなかったのだ。
全国模試で一位を取ったって、どうせ、自分はたいしたことがないし、役立たずの穀潰しなのだろうと荒んでいるのだ。どんなに頑張っても、どんなに褒められても、自分を産んで育ててくれた実の両親に全否定されてしまえば、自分を肯定できない。自分はなんの役にも立たないクズなのだと受け入れるしかないじゃないか。
敦也が金稼ぎできる人間だったならば、両親はもっと醜く歪んでいたかもしれない。金というものは人を変えてしまう。なくてはならないものなのに、ありすぎてもなさすぎても醜悪な心を育む。普通がちょうどいいのだ。裕福すぎなくて、貧乏すぎないのがいい。だけど、普通の環境を得るのは、異常の環境を得るよりも難しいことなのだ。
人の命は、金よりも重い。
人を人とも思わないような人が悟る日は一生来ないだろう。誰かが言ったところで、根本的な部分は変わらないのだ。自分が変わろうと思わなければ、変わらない。
人の心を変えるのは、どんな難問よりも無理難題だ。心理学を学んでいるからこそ、人間の心を簡単に変えられないことがわかっている。悪意を悪意だと思っていない人の心は、どう足掻いても変えられない。すべて無に帰す。徒労に終わる。
だから、向き合おうとしない。
どちらも無関心でいることを好むのだ。ぶつかったって、どうせわかり合えっこないと敦也は思っている。何を言っても無駄だから。




