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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十四章  皇帝崩御
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第一六三話  詔

 張譲はフッと一息吐いて胸を張った。自分が直々に盧植に面会し、詔を直接手渡すのだ。


「久しぶりですなぁ、盧尚書。過去の悶着はお互い水に流して、(まつりごと)の話をしましょう。まずはこの詔を承認して頂きたい」


 盧植は無言で詔を受け取るとすぐに目を通した。張譲が勝手に作った詔であるのは一目で分かる。


「張常侍。ザッと目を通したが、大将軍が謀反を起こすなど、到底考えられん話だ。まずは大将軍に直接会って、この詔の内容をじっくり確かめたい」


 張譲は配下の宦官に持たせていた袋から、何進の素っ首を取り出した。そして微笑しながら盧植の机の上に置いた。


「ハッ、大将軍? その大将軍とやらは……この謀反者の首の事かな?」


 さすがの盧植もギョっとして立ち上がった。


「なっ、何だ!? これは!? まさか……!」


「見てわかりませんか……。逆賊、何進の首に決まってるだろっ! どうだ、その哀れな首に訪ねてみろ!」


 盧植は青白い首だけになった何進の顔をよく確認した。その苦渋に満ちた表情は、何進に間違いなかった。


「大将軍っ……! こんな、バカな! 一体なんの罪で首を刎ねたというのだ!?」


 盧植は大声を上げて張譲に詰問した。すると張譲の後ろから武器を持った衛兵が現れて、肩を怒らせている盧植を囲んだ。


「謀反の罪で首を刎ねたに決まっているだろうがっ! さぁ、そんなことより、さっさとこの詔を受理せぬなら、貴方も何進の謀反に加担したと見做しますぞ!」


「ふざけるなっ! 逆賊は貴様だっ、張譲! 今度ばかりは、もう許せん!」


 盧植は背丈が高く、鐘が響いたような大声の持ち主だった。宮中の隅々まで張譲への罵倒が響き飛んでいった。


 宮中に響き渡る盧植の大声は、南宮の隅々にまで行き渡るかのようだった。その声は蘇脩の鼓膜にまで届いた。


「ついに始まってしまったか……」


 と蘇脩は大きく呟いた。そして急いで北の後宮へと走っていった。


 張譲が何を起こすのかを知っていた蘇脩は、宮中の異様な空気が稲妻のように肌へと伝わり、本能がこれから起こるであろう政変を予感させた。


その時、蘇脩の脳裏を過ぎったのは紅晶の姿だった。そして紅晶を探して後宮内を走り回った。


「紅晶っ、紅晶! 僕は……、僕らは、宦官は皆っ、もう殺される!」


「何を言っているの、士然? 一体どうしたの?」


 久方ぶりに出会ったあの日のように、池で鯉の餌をやっていた紅晶は、びっくりして振り返った。


「何進……、大将軍が……、殺されたんだっ。それも、宦官の手によって……」


「どういうことなの? 本当に大将軍が亡くなられたの? 宦官が皆殺しにされるだなんて……」


「大将軍が殺されたと知ったら、我々宦官は司隷校尉(しれいこうい)によって皆殺しにされる!」


「そんな……、まさかっ」


「間違いないっ。張常侍は怒りに任せて大将軍を殺してしまったんだ。これを知った途端に、司隷校尉の袁紹は仇討ちで宦官を皆殺しにしてしまう。雒陽城外は軍勢で埋め尽くされているから逃げ道なんてない。だから、最後に君に会いに来たんだ。今日だけは一緒にいて欲しい……」


 蘇脩は紅晶の手を取って懇願した。あれほど、蘇脩を毛嫌いしていた紅晶も、死が迫っていると聞くと狼狽した。


「そんな……。ま、待って。私にいい考えがっ!」


 紅晶は周りに誰もいない事を確かめると、蘇脩の手を引いた。


「あなただけなら助かる方法があるっ。こっちに来て! ほとぼりが冷めるまでは、なんとかなるわっ」


「ど、どうするんだ。君に迷惑をかけるつもりはないんだ……」


「いいから、来てっ!」


 紅晶は蘇脩の手を引いたまま、北宮の奥へと走っていった。


 北の後宮の静けさに対して、南宮の騒然さは極限まで達していた。狼狽える者、逃げ惑う者、怒声を吐く者、悲鳴をあげる者、様々であるが冷静な者はほとんどいない。


「蘇脩はどこだっ? アイツがいないと……、くそっ。誰か、蘇脩を見た者はいないかっ?」


 張譲はこの期に及んで蘇脩を探し始めた。


(こんな時の為に、奴を飼っておいたというのに――っ!)


 しかし、自分の性急な行動で、切り札の宦官を手元に置いておくのを忘れてしまったのだ。


「仕方ないっ、先に太后を連れて後宮に避難する! 後から必ず蘇脩を連れてくるのだ!」


(まだ切り札はある! あの男! 奴に上手く取り込めれば――)


 張讓は何太后らを筆頭に、数人を引き連れて北宮に続く()()を走っていた。新帝の劉弁と陳留王に奉じられた弟の劉協も一緒だ。


 ()()とは上下二階構造の、北宮に続く回廊の事だ。南宮と後宮を結ぶ唯一の回廊で、宦官や宮女以外は通れない。


「何事ですかっ? 張常侍! 何が起きているのですか?」


 何太后は軽く息切れしながら走り、彼女の手を引く張譲に問い正した。


「大将軍の兵が反旗を翻して、皇宮に攻め寄せているのです! 早くこちらに逃げて下さい!」


「大将軍? まさか、兄が!」


 張譲の手を振りほどいて、何太后は立ち止まった。


「兄が謀反などっ、有り得ませんっ! 私が確かめるから、先に陛下(劉弁)と王(劉協)を連れて行きなさいっ!」


 そう言うと、何太后は一人で北宮とは反対の方向に走って行った。


「太后っ――! なんて事だ……。仕方ない、今は陛下のご安全が優先だっ。無礼は承知の上だが、今は緊急事態、陛下をお抱えしろっ!」


 張譲は幼い劉協を部下の宦官に抱き抱えさせ、皇帝を連れて北宮へと避難しようとした。


(兄に、兄に一体、何が――)


 何太后は複道から南宮に戻ろうとしていた。すると、後から来た宦官の段珪が呼び止め、太后の手を掴んだ。


「太后っ、どこへ行くのですかっ? 私達と一緒に北宮へ行きましょう!」


「手を離しなさい! 私には確かめなければならない事があるのです!」


「いや、しかし!」


 二人が押し問答をしていると、太い声が回廊に響き渡った。


「段珪ぃ! 太后を離せええい!」


 なんと、血塗れになった盧植が(ほこ)を手に、南宮の入り口から現れた。


「ぬおお!!」


 宦官の衛兵に囲まれながらも、一人奮戦してここまでやって来たのだ。


「ろ、盧植っ。まさか生きているとは! 複道が男子禁制なのを知らんのか!」


「離しなさいっ!」


 この瞬間、何太后は段珪の手を振りほどき、複道の窓から下に飛び降りてしまった。


「太后っ――!」


 盧植も太后を追って複道の下に飛び降りた。下は草地だが高さは結構ある。打ち所が悪ければ大事になる。落ちた太后の安否が気がかりだった。


(――くっ、知ったことかっ。太后もどうせ大将軍と同じ運命を辿るのだ――)


 段珪は太后を諦めて北宮に逃げ込んだ。そして、複道の扉を厳重に閉めて人の行き交いが出来ぬようにした。


 そして盧植は、複道の階下で気絶している何太后に急いで近寄った。


「太后っ、大丈夫ですかっ? うっ、意識がない……」


 何太后はぐったりとして、眠ったように倒れている。


「失礼致す……、ご無礼をお許しくだされ……」


 袖に隠れていた太后の右手首を、盧植は剥き出しにした。太后の素肌を見るのも憚れる時代、魯粛は躊躇しながらも命の別状を探った。


 脈は正常であった。打撲等はあるようだが、命に別状はないらしい。


(大事でなくて良かった――)


 盧植は一旦安堵したが、宮廷内の混乱は未だ収束する気配はない。肝心の皇帝の行方は以前わからぬままだ。

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