第一六二話 大将軍暗殺
八月二十五日、その日は突然としてやってきた。何太后が住む南宮の長楽宮に、早朝から何進は乗り込んでいった。
長楽宮は、太后や皇后の住む宮殿である。何進は太后の兄なので特別に立ち入る事が許されている。
「太后っ、またアイツラを許したのかっ。後宮で騒ぎを起こした宦官を不問にし、十常侍どもを復帰までさせるとは!」
何進がものすごい剣幕で怒鳴りあげた。長楽宮に声が響き渡る。
「もう我慢できんっ、太后を呼んでこい! 全ての中常侍を誅殺し、三署郎(護衛官)に宦官廬(宦官の宿直室)を守らせる!」
たちまち郭勝が飛び出してきて何進の非礼を責めた。郭勝は何進と同郷の宦官で、何太后を守る立場でもあった。何太后がかつて皇后になれたのも郭勝のおかげである。
「大将軍と言えども宮中での無礼は許されませんぞっ。病欠で先帝の喪にも服さず、葬も送らず、無礼にも宮中に立ち入り、あげくの果てには、太后を呼びつけるとはっ」
「何様のつもりだっ、貴様っ! 何故、宮中におるのだっ。郷里に帰ってりゃ死なずに済んだのに、ここで首を刎ねてやるっ!」
何進は怒りにまかせて、郭勝の首根っこをグイと掴んだ。
「うぐぐ、落ち着いてくださいっ、大将軍っ」
郭勝は首を締められながらも、側にいた蘇脩に目配せした。蘇脩は頷きざまに走りだし、張譲の元へ駆け付けた。
「だっ、大将軍が、長楽宮に現れました! 太后を呼べと喚き散らしております!」
「なんだとっ! 好機だっ。遂にこの時が来たか! 段珪と畢嵐らを呼んでこい。そして、何進を太后の詔だと偽って嘉德殿の前に呼び出せっ」
以前より、張譲は何進を誅殺する策を練っていた。この時が来るのをひたすら待っていたのだ。
「いいか、何進が来たら南宮の門を全て閉じ、各門に衛兵を配置するのだっ。そして、大将軍が謀反を起こしたと宮廷内に触れ回れっ!」
一人で宮中に入る事を控えていた何進だったが、宦官らが土下座して謝った事で、もう牙を剥く事はないだろうと踏んでいた。
なにより、怒りで我を忘れていたのもある。そこに何進の油断があった。
「太后の詔ですっ! 大将軍っ。太后は嘉德殿の前で、将軍を待っておられると!」
蘇脩が急いで詔を持って戻ってくると、すぐに何進に手渡した。
「くっ、仕方がない。すぐにでも行って話をつけてやる!」
南宮の嘉德殿なら、太后と会って話する事ができる。何進は何の疑いもなく出向いていった。
その頃、宦官の段珪と畢嵐らは数十人の兵を率いて、密かに闥(宮中の門の呼称)の側から入り宮中の陰に隠れた。
何進は偽の詔にまんまと騙され、無防備にも嘉德殿の前まで一人で来てしまった。
何進は怒りで我を忘れ、嘉德殿の異様な雰囲気に気付かなかった。
「くそっ! 太后はどこだっ! どこにいやがるっ」
「神聖な宮殿の前で、大声を出すのはおやめなさいっ!」
背後から甲高い声で怒鳴るのが聞こえ、何進は怒気を含みつつ振り向いた。
「なんだとっ!? 私を誰だと思って……! なっ、なんだ?」
一人の宦官が何進に迫ってくる。張譲と並ぶ十常侍の一人、段珪だ。その背後には数十人の衛兵がいた。
後ずさりすると、知らぬ間に衛兵たちにぐるりと囲まれていたことに気づいた。
「しまった! こんな所に兵を伏せていたのかっ!」
段珪は何進を指差して、大声で命令した。
「謀反人を取り押さえろ!」
「む、謀反人っ!? ぐぅっ……」
すぐに何進は取り押さえられ、文字通り縄を頂戴した。首にも縄を巻かれて思うように声すら出せない。
「無様だな。何進よ」
ようやく張譲が現れ、間近で何進と向き合った。何進は首に巻かれた縄に藻掻き足掻く。
「張譲っ、貴様っ、うぐ、ぐっ!」
衛兵は何進の首を後ろからギュウと締めあげた。動けない何進に向かって、張譲は唾棄しながら怒鳴り散らした。
「豚殺しの何進! よくも、やりたい放題やってくれたなっ。天下が乱れたのを我らのせいにしやがって! 太后が嫉妬で王美人(劉協の生母)を殺し、先帝(霊帝)が太后を処刑しようとしたのを忘れたか。我らが涙を流し土下座して謝ったのだぞ。家財千万を供出し、喜んで貴様の一族の栄華を約束してやったっ。その大恩ある我ら宦官を、滅そうとするとは何事だ! 袁紹も……我らを濁流だと罵っているが、貴様は忠清な臣だと言えるか。誰一人として心の清いヤツなどいやしない!」
確かに、張譲の言う通り、皇帝が健在だった頃の可太后は傲慢で目に余るものがあった。
霊帝ですら自分の妻を処刑しようと思ったほどだ。それを張譲が庇って太后の命を救った経緯がある。そして清流派を自称する袁紹を皮肉った。
「貴様の妹を救ってやったのは私だっ。貴様が大将軍でいられたのも私のおかげだっ。だがそれも今日で終わる。やれいっ!」
張譲は怒りに震えながら甲高く叫んだ。張譲の背後から現れたのは、同じく宦官の渠穆だ。
渠穆は、尚方監という皇室の武具の製造や保管を取り扱う長官である。
蹇碩のように宦官にしては体格が立派で、それに見合った大きな刀を持っている。
「大罪人を今すぐ処刑しろっ、斬れい!」
張譲に急かされるように渠穆は刀を抜いて振り上げた。衛兵は何進を解放したが、首を締められたので意識が朦朧としている。
「ぐはぁ!」
何進は正面から一刀のもとズンと斬られた。切れた服の隙間から鮮血が吹き出す。何進は白目を向いて地面に倒れた。
「よしっ、何進の首を獲れ!」
渠穆の大刀は何進の首を斬り離した。遂に、宦官たちは大将軍の何進を屠り去った。
過去にも宦官は政敵との権力争いに勝利してきた。専横を奮った外戚の梁冀、清流派の陳藩と董武、宦官粛清を計画した太尉の陳球、等々。
そして、大将軍の何進。
張譲は仮初の勝利に喜々とした。だが、この後の処理を上手く熟さなければ、真の勝利は得られない。
渠穆は布の袋に何進の首を詰めると、張譲らと共に急いで宮中にある自室へと向かった。
「急いで詔を作るんだっ! これは天子の勅命だと認めさせるんだっ!」
張譲と段珪らは即座に偽の詔を作成し、自分達の正当性を捏造した。
詔には、宦官の息のかかった人物を重要な役職に就けるという算段が書かれてある。
太尉の位であった樊陵を司隸校尉に任じるとした。樊陵は宦官に取り入って太尉になった男だ。
次に少府(皇室雑務担当府)の許相を河南尹に任じるとした。許相は月旦という人物評で有名な許劭の一族で、宦官派の一人である。
現在の司隷校尉は袁紹、河南尹は王允だが、張譲らは勝手に都合良い内容の詔を作成し、何進が謀反を企んだと記した。
「尚書は、あの盧植ですよね? この詔を信じるでしょうか?」
尚書とは朝廷の官房にあたる重職で、ここを通さずには詔は受理されない。
盧植は黄巾の乱で優勢に軍を進めながらも宦官の諫言で失職し、皇甫嵩の弁護によって尚書に返り咲いたという過去がある。
つまり盧植は、宦官たちの天敵なのだ。
「信じるもへったくれもあるかっ。軍権を掌握するには押し通すしかあるまい! だが、案ずるな。盧植といえども既に老齢。私が直接に手渡ししてやろう!」
張譲は以前とは違って、冷静さを欠いた行動や発言が目立つようになっていた。
この詔を廬植に承認させて発布できるかどうかが、張譲にとっての正念場となる。




