第一六一話 足掻
翌日、張譲は主だった宦官たちを集め、情報収集と今後の動きについて会議を開いた。
その場所は、男の高官では決して足を踏み入れることのできない後宮の奥。
「貴様らっ! なんの情報もないのかっ。このままでは我々は、何進や袁紹に滅ぼされてしまうぞ!」
張譲の恫喝に宦官たちは萎縮しきっている。だが、打開策がなければ自分たちの末路は暗いのも確かだ。
一人ひとりの目を覗き込みながら張譲は歩く。そのうち蘇脩の目線へ、舐めるように張譲の目が入った。
「おい、脩。貴様はどうだ? なんでもいいから言ってみろっ」
張譲からは紅晶などの宮女を情報源に探ってこいと言われている。藁をも掴む思いだろうが、紅晶が有益な情報を持っているとは思えない。
なにより、紅晶を出汁に何かを聞き出す事など出来なかったのだ。
「じ、実は少しだけ情報を掴んでいます。大将軍は中常侍の方々を郷里に返した後で、個別に抹殺する考えなのでは……と」
「何、すでにそんな情報を掴んでいたのか。何故もっと早く言わぬのだ!」
蘇脩は咄嗟にそれらしい嘘を報告した。とはいえ、あながち嘘とも言えないのが現状だ。
「申し訳ありません、正確な情報ではなかったので。あくまで、噂話の範疇です……」
「だが、十分に有り得る話だ。むしろ、私の考えが楽観的過ぎたのだ。すぐにでも手を打たねばっ」
蘇脩の報告を受けて、十常侍たちは狼狽した。
「太后に会う事さえ出来れば、今の状況を打破出来るやもしれん。故郷に帰れば京師には戻れぬばかりか、生きていることさえ儘ならぬぞ!」
趙忠は悔し涙を流している。十常侍と畏怖され、人臣を極めた皇帝の補佐人が……屠殺屋あがりの外戚によって窮地に立たされるとは。
張譲は深呼吸して落ち着こうとした。一息つくと話を続けた。
「私の、息子の嫁を頼る以外に道はない。太后の妹だからな……」
奇しくも張讓の息子の妻は、太后の妹であった。姉ほどの器量良しではなかったが、十常侍を束ねる張譲の息子に嫁いでいた。
高位にある宦官は自分の養子を持つ事ができ、子孫と遺産を後世に残せる。
「だが、今は自分の息子に会う事すら許されない。見つかれば即、我々は皆殺しだ。何か良い手立ては無いものか……」
宦官らが静まり返る中、蘇脩が静かに口を開いた。
「私が、宮中で騒ぎを起こします。その隙にご子息にお会いください」
張譲の義息が住む邸宅は、北宮(後宮)のすぐ近くにある。だが、監視の警備兵が昼夜を問わず張り付いている。
宮中で騒ぎを起こせば見張りの兵が北宮に気を取られ、警備が手薄になるかもしれない。その隙に張譲が会えば見つからずに済む。
「宦官が騒ぎを起こすのは得策じゃない。下手すれば、連帯責任で我々は破滅だぞっ」
趙忠は捨て台詞を吐くように、蘇脩の案を蹴ろうとした。誰もがそう思ったが張譲に躊躇はなかった。
「このままでは、どのみち殺されるんだ。今さら恐れるものはない。脩よ、明日にでも計画を実行しろ!」
張譲はその場で即決した。もはや誰も反対意見を言える状況ではない。
そして明朝すぐに計画は実行された。
蘇脩は後宮に出仕すると突然、宮女の髪を引っ張り回し、大暴れし始めた。
「ちくしょう! 我々宦官は殺されるっ、大将軍に皆殺しにされるんだ!」
「宦官がっ……! 誰かっ、衛兵を呼んで!」
宮女らは悲鳴を上げて逃げ回った。案の定、数人の宮女らが助けを求めて後宮の外へ訴えかけた。
北宮は男子禁制。衛兵すら入れない。宮女は北宮から出られないし、宮中の護衛を担う衛士たちも中に入ることは許されない。
そのうちに、北宮の朱雀門辺りが大騒ぎになった。皇帝や皇后が住む北宮での騒ぎだ。外の衛兵たちも自ずと北宮の城壁に駆けつけた。
張譲の息子の邸宅にいた衛兵も、北宮の騒ぎに気を取られて持ち場を離れた。
(やったぞ……! 脩の奴め、上手くやりおった!)
忍び足で息子の邸宅に入った張譲は、急いで息子の妻を呼び出した。
「士然っ、アナタ、何をやっているの! 気でも違ったのっ?」
紅晶が現れて蘇脩の前に叫びながら立ち竦んだ。ずっと蘇脩を無視していた為に、気が違ってしまったのかと思ったようだ。
「そのとおりさ! どうせ俺たち宦官は皆殺されるんだっ!」
「士然っ、やめて!」
騒いでいる間に腕っ節の強い宮女が何人かやってきて蘇脩は取り押さえられた。去勢されると体も女性のようになり、腕力が落ちる。
「待って、その人が悪いんじゃないんです! 私のせいですっ、彼を離してやって下さい!」
なぜか紅晶が蘇脩を庇った。蘇脩は涙を流して目を閉じた。悔いはあるが、この騒ぎで恐らく自分は死ぬだろう。
しかし、彼には果たさなければならない目的がある。この計画に自ら望んだのもその為だった。一縷の望みを託した決死の策だ。
「騒々しいぞっ、何があった!」
そこへ現れたのは、皇帝に即位したばかりの劉弁だった。齢十七歳、体格はしっかりと出来上がっている。父親の霊帝は、劉弁を軽率と評したが、蘇脩にはそうは見えなかった。
「この宦官が采女(宮女)の髪を掴んで暴れ出したのです。大将軍に殺されると……」
宮女の一人が皇帝の前にひざまずいて報告した。蘇脩と周りの宮女らも続いて、皇帝の前に平伏して頭を地に付けた。
「大将軍だと?」
若き皇帝は押し黙った。実は、劉弁も母と同じく宦官に同情的で、大将軍の叔父を嫌っていたのだ。
「そうか、宦官が。おい貴様、もう二度と騒ぎを起こさないと誓うか?」
「はいっ、陛下。二度とこんな事は……」
皇帝に声をかけられた蘇脩は、平伏したまま答えた。下っ端の宦官は目を合わせることも許されない。
「よし、今日の騒ぎは不問にする。よいな」
皇帝は言葉短めにその場を去って行った。まさか皇帝に救われるとは、蘇脩も紅晶も思いもよらなかった。
一方の張譲は太后の妹である義息の妻に、号泣しながら境遇を訴えた。
「太后は兄の大将軍に脅されているだけなのだっ! 彼は我ら宦官を毛嫌いしている……。こんな事で京師を追い出されるなんて……ううっ」
張譲の悔し涙に、息子とその妻ももらい泣きした。
「泣き言はこれくらいにしとこう……。ただ、故郷に帰る前に太后に恩返しをしたいのだ。何もできないが、せめて直接会って挨拶だけでもしたい。頼む、なんとか、この想いを太后に伝えて欲しいのだ……」
「わかりました……。張中常のお言葉、必ずや姉上にお伝えします」
張譲の言葉は、義息の妻から何太后の母、舞陽君へ伝えられ、すぐに何太后に伝わった。
「なんですって! 張中常が、そんな事を……。なんとお労しや……。私が陛下に直談判して、すぐにでも張中常たちを元の官に戻させましょう。大将軍には私から話しておきます」
太后は悲嘆して彼らの為に詔を下し、再び十常侍らを元の官位に復帰させるように取り計らった。
「やったぞっ! 起死回生とはこの事だっ!」
張譲は珍しく小躍りして身体中から喜びを表した。
「脩の機転がなければ今頃どうなっていたか……。よくやったぞっ!」
蘇脩は控えめに礼をして後ろに下がった。張譲のように大喜びする心境にはなれない。他の宦官たちも同じ気持ちだった。
「なんだ、お前たち。嬉しくないのか? そうか、何進や袁紹が生きている限り、まだ安心できぬという訳か。だが、案ずるな。もう次の策は練ってある。何進さえ亡き者にすれば、袁紹など恐るるに足らずだ。まずは何進を……、いいかお前たち。耳を貸せ……」
いわゆる十常侍たちは、張譲の陰謀に耳を傾けた。蘇脩も命を張ってまで宮中で騒ぎを起こした件を買われ、その陰謀の輪に入っていた。




