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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十四章  皇帝崩御
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第一六〇話  平伏

「何故だっ、何故、引き返した! 一刻の猶予も許さぬ状況だというのにっ」


 涼州の猛者……董卓軍が後退したのを嘆いたのは、張譲であった。何故なら、董卓とも裏で繋がりを持っている。


「董卓め……。こんな時の為に、西涼での我儘(わがまま)放題を揉み消してやったんだぞっ。董旻の奴をとっちめてやるっ」


 張譲は自分の鬱憤を、董旻(とうびん)に吐き散らした。董卓を利用するため、弟の董旻を抜擢して朝廷に招き、董卓との密約の橋渡しをさせていた。


 何進との対立が激しくなる以前から、何進の部下として潜り込ませたにも拘らず、大した働きをしてない董旻に、張譲は苛ついた。


「袁紹ならば必ずや、あなたの兄上を雒陽に招くと私は考えた。そしてその通りになった。あなたの昇進も約束した。なのに何故、今になって動きを止めるのだっ!?」


 張譲に詰め寄られた董旻は狼狽えている。


「張中常、私にも訳が分からないのです。連絡も取れない状況で、もしかしたら大将軍が何か感付いたのかも……」


 鈍い何進が感付く訳がない、と張譲は思った。勘が鋭いのは袁紹だ。


「あなたと董将軍には貸しがあるんだ。なんとしても、早急に京師へ向かうよう説得してくれ!」


 数年前、董卓の兵権を全て皇甫嵩に譲渡せよ、と朝廷からの勅命があった。涼州の反乱鎮圧後の事だが、強大になりすぎた董卓の軍事力を恐れたからだ。


 だが、董卓は命令を無視して兵権を渡さなかった。


 董卓が勅命を無視出来たのは、張譲の根回しがあっての事だ。この件で董旻を抜擢し、何進と好(よしみ)を作らせたからだ。張譲の言う貸(・)し(・)とはこの件の事だ。


「わ、わかりました。何とかやってみます……」


 董旻は申し訳なさそうに了承した。


 しかし張譲を待っていたのは、予想を上回る事態であった。事もあろうか頼りにしていた董卓により、張譲を弾劾する上書が届けられたのだ。


 この上書の件を知った董旻は泡を喰らい、病気と称して自分の屋敷に引きこもった。


(――中常侍の張讓らは陛下の寵愛を逆手に取って、海内(かいだい)(天下)を大いに乱しています。我々は直ちに京師へ向かい、張讓らを捕らえて悪を清める所存です――)


 この上書を見てからというもの、張譲の行動は傍目にも目障りに映るほどに、おどろおどろしくなった。


「あんなヤツらに頼ろうとした私が間違っていたっ。やはり何進は我々の手で始末しなければ……」


 張譲は切羽詰まって自暴自棄ぎみになっている。諸刃の剣なのは承知の上で、董旻も何進も殺して鬱憤を晴らそうと周りに息巻いた。親友の趙忠でさえ張譲の自棄ぶりに眉をひそめた。


「董旻を殺せば董卓を敵に回し、何進を殺せば袁紹に狙われる事になる。返って我々の身が危うくなるだけだ。やはり太后の指示通り……」


 趙忠の弱気な言葉に苛立ったが、張譲は怒気を飲み込んだ。今は十常侍の団結こそが唯一の突破口。自分だけ先走っても利は無い。


「太后のおかげで、我々の首は皮一枚なんとか繋がっている。このまま黙って郷里に帰るか……それとも、恥を承知で、何進に謝罪を申し入れるか」


 あれほど虚栄心の強かった張譲が、何進の足下に平伏する道を選んだ。趙忠ももちろん異論はない。


「恥もへったくれもない。我々……宦官が郷里に帰ってどうなる。後宮でしか生きられないのが我々だ。大将軍の下に、皆で詫びを入れに行こう……」


 合理的に考えれば一時の恥など屁でもない。むしろ謝罪して相手の油断を誘い、機を待てば道が拓けるかもしれない。


 宦官たちは張譲の言葉に泣いた。地に突っ伏して泣く者までいた。しかし、張譲は唇を噛み締めて耐えた。


 そして張譲たちは、何進が厳重な警備で篭もる百郡邸に、十常侍は雁首を揃えて出向いた。


「大将軍! 申し訳ありませんでしたっ!」


 張譲たちは何進が屋敷から出てくる前から土下座して、大声で謝罪を繰り返した。少しして佩刀したまま何進と武装した兵たちが出てきた。


 何進は上から睨みつけると、足下の張譲たちに言った。


「私の所まで詫びに来た事は評価してやろう。だが、天下を乱した貴様らの罪はこの程度では消えぬ!!」


「ひいっ!」


 何進の怒気に、悲鳴をあげて宦官たちは慄いた。


「しかし……、本来なら一族郎党死罪ではあるが、太后たっての助命嘆願があった。その大いなる慈悲で命だけは助けてやる。もちろん金輪際、太后に会ってはならぬ。後宮に足を踏み入れるのも禁止する! 前将軍(董卓)が貴様らを討伐する為に迫って来ているのだ。速やかに郷里に帰って余生を過ごすがよい」


「はは――っ! 有難き幸せっ。太后と大将軍のお慈悲は未来永劫忘れません!」


 十常侍らは大袈裟に礼を述べると、そそくさと百郡邸から退散した。


 翌日、宦官に帰郷を勧めたに留めた何進に対し、袁紹は声を荒げて諫言した。


「何という事をっ! 宦官どもを許した挙げ句、郷里に帰らせるなどっ!」


 何進は目を逸らすと、袁紹に背を向けた。袁紹は後ろからさらに何進を責めた。


「今、宦官どもを野放しにしたら、大将軍は無能を晒すことになりますぞっ!」


 度の過ぎた袁紹の言葉に、何進は振り返って一喝した。


「いい加減にしろっ! 大将軍の命に従えんのか!」


 袁紹はぐうの音も出なかった。こんなわからず屋とは思わなかった。


(クソっ……。こうなったら俺自身でやるしかないっ!)


 虫の居所が収まらない袁紹は、すぐに突飛な行動に出る。


(宦官を殺せないなら、その一族を苦しめてやればいい……)


 後日、勅書を何進の命令だと偽って諸州郡に送り、有力宦官の親族を捕縛するように命じたのだ。


 袁紹の命令違反ともいうべき暴挙が、恐々とする宦官らに、さらなる恐怖を与えた。


「我々の一族がそれぞれの故郷で、縄に繋がれているという情報は間違いない。やはり何進は宛にならんっ! すぐに次の策を進めなければならんっ!」


 とはいえ、危機的状況を乗り越える案が、そう簡単に浮かぶはずがなかった。皆、腕を組んで唸るだけで、打開策を思いつく者はいなかった。


(やはり、私自身しか頼れる者はいないということか……)


 打開策などないが、とりあえず行動は起こさねばならない。張譲は自分が飼い慣らしている蘇脩に、太后の様子を探らせようとした。


「いいか、脩。なんでもいいから太后や何進の情報を引き出してこい。どんな些細なことでもかまわん」


 もちろん、蘇脩だけではない。張譲は全ての宦官に情報収集の任を与えている。


「はっ。しかし私ごときでは、大した情報など知りえませんが……」


「貴様が懇意にしている、宮中の侍女がいるだろ。なんでもいいから聞き出してこいっ」


「はっ」


 すぐに蘇脩は、後宮にある小さな湖畔に向かった。そこに紅晶がいるはずだ。


 やはり、紅晶がいつものように、錦鯉の餌を撒いていた。蘇脩は後ろから話しかけるのを躊躇った。見えない大きな溝が二人の間には、確かに存在している。


 何もできず、蘇脩はただ遠くから見守っている。


「後ろにいるんでしょ……、わかっているのよ。私に付き纏うのはやめて」


「いや……、僕は仕事で宮中にいるんだ。たまたま君の近くに通りかかっただけで、偶然だよ……」


 紅晶は溜息をついて蘇脩を睨んだ。


「そう。それなら仕方ないわね。私も見て見ぬ振りするから……」


(これじゃ、太后のことを聞き出すどころじゃないな――)


 蘇脩はそれ以上、紅晶に近づくことが出来なかった。

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