第一六四話 突入
昼過ぎになると大将軍が南宮にて宦官に捕縛されたとの報せが、何進の親衛隊長である呉匡と張璋の耳にも入ってきた。
「大将軍が、宦官どもに拐われただと? まさか、信じられんっ」
「将軍が護衛もつけずに一人で南宮に行く所を見た者がいる。無事かどうかわからんが、まだ戻ってないのは確かだ。もはや一刻の猶予もないっ! すぐにでも兵を集めて宮殿へ乗り込もう!」
呉匡と張璋は、急いで集められるだけの兵を招集した。緊急だったので百人にも満たない数だ。それでも彼らは南宮に突入した。
「即刻、突入するっ!」
南宮の入り口付近は騒然としていたが、犠牲者はそれほど多くはないようだ。宦官たちの持ち得る兵力の限界である。
それ故、張譲らは早々に男子禁制の北宮に逃げ込んだようだが、他の宦官は南宮内の北部の宮殿に立て籠もって門を塞いだ。
呉匡と張璋はすぐに南宮の中央、嘉徳殿の九龍門前に詰め寄った。宮門の象徴で、青い鎖の文様を施していたので青瑣門とも呼ばれていた。
「くそっ、宦官どもめ……! 嘉徳殿に立て籠もったかっ」
嘉徳殿は何進が斬られた場所だ。呉匡と張璋はまだ何進の生死を知らない。
「ダメだっ、完全に門が閉じられている。衝車でもなけりゃ、頑丈すぎて突破できねぇ」
衝車とは、城門を破壊する為の巨大な車輪付きの縋で、人力で押して門を破壊する攻城兵器である。
「そんなもんが京師にある訳ないだろう。ここは戦場じゃないんだ」
「いや、いずいれここは戦場になる。門を破って大将軍を救出しなけりゃ、手遅れになるぞっ」
そうこうしている内に、門の上から矢が降ってきた。
「な、なんだ!? 矢だっ、矢が降ってきたぞっ。皆っ、下がれ!」
「逆賊め! 天誅を喰らえ!」
そんな声が矢と共に門の上から突き刺さってくる。
「宦官どものくせに武装までしやがってっ。すぐに虎賁殿に加勢を頼もうっ! このままでは拉致があかんっ」
虎賁とは皇帝直属の精鋭部隊である。袁術が虎賁中郎将として実権を握っていた。
袁術は袁紹の異母弟で名門袁家の御曹司。字を公路という。袁術と袁紹とは、共に御曹司だが犬猿の仲だ。
大将軍直属の部下である呉匡と張璋は、袁紹が宦官誅殺の件で何進を見縊っていたのを肌で感じていた。二人はその事に内心憤り、異母弟の袁術と懇意になっていた。
「よくぞ、この私に知らせてくれた! すぐ皇宮に乗り込むぞ! 大将軍を救い出すのだ!」
袁術は呉匡の要請を快諾して、自分の直属である虎賁部隊を南宮へと向かわせた。
「なんとしても本初(袁紹)より先に、大将軍を救出して手柄を上げなければ!」
九龍門に虎賁兵を集結させた袁術と呉匡だが、皇宮を護る門はかなり頑丈だ。ここを突破しなければ何進の生死は分からない。
「クソいまいましいっ。このままでは日が暮れてしまうぞっ。門に火を放って焼き払うしかない!」
宮殿に火を放つのは抵抗感があったが、他に手段がない。やるからには手加減出来ないと袁術は思った。
袁術らは嘉徳殿の九龍門と、側にある東宮と西宮にも火を放った。
一方の袁紹も黙って手を拱いていた訳ではない。呉匡らと同じように、昼過ぎには何進の消息不明の報を得ていた。
「クソぉっ、張譲め! よくも大将軍をっ、絶対に許さん!」
また、偽の詔の内容が、袁紹が司隷校尉の任を解かれ、司隸校尉が樊陵、河南尹が許相に任命するとされたのを知った。
「叔父上っ、あの偽物どもを始末させて下さい! 樊陵と許相は宦官の言いなりになっていた不届き者どもです!」
袁紹は叔父の袁隗の助力を得ようと、早急に詔の作成を迫った。袁隗は名門袁家の筆頭格であり、太傅(皇帝指南役)に就いている。
「宦官どもが勝手に作った詔など、誰が信じるものか」
「樊陵と許相を早急に始末する為にも、詔が早急に必要なのですっ。お願い致します!」
袁紹は新しい詔を叔父から拝借するとすぐ、樊陵と許相を誘き寄せて捕らえ、有無を言わせず二人の首を刎ねた。
「こいつらは宦官に組みした反逆者だっ。宦官に加担する者は斬首に処す!」
その場に居合わせた何苗は恐怖した。何苗自身も何進の弟でありながら宦官から賄賂を受け取り、宦官を擁護していた立場だからだ。
「車騎将軍っ! 我々はすでに虎賁の遅れを取っているっ。これから一緒に南宮に攻め入り、宦官どもを滅ぼします! いいですな!?」
「は、はいっ、はい!」
車騎将軍の何苗は、首を縦に何度も振って袁紹に追従した。
この状況で袁紹と行動を共にしなければ、樊陵や許相と同じ命運を辿るだろう。
袁紹と共に南宮に乗り込んだのは何苗だけでなく、董卓の弟で何進の部下である董旻も随行した。少々出遅れたために、南宮は袁術の軍でごった返していた。
「なんだこれは、南宮が既に火の海じゃないかっ! これでは……」
予想外の修羅場に、袁紹は何進の安否を気遣うことさえ諦めた。
(――この状況では大将軍も無事ではないだろう。今さら探したところで無駄な事だ。私の言うことを聞かなかった大将軍が悪いのだ。それより陛下の安否を確認するのが先決だ――)
あの狡猾な張譲の事だ。陛下を連れて北宮に立て籠もっているに違いない。袁紹はそう考えた。
「陛下の安否確認を最優先する! このまま真っ直ぐ北宮の朱雀門に行くぞ!」
北宮の朱雀門へ行くには、南宮の中を抜けて行くしかない。袁紹は軍勢を率いて足早に北宮に向かった。
通り過ぎる最中、袁術、呉匡、張璋が軍勢を集めて意気揚々と門を燃やしているのを見た。よく見ると、嘉徳殿だけでなく東宮、西宮の門も焼いているではないか。
(馬鹿どもめ――。大将軍の救出に気を取られておるわ。ここで私が陛下を救出すれば、次に大将軍になるのは――)
そんな邪なことを考えながら、袁紹は何苗や董旻らの兵を引き連れて後宮の朱雀門へやってきた。
そこで袁紹たちは朱雀門の付近で血まみれの盧植に遭遇した。袁紹は真っ先に盧植に話しかけ介抱しようとした。
「盧尚書っ! 大丈夫ですかっ!」
「ああ、傷は大したことはない。これは返り血を浴びただけだ。それより、太后を保護している。ここより安全な場所に連れて行ってくれ。私は北宮に乗り込んで陛下を救出する」
「太后の身柄はお任せを……。盧尚書も休んでいてください。陛下は北宮にいるのですね? 張譲が陛下を連れて行ったんですね?」
盧植は、休んでいるなどとんでもない、と逆に袁紹を叱りつける勢いだった。しかし、言葉とは裏腹に盧植の体力が限界だったのは誰の目にも明らかだった。
「私とて司隷校尉ですぞ。この場は私に任せてください。必ず陛下を救出してみせます!」
盧植は無言で頷くと、少しだけ休んですぐに戦線に復帰する、と言った。袁紹も頷くと朱雀門を見つめた。
南宮からの炎が、日が落ちかけて暗くなった朱雀門を照らした。北宮の朱雀門は南宮のどの門よりも堅固で、攻城兵器の衝車でなければ門を突破出来ない。
城門の上からは宦官自らが武器を取り、石や弓矢を放ってくる。そのどれもが弱々しく威力は劣るが、必死の抵抗なのがわかる。
「朱雀門を焼き払え! 陛下をお救いする為なら手段は厭わん!」
張譲は門の前で齷齪する袁紹たちを、望楼の上から眺めていた。
「陛下がこちらにいる以上、我らには手を出せまい。その間に何苗や董旻をこちらに寝返らせ、機を見て反撃するのだ!」
「宦官どもが陛下を渡さないなら、こちらにも考えがある!」
袁紹は北宮の朱雀門にも火を付けた。袁紹は朱雀門を前に、袁術は南宮の嘉徳殿を前に、膠着状態のまま夜を迎えた。




