第一六五話 炎
朱雀門に火を付けただけに留まらず、袁紹らの兵は梯子を掛けてよじ登り突破しようと試みたが、宦官の抵抗が激しく遅々として進まない。
「兵が足りぬっ。一刻の猶予もないというのに!」
袁紹が攻めあぐねている所に、南宮を制圧した袁術、呉匡、張璋らが朱雀門に現れた。
「本初殿。南宮は制圧しましたが、すでに大将軍は宦官どもに暗殺されておりました。十常侍ら主要な宦官らは逃げて見当たりません」
袁術は一応、兄の袁紹を立てて南宮を制圧した事を報告した。
「うむ、ご苦労であった。大将軍の件は残念だ……が、まだ宦官どもは北宮に立て籠もっている。門を突破して陛下を救い出し、大将軍の墓前に宦官どもの首を並べてやろうっ!」
南宮と北宮の隙間に犇めき合う軍勢へ、袁紹は大仰に演説ぶった。
すると兵たちは勝鬨をあげて、袁紹の鼓舞に答えた。そんな袁紹の派手な人望に、袁術は嫉妬した。
(くそ……、格好付けやがって。俺も何か派手な事しなきゃ目立たねぇ――)
「なんでここに何苗がいるんだ?」
袁術が何苗を指差して態とらしく言い放った。そうしたのは呉匡と張璋からの懇請があったからだ。
「このような事態になったのは、そこにいる何苗のせいだ! 大将軍の弟でありながら宦官に与する薄汚い野郎だ! 大将軍を殺したのは車騎将軍だと言っても過言ではない! ここで奴を殺させて下さい!」
呉匡たちは袁術だけでなく袁紹にも懇願した。膠着状態の鬱憤が兵たちの間でも拡がっている。
「なんだとっ、こんな非常事態の最中にか!? まだ朱雀門すら突破できてないのだぞ?」
袁紹は戸惑ったが、袁術は冷静に自分の利を考えた。
「兄者、これから俺達は宦官どもを皆殺しにして、党錮の禁での怨みにケリをつける。この際、何苗も一緒に滅ぼした方が得だろう?」
確かに、と袁紹は心の中で呟いた。心根とは裏腹の態度で、袁術や呉匡に答えた。
「それで気が済むのなら、勝手にすればいい」
袁紹は一応、躊躇するような素振りを見せ、何苗の始末を許可した。側にいた董旻も呉匡らに応じて、何苗のいる軍勢に兵を繰り出した。
(ここで何苗を殺しておけば、俺が怪しまれる事はない――)
ここにいる者は知らぬが、董旻も宦官と裏で通じている。
「宦官の手先である逆賊何苗を討ち、大将軍の仇討ちを果たそうぞ!」
「大将軍の弔う為なら、この命を捧げます!」
何進は日頃から部下を可愛がっており人望があった。呉匡らの士卒からも打倒何苗の声が上がった。
「よし、早急に何苗を討ち、すぐさま朱雀門の攻撃に戻るぞ!」
目と鼻の先にいる何苗の軍勢に襲いかかった董旻と呉匡らの兵は、何苗の兵を瞬く間に蹴散らした。
「なんだ!? どうして味方が襲ってくるんだ?」
味方だと思っていた兵に攻め寄られ、簡単に何苗は捕らえられた。
「待て! 俺が何をしたっていうんだ! うああっ」
すぐに叩き斬られた何苗は、遺体となって朱雀門の付近に放置された。
日暮れになると南宮の炎は城壁をさらに赤く照らした。暗くなっても火の勢いは衰えず、火炎の明かりが雲に照らし出され、顕陽苑にいた董卓の所からでも遠望できた。
「あん火はなんじゃ? また孟津が焼かれたんか?」
董卓は外に出て確認した。
「いや、ありゃ京師で間違いなかとです。宦官と何進が争いば始めたんでしょう」
「よし! すぐに京師に行くど。全軍出動の準備じゃ!」
董卓は待ってました、とばかりに馬に飛び乗った。
「将軍、かなり暗なっとうけど、今から出発するとですか?」
「こん時ん為に、酒も飲まんと待機しとったんじゃい。四の五の言わんと準備せい!」
董卓軍は即座に準備を済ませて、一路雒陽へと歩を進めた。
「蘇脩は見つからないのか!?」
張譲は半狂乱になって手下の宦官に喚いたが、もはや後の祭り。
(焦って何進を殺したのは早計だったか。蘇脩の奴め、万が一の為に蘇脩を飼ってやっていたというのに。いや、まだ董卓がいる――)
もはや風前の灯火となった後宮の十常侍は、宮廷の奥に集まって最後の会議を開いた。
「頼りの車騎将軍(何苗)も袁家の小童どもに殺された。私と段珪は夜の内に、陛下と陳留王を連れて穀門(北宮の北門)から脱出する。唯一の頼みは前将軍(董卓)だ。彼を呼応させれば弟(董旻)も追従して、袁紹らの軍勢を内側から崩せる。それまでは皆、どうか朱雀門を死守してくれ!」
これまでにないほど張譲の顔色は悲壮に満ちていた。
「今生の別れになるかもしれんな……うう」
幼年の頃から宦官となり助けあって生きてきた張譲と趙忠は、手を取り合って泣きだした。
過去の栄華に想いを寄せ、最後の別れを済ませた。他の十常侍らとも別れを済ませると、張譲と段珪は服装を平民の服に着替えた。
薄暗くなった夕刻に、皇帝劉弁と陳留王劉協と皇室のお供の者らを引き連れ、後宮の北にある裏門を抜けた。
そして、雒陽城最北の正門である穀門から、張譲らはほんの十数人で忍びながら出て行った。
あまりの混乱ぶりに、皇帝の証である六璽(六つの印璽)も持たず、公卿の身分で従う者は一人もいないという有様であった。今は伝国の六璽を気遣う余裕はない。
出ていく途中、若き皇帝は恐怖よりも苛立ちから声を荒げた。
「朕は天子の身だぞっ。なぜ京師を離れなければならん!」
弟の劉協は、宦官に背負われながら泣いている。
「陛下っ、一刻を争うのです。ぐずぐずしていると反逆者が迫ってきます!」
劉弁は憤ったが、逆賊に殺されると脅された。
仕方なく、北の小平津まで走って逃げた。小平津は黄河のすぐ側にある関所で、丁原に焼かれた孟津の北西にある町だ。
丁原の軍は焼け野原となった港町の孟津に駐屯したままだった。対岸に見える雒陽の炎を酒の肴に皆で眺めていた。
「京師が火で赤く染まってるんですよ。ありゃ、ただ事じゃねえ。こんな所で酒飲んでる場合じゃないぜ」
呂布は騒いだ血が抑えられなかった。丁原は無碍に否定した。
「おい、奉先。都のいざこざに首突っ込んでどうすんだ。司隷校尉からは動くなと言われてるんだぜ」
「執金吾になったのに、京師の危機に駆けつけねえんすか。呑気に酒あおって……」
丁原は酒瓶を呂布に投げつけた。呂布は手刀で飛んできた酒瓶を叩き割り、全身に酒を浴びた。首に巻いている朱色の布も少し濡れた。
「てめぇ、俺に楯突くのかっ。ここでカタつけてやってもいいんだぞ!」
立ち上がった丁原は矛を手にして怒気を巻き上げた。呂布も立ち上がり、二人は一触即発となった。周りにいた者達は固唾を呑んで見守っている。
「アンタに楯突く気はねぇ。俺は戦う相手が欲しいだけだ」
「腑抜けた事言うなよ。なんなら俺が相手になってやろうか?」
呂布は突然、背を向けてその場を立ち去ろうとした。
「馬鹿野郎! 俺に背を見せるな!」
丁原は矛を呂布の背に突き立てた。周りの者達は、あっ……と声を漏らした。
だが呂布は身体を反転させて矛を躱し、矛の柄をしっかりと掴んだ。
「遊びはこんなもんでいいだろ? アンタには恩がある」
丁原は大笑いして矛を手から離した。
「がはは! さすが奉先っ。俺が育てた最高傑作だ! おう、誰か酒持ってこいっ」
機嫌を直した丁原は、座り込んで再び酒を飲み始めた。呂布も丁原に笑みを返したが、すぐに背を向けてその場を離れた。
丁原には見えなかったが、呂布の表情は怒髪天を衝くようだった。そして雒陽から立ち上る炎と黒煙を眺め続けた。




