第一五七話 招聘
「それでは将軍、これから私の言う通りに、陛下と百官たちへお伝えください」
袁紹はひざまずいて何進に進言した。
「陛下が即位なされてからというもの、まだそのご威光を天下にお示しになる機会を得ていません。ここは中原の四方に散らばっている将軍たちを一同に集めて、もう一度、西園にて盛大に閲兵式を開こうではありませんか!」
翌日の朝議で何進は、皇帝が座るでひざまずいて袁紹の進言と同じように台詞を並べた。
何進と袁紹の真の目的は、宦官と何太后に軍事的圧力を加える為だ。しかし、呼び寄せる豪傑たちの理由付けとしては、皇帝の威光を知らしめるという名目を掲げた。
だが、後に文書家として知られた主簿の陳琳は、すぐに反論した。字は孔璋という。
「易(古代経典の一つ)には『即鹿無虞(準備もせずに鹿を徒に追いかけるな)』とあり、諺には『目を隠して雀を捕る』と言います。志も無いのに詐術で誑かす者は、必ずいつか身を滅ぼします。ましてや国の大事ならば尚の事。大将軍は陛下からも朝廷からも信頼され、軍権をも手中に収めています。例えれば、龍が雲に昇るが如く、虎が野を闊歩するかの如く恐れるものは何も無く、しかも、上下の貴賎なく大将軍に心腹している次第です。髪の毛一本を焼くのに、巨大な炉は必要ありません」
陳琳の訴えは冷静に見えて、その実は鬼気迫るものがあった。周りにいた者たちも多くが頷いていたが、何進はにべもなく無視して取り合わなかった。
あとで袁紹はこの件について、同席していた曹操に訪ねた。
「陳琳の発言は檄文にはもってこいだが、時勢を見抜く目は無いようだな。なぁ、孟徳。そう思わないか?」
「私はそうは思いません。彼の指摘は間違っていないし、宦官を皆殺しにするのは現実的ではない。宦官がいなくなれば、古来より守られてきた、宮中の男子禁制の掟が破られる事になりかねない。そこまでする必要がありますか? 病巣である十常侍らを処刑すれば十分な筈。獄吏が一人いれば事足りるのに何故、京師に大軍を呼び寄せるのですか? 大乱を招く元凶となりますよ」
「な、なんだと? クっ、そうか、所詮はお前も……」
(お前は宦官の孫だから――)と唇の先まで言葉が出かけたが、袁紹は息とともに飲み込んだ。
「まぁ、いいだろう……」
とだけ言い残して立ち去った。
袁紹の後ろ姿は後味の悪さを残した。普段はなるべく袁紹に気を使っている曹操だが、さっきは本音が思わず出てしまった。
宦官を根絶やしにするという話を聞かされ、気持ちが揺れたのは認めざるを得ない。それが偽らざる曹操の心境だ。
「敵を欺くにはまず身内から――というが、敵の身内を手中に置くのが先決だ」
一方の張譲たちも、何進の勢力を削ごうと何進の身内から手懐ける策を採った。何太后だけでなく、その母である舞陽君や、弟の何苗に賄賂を贈り懐柔した。
そもそも、何苗は宦官からの賄賂で財をなしていた。財は力となり、権力となる。
何苗が宦官から賄賂を受け取っているという噂は、すぐ雒陽の風となって走った。
「大将軍の弟というだけで威張りくさりやがって。しかも宦官からのおこばれまでもらってる、ときやがる」
「まったくだ……! あの野郎だきゃぁ、おっと……」
呉匡と張璋は宮殿を出ると、何苗への不満を愚痴りながら歩いていた。しかし、偶然にもそこへ何苗が通りかかった。
二人は何苗に挨拶もせず、通りすぎようとした。
「おい、貴様ら! 兄上の直属だからといって調子に乗るなよ。挨拶もなしに素通りするつもりか?」
「申し訳ありません……」
「ふん。それとお前らからも大将軍に言っておけ。宦官をあんまり苛めるな、ってな。あんな奴らでも宮中では役に立つんだからな」
兄の何進の直属部隊である呉匡や張璋は、兄の威信を借りた何苗を、腹の底では見下していた。何苗の面前で謝罪しながらも、悔しさを滲ませた。
(宦官どもの犬が……。えらそうに……)
何苗だけではない。宦官たちに巧みに取り込まれた何進の親族は、暗に何進の宦官排除の動きを批判するようになった。
何進は宦官の誅滅を少し躊躇ったが、もう躊躇などしている場合ではない。袁紹にせっつかれて皇帝の足下で提言したのだ。
涼州で反乱軍の鎮圧に大活躍した皇甫嵩。常山で黄巾賊の残党である黒山賊に睨みを利かす朱儁。北方で騎馬民族を追い回す公孫瓚。
残念ながら、重要な拠点を任されている宿将たちなので、彼らを呼び戻す事はできない。
特に、黄巾の大乱で大活躍した皇甫嵩や朱儁は、張譲が根も葉もない風評を流したせいもあって、朝廷内では彼らを悪く言う者も少なくない。その影響で彼らの印象が良くなかったのもある。
そこで、皇甫嵩に勝るとも劣らない名声と、圧倒的な存在感を放つ前将軍の董卓を招き寄せた。
董卓には、粗野、凶暴、残虐、それらの言葉がよく似合う。宦官に畏怖を抱かせるに最も相応しい将軍である。
「ようやく、ワシの出番が回ってきたな。羌族を相手に暴れるのもオツだったが、雒陽で美味いものを喰うのも悪くない」
何進は涼州から急いで招き寄せた董卓の軍を、雒陽近辺の西側にある上林苑に駐屯させた。
上林苑は、かつて長安の側にあった皇族の為の巨大な庭園だ。珍しい動物が飼われており、狩りを楽しむ事も出来た。
その後、都が長安から雒陽に移った為、上林苑も一緒に雒陽の西にある関中の付近に移設された。
董卓の招聘に関しては、尚書侍郎の鄭泰から厳しく諫言された。字を公業といい、著明な儒学者の家系の一族である。
「董卓は武略があり精強な軍を率いています。黄巾の乱での応対、西涼での行動を鑑みるに、従順とは言い難く、危険な野望さえ抱いているように思えます。先帝が崩御される数年前、韓遂や辺章の乱が収まった後で、朝廷が董卓の兵権を封じる為、皇甫将軍に兵権をわたすよう命じられた時でも、董卓は言い訳をして兵権を手放さなかった。あんな輩に頼るのは将軍にとっても朝廷にとっても危険すぎます」
「何と言われようが、もう遅い。前将軍はすでに上林苑に駐屯しているのだ。今、追い返せば、それこそ乱が起きかねないぞ」
何進は後戻りできないと覚悟を決めている。ただし、雒陽内に入城させるのだけは最後まで躊躇していた。
尚書(皇帝秘書官)となっていた盧植もまた、鄭泰に同調して意見を述べた。たがそれも暖簾に腕押しだった。その後、鄭泰は失望して官を棄てて故郷へ戻ったという。
「急いで来いというから、三千の兵だけ引き連れて強行軍で来たのだぞ! 皇帝のお遊びで作ったお庭に駐屯させるとは、このワシも舐められたもんだ」
董卓は急かされて京師に呼び出された為か、当初はかなり憤慨した様子だ。だが、翌日からは苑内で珍獣の狩りを楽しんでいたようだ。
東郡太守の橋瑁もまた、雒陽を守る東の関所である成皋県に駐屯を命じられた。
橋瑁は字を元偉といい、曹操の師とも言える橋玄の甥だ。兗州の刺史を務めた経験もある。
また何進は、大将軍の府掾(書記官)である王匡と、騎都尉の鮑信に、兗州から兵を募るとともに、五百張の強弩を輸送する任を命じた。
王匡は字を公節といい、兗州は泰山郡の出身だ。若い頃より任侠道をもって人を助く英傑として知られていた。
鮑信は字を允誠といい、同じく泰山郡の出身で、儒学で著名な祖先を持つ一族であるという。
この二人は何進の招聘に応じた際、同郷である事を知って意気投合したという。
さらに袁紹は、董卓にも匹敵する并州の猛将、騎都尉の丁原を招いた。




