第一四六話 黄州
「でもよぉ、おかしら。昆嵛山からもっと部曲を連れてこねぇと、こっちの分が悪すぎじゃねぇか?」
莉旋の心配はもっともだ。今の手勢だと二百人そこそこいるが、海賊たちの軍勢は恐らく五百から千人の規模だろうと推測している。
「そやから、わいが来てやったんやないけ!」
「おっ、玉夷か。おどかしやがって。いつの間に来てやがったんだ」
石真の応援要請に応じて、玉夷が部曲を千人ほど引き連れて到着した。
「俺が呼んだ。世平のジジイには文句を言われそうだが、海賊どもを始末してあの漁場をいただくとしようぜ」
千人の部曲は海からは見えない浜辺近くで、茅(すすき)が生い茂る草原に潜むようにして待機している。
茅は人間ほどの大きさで有るため、茅の群生の中でしゃがんでいれば隠れる事ができる。
また養馬島近辺の漁民らにも内々で号令をかけており、日頃の恨みを晴らせとばかりに石真へ同調し、海賊を討つ為に立ち上がった。
他の漁場へ移動した漁民もいたが、地元を離れなかった漁民は海賊を恐れて船を陸地に上げていた。
漁民らも一斉に船を海に戻して乗り込み、海賊を誘き寄せると共に、養馬島の両端より挟み込むという算段だ。
「海賊たちが岸辺に近づいたら合図の銅鑼を鳴らす」
石真の持っている銅鑼を見て、玉夷が減らず口を叩いた。
「親分、こんなサビだらけの銅鑼で音なんか、でるんかいな」
「やかましい、黙ってみていろ」
久々の戦に、石真も玉夷も興奮しているようだ。血沸き肉踊る心地なのだろう。
海賊たちは、捕虜になった人質がいる浜辺に向かって、島の両端からゆっくりと迫ってきている。
移動速度がゆっくりしているので、まるで海賊たちの船団が止まっているかのように見えた。
近距離の移動なので、最初から海賊船の帆は畳んであったせいもあるが、それにしても何かがおかしい。
「しまった……気付かれたか?」
石真は焦った。作戦通り上手くいくと思い込んでいたから、余計に歯痒い思いがした。
さらに北東側の島の裏側から巨大な楼船が一隻現れた。楼船とは船上に二~三層の屋形を組んでいる大型船の事である。
まさか海賊が、楼船を有しているとは思いもよらなかった。
「くそ。あんなデカイ船を出してくるという事は、完全にこちらの計略を見透かされているな。ここは一旦引くしかないか」
石真が珍しく弱音を吐いた。しかし、玉夷は違った。
「このまんま銅鑼鳴らして合図出そや。一気にやっつけたろうやないかい!」
声を荒らげて息巻く玉夷であったが、石真は銅鑼を鳴らす事はなかった。
「ま、待て。静かにするんだ玉夷よ。何か音が聞こえないか?」
「音? ああ、なんや地響きがしとるな。まさか……」
すると、莉旋が息を切らして肩を上下にさせながら帰ってくるではないか。
「はぁはぁ、おかしら! 南の方からも賊が向かってきてます。しかも数えきれないほどの軍勢です! ど、どうしますか?」
「南からだと? 陸地にも仲間がいたのかっ」
莉旋は急いで走ってきた為か、息を切らして立ったまま腰を曲げて両手を両膝に乗せていたが、息が整うと、言い忘れていた一言を思い出した。
「ま、間違いないです。奴ら頭に黄色い頭巾を被っているんですよ。奴らもあの海賊ども同様に太平道の生き残りですよ。しかも、先頭には騎馬隊が並んでいるんだ」
「太平道で騎馬隊を率いているヤツか。海賊もいるし何でもアリってわけか……クソッ。しょうがねぇ、莉旋。部曲の全勢力を南側の方に移動させて騎馬隊に当たらせるんだ。そして、玉夷。漁民たちにはそのまま大人しくしておけ、と伝えるんだ。決して戦うんじゃないとな」
玉夷は自分も南側に行って一緒に戦うことを主張したが、石真は丁寧に玉夷を説得して漁民たちへの戦闘抑止に当たらせた。
「アイツと行くと戦になっちまう。頼りになるヤツだが、気性が荒すぎて危ねぇな。今は火に油を注ぐようなもんだからな」
石真は玉夷を送り出したあと、莉旋に本心を話そうと思った。
「え、おかしらは戦うつもりは無いんですか?」
「当たり前だっ。海賊どもを逆に挟み込むつもりが、反対に俺らが海と陸から挟まれる形になっちまった。奴らの方が一枚上手だったのさ。無駄な血は流したくねぇ。降伏するぞ」
「マジっすか! 一戦も交えずにですか。オレには自分の手下どもを説得する自信がねぇよ」
陽気な莉旋が、いきり立って武者震いをしている。
「待て、莉旋。言われた通りやるんだ。俺の感が正しければ皆が助かる。今はまだ戦う時期じゃなかったんだ」
「くそ! 降伏だなんて……」
莉旋はしゃがんで地面を拳で思いっきり叩いた。石真は莉旋の肩を諭すように軽く叩いた。
「お前たちも、アレをいつも身に着けているよな。それを頭に巻くんだ」
石真は自分の部曲たちにアレを頭に巻けと通達した。黄色い布や巾の事である。
彼らも元はみな太平道の信徒であり、中黄太乙を信奉する心を失くしてはいない。
茅の穂が風でなびている中、日焼けして顔が黒光りする男たちの頭に、再び黄土で染めた黄色い布が巻かれた。
その後、広大な茅の群生地帯の中から石真たちの部曲が、南側に向かって一斉に黄色い顔を表した。
茅の群生地帯の先には小さな草原がある。そこに黄色い軍団が大群で、横一面になって陣を築いている。
莉旋の言うとおり、騎馬に乗った者が先頭に並んで待ち構えている。
「我らは降伏する! 戦う意思はない! これがその証だ!」
大きく黄色い旗をたなびかせて、同じ太平道の同志である事を訴えた。
石真の部曲たちは茅の群生地帯からでて草原に出ると、すぐに全員が手と膝を地に付いて、戦う意思のない事を相手に見せた。
石真は一人で先頭に立ち、相手の陣まで歩いて行った。そこで自分の刀を地面に置き膝をついた。
すると向こうの黄色い陣営から、馬に乗った首領らしき男が、石真の前までゆっくりと向かってきた。
「こいつはびっくりだな。今日は朝から胸くそが悪いと思ってたんだが、お前のせいだったのか、張石真。久しぶりだな。お前の顔を見てまた吐き気がしてきたよ。ククク」
「やっぱりアンタだったんだな。管元瑞。久しぶりの割りには手荒い歓迎だな」
相手の男は、姓は管、名は統、そして字が元瑞、といった。背丈は石真と同じくらい、七尺五寸(一七三センチ)ほどあり、体格も筋骨隆々だ。
どうやら石真とは昔からの知り合いのようである。
「で、どうする。まるで降伏でもしようって雰囲気だが、まさかそんな訳無いよな?」
「なに言ってるんだ。俺の部曲……いや、『方』がみな膝をついて、戦意がない意思を見せてるじゃないか。我々は降伏する」
繰り返すようだが、太平道では軍団を『方』と呼ぶ。一万人規模なら大方、五~六千人規模なら、小方。
また方は将軍職を表す言葉でもあり、方を率いる将もまた、方と呼んだ。
「そんなもん信じられるか。以前のお前なら狼の様に噛みついて、死んでも離さない気概があったぞ。どうした、何か策略でもあるんじゃないのか。それともだだの腑抜けになったか? さっきまで、海にいる宋全を攻撃しようとしていたのは知ってるんだぞ」
宋全とは海賊である管承の字である。
「確かにさっきまでは戦うつもりだった。……だが、アンタの部曲が来たのを知ってやめたのさ。俺の部曲を犬死させたくない。しかし、降伏を認めずにこのまま戦うのだというなら、死にものぐるいで戦うぞ」
そういうと石真は少しだけ後ろを振り返った。振り返った先に自分の部曲があり、莉旋は振り返った石真の顔を見ると頷いた。
石真にもしもの事があれば一斉にかかれと口裏を合わせていたのだ。
「冗談だ、石真。お前とその部曲が、我らと共に中黄太乙の道を歩もうと言うのなら、さっきまでの事は水に流してやろう。そして、我が配下に加われ。この青州を黄土のように黄色く染めるのだ」
石真からすれば意外に思えたのだが、管元瑞という男は律儀に中黄太乙を信奉し続けている。
「この青州を、黄州と、地名を変えるとでもいうのか?」
「けっ、お前も冗談を言うようになったか。くだらねぇ。ん? 宋全が海から上がって来たようだな」
管宋全の海賊が陸に上がってきたが、何やら様子がおかしい。浜辺から大きな声を上げながらこちらに向かってくる。




