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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十三章  為虎傅翼
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第一四一話  閲兵式

「さすが、孟徳だな。仕事が早いじゃないか。早くも蹇碩に取り入るとは」


 後日、演習が行われた場で袁紹に出会うなり言われた。袁紹の微笑が皮肉めいた笑みに見える。


「いえ、向こうから話がしたいと持ちかけられたのです。張譲を牽制して私を庇い立てした理由も分かりました。結局、私を良いように利用したいのでしょう」


「ふむ。そんな理由か。もっと何か裏があるんではないのか?」


「それはわかりません。そんな事より、蹇碩の奴はすでに、貴方と何大将軍の目論見に気付いているようですな」


「なんだと! 宦官殲滅計画を、誰かが漏らしているという事か?」


「情報が漏れたかどうかはわかりませんが、蹇碩の口ぶりでは状況から推察したものと思われます」


「推察だと……むぅ。とにかく、早くこの件を大将軍に相談せねば。ご苦労だったな、また頼むよ」


 短い返答のあとすぐに袁紹は外套(がいとう)(マント)を(ひるがえ)して足早に立ち去った。


 自分を良いように利用しているのは、蹇碩よりもむしろ袁紹だと思えるほど、あっさりとした立ち去り様だ。


 実際、蹇碩とは演習がある度に顔を合わせて話をした。


 他の八校尉たちも演習にちらほら顔を出してはいたが、袁紹とさえほとんど顔を合わす事はなかった。それを鑑みれば、蹇碩がどれだけ曹操に気を配っていたのかがわかる。


 とはいえ、蹇碩が話す内容は遠回しで意味深な会話ばかりだった。初めて幕舎に招かれた時のように、立ち入った話はできないので当然かもしれない。


 例えば、「あの件はあいつらに話したのか?」とか「小競り合いを嗾けるなら受けてやるが、後悔するのは自分たちだ」、「安心しろ。張譲たちの件は私に任せておけ」など、まるで独り言のような会話しかなかった。


 蹇碩の話を聞いて頷くだけだったが、曹操は言葉の一つ一つに何の意味があるのかを理解しているつもりだ。


 ただ一つ、蹇碩が何かを隠している事については触れず終いだ。曹操の思い込みかもしれないが蹇碩は何か重大な事を曹操に話せずいる。


 あっという間に二ヶ月が経ち、冬はやってきた。迎えた十月。雒陽の冬は寒く厳しい。雨はほぼ降らず雪も積もらない。


 雪が積もった方が、案外あたたかさを感じるものだ。乾いた空気が肌を突き刺すように痛い。冬至が近づいている。


 そんな寒さの中、皇帝直属軍である西園八校尉のお披露目される閲兵式には、雒陽城の内外からの閲覧客が数万人にものぼった。


 西園の平楽観には大きな壇が築かれ、その上に五色で彩られた華蓋(かがい)(装飾された大きな傘)を十二本も縦に重ねて建てられている。


 高さは十丈(約二十三メートル)もある。さらに、大きな壇の左右にも小壇が二つ築かれ、九重の華蓋を建て連ねている。


 三つの壇の前に広がる広大な園内には、歩兵や騎兵など数万人が整然と列をなして陣を組んでいる。


 歩兵の一人一人が新品の甲冑を纏っており、綺羅びやかな列を為して陣営が結ばれている。


 皇帝は自ら宮殿の外を出て、天蓋(てんがい)(皇帝専用の綺羅びやかな傘)の付いた馬車に乗った。その天蓋馬車は十二段の大きな華蓋の下までゆっくりと進んで行き、そこで車を停めた。


 何進と蹇碩もそれぞれ専用の馬車に乗っており、大きな十二段華蓋の左右にある、小さめの九段華蓋の下に馬車を停めている。


 居並ぶ陣営の前列にいる曹操と袁紹は、互いに複雑な想いで華蓋の下にいる蹇碩と何進を眺めている。


 皇帝の左右に控える蹇碩と何進は、深々とお辞儀をした。皇帝は黄金の鎧を纏っており、馬車の馬たちにも鎧を着けさせている。


 馬車の中で立ち上がった皇帝は、顔を上げて空を仰ぎ見ると、雲の上にいるであろう天帝に礼をした。


「天地を統べる昊天上帝(こうてんじょうてい)よ。四方の蛮族どもを打ち払い、其の血を持って罪を償わせると共に、屍を以って捧げ奉る。故に朕は自ら戦陣に立ち指揮を振るうため、無上(むじょう)将軍と成りて百万の禁兵(官兵)を率いる!」


 皇帝は官兵や群衆の前で、最高位将を意味する()()将軍を名乗り宣誓した。皇帝が自ら将軍を名乗るなど前代未聞だ。


 自ら手綱を引いて馬車を操り、皇帝は三度も陣営を巡回し、兵に手を振ってやった。巡察が終わると何進と蹇碩に詔を下し、皇帝は北宮へと帰って行った。


 予定通りこの日をもって西園の八校尉が正式に任命された。


 小黄門の蹇碩(けんせき)を上軍校尉、虎賁(こほん)中郎将の袁紹(えんしょう)を中軍校尉、屯騎(とんき)校尉の鮑鴻(ほうこう)を下軍校尉、議郎の曹操を典軍校尉、趙融(ちょうゆう)を助軍左校尉、馮芳(ふうぼう)を助軍右校尉、淳于瓊(じゅんうけい)を佐軍右校尉、夏牟(かぼう)を佐軍左校尉、とした。


 それだけではなく、蹇碩には禁軍の元帥として司隷校尉以下を監督させ、大将軍さえもがその統率下に置かれた。


 将軍の頂点に立ち、三公と同格の地位である大将軍が、宦官の蹇碩の指揮下に置かれたのは異例中の異例だ。


 兎に角にも、頻発する賊の反乱と鎮圧する為の戦乱で、活気を失くしていた雒陽の市民は、久々に戦勝気分を味わえた一日であった。


 翌年、中平六年(189年)を迎えた頃から、蹇碩はしきりに曹操への懐柔を計りだし、それは日に日に露骨になっていったのだ。


蹇上軍(蹇碩)っ。何度も言うように貴方への服従の意思を表立って示せば、袁本初や何将軍に裏切り者と誹られて殺されてしまいます。それでなくとも張譲や趙忠に睨まれているというのに。蹇上軍は、何をそんなに焦っておられるのですか?」


「と、ともかく、このままでは私の立場も危うくなる。先んずれば人を制す、と言うではないか。何か良い知恵はないものかの?」


 蹇碩の狼狽ぶりは目に余るものがある。理由はわからないが差し迫った状況なのだろう。


「いつも言ってる通り、何将軍を制する為には、いわゆる十常侍の力を借りるしかないでしょう」


「そんな事はわかっている! だから、今も彼らを懐柔して何進打倒の為に一致団結を促しているんだ。だからこそ、お前も張譲たちから狙われずに済んでいるではないか。他に何かないのか……いや待てよ、北方や西域で活躍している将軍たちを京師に呼び寄せるか。何進もその手筈を進めているのだろう?」


「何将軍が何を企んでいるのかわかりません。しかし、貴方や何将軍が辺境の地から荒くれ者たちを招聘しようものなら、京師を舞台に権力争いを始めて火の海になるでしょうな。それより、何将軍を西域に送り込んで、少しの間でも彼を遠ざけた方が良いのでは?」


「なるほど、その手があったか。早速、陛下に許可を頂き何進を西涼の討伐に向かわせよう。さすがは孟徳くん、礼を言うよ」


 適当にその場凌ぎを言っただけだが、すぐに蹇碩は実現に向けて動き始めた。


 蹇碩はまず、張譲を筆頭とする宦官勢を説き伏せ、皇帝から何進に涼州の賊軍討伐の為に現地に向かうよう指示を出させた。


 皇帝は蹇碩や張譲の勧めで、何進を涼州討伐に出征させる案に同意し、何進に兵車百乗と虎賁(近衛)兵を与え、討伐軍指揮権の象徴とされる斧鉞(ふえつ)(おのとまさかり)を賜った。


「私にあんな辺境まで行けというのかっ。京師を離れたら朝廷は蹇碩の思うがままになってしまうではないか。何かよい策はないのか?」


 何進は参謀役でもある袁紹に知恵を出させ、事態を回避させようとした。


「蹇碩の陰謀である事は間違いありません。とは言え、陛下の勅命を無視すれば刑罰は免れない。ここは遠征軍としての兵力不足を理由に上訴して出征を延期させましょう」


 袁紹の案は功を奏した。袁紹自らが徐州と兗州から数万規模の徴兵を行わせ、袁紹が任務を遂行して京師に戻ってくるまで、討伐軍の出征を延期させる事に成功したのである。


 とはいえ、袁紹だけに徴兵を行わせるのは不自然であったので、結果的には各地の諸将に再度の勅命として寡兵させた。

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