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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十三章  為虎傅翼
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第一四二話  徴発

「くそぅ、何進の出征延期は、袁紹の入れ知恵か。やはり計画を早めて何進を誅殺するべきか」


 蹇碩は歯噛みしながら、曹操に八つ当たりでもするかのようにいい散らした。


「しかし、私も徴兵の為に予州へと向かわねばなりません」


「わかっておる! クソッ、致し方あるまい。董子高(とうしこう)と共に策を練り直すしかないな」


 董子高とは名を董重(とうじゅう)といい、皇帝の母である董太后の甥である。母方の外戚として驃騎将軍に任じられたばかりだが、宮中で張譲ら宦官たちと親密にしており、宦官勢力を後押しする外戚だ。


 皇帝の長男の劉弁は何太后の子である。対する次男の劉協は王美人の産んだ子だが、王美人が何太后に毒殺された為に、皇帝の母親の董太后の宮殿で育てられた。


 つまり、何氏一族と董氏一族の派閥争いは、蹇碩と何進の争いでもあり、お互いにシノギを削り合っている。


「それと丁并州(ていへいしゅう)の飼っている猛者が、軍勢を引き連れて上京していると聞く。そいつも配下として手元に置いておこう。張楊(ちょうよう)という将だ。あの呂奉先(りょほうせん)に並ぶ猛者だと評判だ」


 丁并州とは并州刺史の丁原(ていげん)の事である。北の并州軍も、涼州の董卓軍にも劣らない荒くれ者が多く、精強な軍団で有名だ。


 その丁原の軍勢を引き連れて現れたのが、武猛従事(ぶもうじゅうじ)の張楊という男だった。呂奉先は名を呂布といい、張楊をも凌ぐ武威を誇るという。


「あまり事を急ぐのは、得策とは言えませぬぞ」


 独り言のように喋り続ける蹇碩に、釘を刺すような曹操の一言は、彼を激昂させる結果となった。


「黙れ! 貴様は兵を集めに行くがいいっ。こんな時のために働かせてやろうと思ってたのに、これでは張譲たちから守ってやった甲斐がないではないか!」


 蹇碩の引き攣った声が曹操の耳についた。屈強な肉体の持ち主とは言え、その声はやはり宦官らしく甲高く響く。


 陰謀渦巻く今の雒陽から離れられるなら、蹇碩の聞くに堪えない罵詈雑言もまだ耐えられる。


「もう少しだけ辛抱してください。必ずや多くの兵を募って帰ってきます。その時は貴方のお役に立てるはずです」


「それなら急いで行け! そして、できるだけ早く帰ってこいっ」


 蹇碩は曹操の顔を見もせずに手を振り上げて、曹操に幕舎を出るよう促した。


 曹操は肩を落として蹇碩の幕舎を出たが、外に出ると胸を張って空を仰ぎ見た。


(所詮、典軍校尉だなんて肩書だけで、実の所、奴らの駒に過ぎん。いいように使われてたまるか)


 漢室の社稷を守るだとか陛下の御旨だとか口上をつけて、派閥争いを繰り返す宦官と外戚に嫌気がさす。

 

 だが、雒陽に兵権を置いていけという指令があり、数名の従者と共に徴発(徴兵)に行かなければならなくなった。


(蹇碩の嫌がらせか。こんな少人数でどうしろというのか)


 それでも予州に向かわねばなるまい。故郷の譙県がある沛国なら一族もいるし、なんとか徴兵できる。


 袁紹に頼れば軍兵の少しは斡旋してくれるだろうが、彼に頼るのは本意ではない。


 曹操は準備を整えると平城門から出て明堂へと向かった。明堂は皇帝が政務を行う政堂で、城外にある太学(大学)の側にある。最近は非常事態が続き、学生はおらず閑散としている。


 祖父が大物の宦官で、将来が約束されていた曹操は、太学に行く必要もなかった。だから、そこで学んだ事はなかったが、学を志す気持ち今でも変わらない。


 そんな感傷に浸りつつ歩いていると、山賊のような風貌をした三人組が歩いてくるのが見えた。


 三人とも曹操よりは頭一つ分くらい背が高く、体格もがっしりしている。いかにもこの場所に不釣り合いだが、真ん中の男はまだ上品に見える。


 何故か興味をそそられた曹操は、間近で三人の顔をみたいと思った。


 一人は上半身の体格が人並外れて大きく、虎のような顎鬚に円(つぶら)な瞳がついてる。


 もう一人は更に背が高く、特徴的な太い眉毛、腹の辺りまで伸びている見事な髭が目立つ。


 おとなしそうに見えるが、最も奇怪な風貌をしているのは真ん中の男だ。耳が肩につくぐらい大きく、腕の長さが膝の辺りまで伸びている。


 その一番奇怪な風貌をしている男は、曹操の手前まで近づいてきた。口髭は生えているか分からないぐらい薄い。


「曹典軍、ですね? お探ししておりました」


 なんと怪奇な風貌である真ん中の男が話しかけてきた。黙って通りすぎようとしていただけに不意を突かれた感じだ。


「なに? 私を知っているのか?」


 曹操はこの三人の顔に全く見覚えがない。一度見たら二度と忘れられない風貌の三人である。


「ええ、もちろんです。西園軍の閲兵式であなたの晴れ姿を拝見しました」


「ああ、そうだったのか。それはどうも……」


「曹典軍どのも予州に向かわれるのですね」


「え、ああ。何故それを?」


「私たちもあなたに同行させてもらいます」


「同行……? 一体、どういう事かな?」


「大将軍の命を受けて、貴方と共に予州へ徴発に向かえと言われているのです」


「そうか……そういう事か。して、君たちの名は?」


「私は劉玄徳という者です。幽州の涿(たく)郡涿(たく)県の出自であります。こちらの髭の長いのが私の弟で関雲長。そして、末弟の張益徳です」


 劉玄徳こと、劉備は安喜(あんき)県の尉(い)を辞職した後、揚(よう)州丹陽(たんよう)郡から来ていた都尉の毌丘毅(かんきゅうき)に拾われて従事となり、そのまま同行して徐州下邳(かひ)国で暴れていた黄巾賊の残党を打ち破った。


 その功績により青州北海国下密(かみつ)県の丞(じょう)(次官、副長官)に任官されたが、すぐに辞任して西園軍の寡兵に応じて雒陽にやってきたのだという。


 この奇妙な一行は歩きながら話し続けた。劉備は口数少なく、曹操が質問しなければ話が続かなかった。そして、曹操は劉備たちがなぜ任官を辞して雒陽に来たのかを問うた。


「小さな県の尉や丞で終わりたくなかった」


 劉備は前漢の中山靖王の血筋だと嘯(うそぶ)く。その血筋を証明するかのように転戦しているのだという。

 

 だが、曹操のように学がある者には、彼の出自が眉唾であることはすぐにわかる。


 関羽と張飛の出自についても曹操は質問した。劉備は彼らの出自を簡単に説明し、この二人と義兄弟の契を交わしたと言っている。寝るときも同じ寝台で寝ているのだと聞いた。


 少々面食らったが、それが任侠道に生きる男たちの素顔なのかもしれない。劉備たちの経歴はまるでさすらいの傭兵部隊である。


 兎にも角にも、曹操は徴発する為に必要な部隊を、取り合えず得る事ができた。


「気を悪くしないで欲しいのだが、私に同行しろと言ったのは、本当に大将軍なのかね?」


「ええ。お確かめになられてくださっても結構ですよ」


 劉備は大将軍の命で曹操に同行せよと言ったが、恐らくは袁紹の差金であろう。


 最近の袁紹の態度には辟易していたが、曹操は少しだけ袁紹を見直した。


 かくして曹操は劉備が率いる部曲と共に予州へと向かって行った。




 その間にも何進と蹇碩は水面下での暗闘を続けている。


 例えば、汝南(じょなん)葛陂(かっぱ)県での黄巾賊の残党が再び勢いを増しているので討伐せよ、との勅命が下った時は、蹇碩が動くか何進が動くかで騒然となった。


 結局、西園軍下軍校尉の鮑鴻(ほうこう)が討伐に向かった。


 皇帝としても新設した西園軍の活躍を楽しみにしていたのだろう。


 鮑鴻は董卓の部下だっただけあって、早々に黄巾賊の残党を蹴散らした。


 しかし、この鮑鴻の活躍が後々に事件を巻き起こしてしまう。

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