第一三九話 剣舞
それから数日が経つと中秋の八月となった。旧暦では七月から九月が秋であり、八月は中秋と呼ばれる。
八校尉たちの正式な任命は二ヶ月後の十月とされた。官職の証である印綬を授かるのはその時である。
後宮の西にある西園は城壁の向こう側にあり、雒陽の市民なら制限つきで観覧することが出来た。
西園に接する上西門の外側には平楽観という大きな舞台場があり、西園の華美さを象徴する主要な会場となっている。西園軍の閲兵式は平楽観で大々的に行われる。
この閲兵式の為に、皇帝は今まで売官で溜め込んだ金銭を全て注ぎ込んだ。
閲兵式を豪華に彩るには大規模な軍勢が必要で、たった二ヶ月の間に全国各地から兵の徴発(徴兵)を行う。
実質的な最高指揮官は上軍校尉の蹇碩だが、兵の徴発に関しては何進に一任された。
二ヶ月後の閲兵式の為に八校尉たちは、京師近辺から徴集された数千の兵をそれぞれの校尉の軍に振り分け、閲兵式の演習を数日おきに続ける。
人数は少ないが精鋭の近衛兵たちである。皇帝は十万人規模での徴発を全国に向けて発布した。
上軍校尉である蹇碩の軍には歩兵と騎兵を合わせて三万人が充てがわれる。人数が足りてないのであくまで予定だが、他の校尉とはあからさまに扱いが違う。
八月も半ばを迎えようというある日、閲兵式の演習を終えた後、曹操はついに蹇碩から話を持ちかけられた。
「君が、曹典軍(校尉)か。少し話をしたいのだが、時間をもらえるかね?」
背丈は頭一つ分以上違うだろうか。蹇碩の巨躯は威圧的で他の宦官とはまるで違う。面と向かって話をするのは初めてであった。
「時間ですか。別段これといった用事はありませんが……」
「では、日没までに私の幕舎に来てくれ。ご馳走を振る舞うので飲みながら少し話そうじゃないか」
蹇碩は宦官らしからぬ鍛え上げられた肩を前後にゆらしながら、幕舎へと戻って行った。
雒陽場外とはいえ、蹇碩は演習場の端に幕舎を立てて住み込み、戦場さながらの様相を呈していた。すでに陽の光は眩い白色から優雅な橙色に変わっていた。
曹操は、雲の合間に沈んでゆく秋の夕日を見上げながら、蹇碩が待つ幕舎へと入っていった。
「よく来てくれたな。ぶっきら棒な誘い方をしたのでもしかしたら来ないのかと思ったぞ」
自分から幕舎に誘っておいて何を言っているのだ、と曹操は思った。こちらは渋々ながら重い足取りでやってきたというのに。
「確か、食事をしながら歓談する、という話ではなかったのですか?」
蹇碩は上半身裸で汗だくになって鉄器を持っている。曹操が警戒するのも無理はない。
「誤解しないでくれよ。これはいつもの日課だよ。宦官の身体というのはな、男の身体と違って贅肉が付きやすい。常に身体を鍛えておかなければすぐに筋肉が落ちてしまうんだ。特に腿の筋肉をつけておかねば小便も我慢できん。まったくこの身体は不自由なものだ」
重石の用な物に取っ手を付けて両手で持ち上げている。他にも身体を鍛える為の道具が揃っていた。武人の如き巨躯は、日頃の鍛錬の賜物だったという訳だ。
「だが、このような身体になった事を悔いたことはない。私のおかげで一族は隆盛を極めたし、何より陛下の寵愛を得て人臣の位も極めた。他の宦官たちのように媚びへつらったのではないぞ。献身と真心が陛下の心を打ったのだ」
物は言いようだな、と思ったが曹操は沈黙を守った。
「君の御祖父様もそうだろう。四代の天子(皇帝)に仕えた偉大なる大長秋。あの方は宦官がこの世に生まれて以来、最も偉大で聡明な方だった」
曹操は偉大なる祖父、曹騰の面影に思いを馳せた。幼少期のほんの少しの記憶しかない年老いた祖父の皺苦茶の顔。
一族が裕福で父や自分が若くして要職を務める事が出来たのは、全て祖父のおかげなのだ。
「君なら私の気持ちがわかるはずだ。本来の宦官が、いかに高潔で貴い忠誠心を持っているかを。御祖父様のように漢室と天子に全てを捧げる覚悟が君にはあるか?」
巨躯に似合わぬ甲高い声で曹操を捲し立てる。
「どういう意味ですか。私の忠誠心を試そうとでもいうのですか」
沈黙を守っていた曹操だが、蹇碩の不可解な問答に不快感を示した。
「鋭い目つきだな。武人の目だ。忠誠心を試す前に君の武人としての腕を試したいな。どうだ、私と真剣勝負をしてみないかね」
蹇碩は側に置いてあった武具の中から剣と刀を両手に取り、曹操の足元に向かって放り投げた。
「好きな方を取りたまえ」
「本気ですか、こんな所で……」
「早く武器を取れ。でなければ構わず打ち倒すぞ」
「貴方の叔父を刑死させた事への仕返しという訳ですか」
「叔父の事は関係ない。あの時、憤ったのは確かだが、もう十年も前の話だ。それより、君の腕を確かめたい。というより、日々研鑽を積んだ私の腕が、君のような本物の武人を相手にどこまで通じるのか知りたい。それが本心だ。否が応でも付き合ってもらうぞ」
嫌な予感は的中した。勝っても負けても命の保証はない。逃げるのが一番良い手だと分かっていても、曹操の武人として意地がそうはさせなかった。
「是非もない……」
曹操は扱い慣れている刀を選んで地面から取った。対する蹇碩は剣を手に取り、二人は少し後ずさりして距離を取り、お互いの武器を手に構えた。
上軍校尉の幕舎とあって中は広いが縦横無尽に動けるほどではない。
刀を少し左斜めに構えて蹇碩の目を見る曹操。蹇碩は剣を真っ直ぐに構えて曹操を見下ろしている。
少しづつ間合いを詰め寄ってくる曹操からは、小柄ながらも発せられる気の圧力があり、蹇碩を少しづつ後退させた。
曹操は左斜めに構えていた刀を素早く右に構えなおし、蹇碩の右手側へと突進して切り結んだ。
「てやっ!」
蹇碩は剣で防ぎ近距離で二人は激しく打ち合った。小柄な体格を活かした素早い動きで、曹操は右に左に小刻みに動いて刀を打ち込む。蹇碩は身体をほぼ動かさずに剣だけで防ぎきる。
防戦一方に見えた蹇碩だが、剣先を曹操に向けて幾度か突き出しており、曹操も見事に交わしながら刀を突きつける。
剣は諸刃で両側に刃があるので自身の体に当たる可能性もある。刀は片刃なので斬りつける際に力を込めやすい。
蹇碩は凄まじい早さで突きを繰り出すと、次第に曹操を後退させていった。
暫く打ち合ってから、互いに間合いを取り直した。二人は肩を上下に揺らす荒い息遣いを整えていた。
「ふぅ。これこそが私の望んでいた死中に活を求める戦いだ。こうでなくては剣技など上達せぬ」
蹇碩の言葉からは余裕すら感じさせる。その一言が曹操の癇に障った。
「貴方の剣技は所詮、剣舞程度のお遊びでしか無い。今まではお遊びに付き合って差し上げただけの事。次の一手で貴方の身体は地面に倒れます」
「何ィ?」
次の瞬間、曹操の刀が凄まじい早さで蹇碩の足元をすくった。低い姿勢から蹇碩の右足の脛を斬りつけると、蹇碩は体の重心を保てずに地面に尻もちをついた。
曹操は刀の切っ先を、蹇碩の喉元に突き出して寸前で止めた。
「何故、トドメを刺さぬ」
蹇碩の脛は武具が着いていたので大事には至らなかったが、脛の武具はかち割れていた。
「先程も言った通り、剣舞程度のお遊びに付き合ったまでの事。貴方は最初から本気を出してはいなかった。本気で殺しあうなら……遊びなどしない」
蹇碩は微笑を浮かべて手にしていた剣を横に放り投げた。曹操も同じように刀を地面に投げ捨てた。
「私の完敗だ。本気で打ち合っても君の刀捌きには敵わなかっただろう。最後の一撃でよくわかったよ。痛てて、峰打ちで打ち込むとはこれまた恐れいった。フフフ。私の叔父がやられたのも頷けるな」
「貴方の叔父上は本気で私を殺しにかかってきた。だから寸止めなど出来なかったのです」
蹇碩は割れた脛の武具を外すと曹操の顔を見上げた。
「そうか。ただの処刑ではなかったのだな。それより、私を立たせてくれんかね?」
曹操は蹇碩の手を取って立ち上がるのを補助してやると、蹇碩は右足をさすりながら立ち上がり、足腰の武具を取り外して服を着直した。




