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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十三章  為虎傅翼
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第一三六話  望気

「陛下。ご機嫌麗しゅうございますでしょうか?」


 何進は地面に膝と手をついて顔を伏せて報告する。皇帝は上段から何進を見下ろしている。


「なんの用だ。直々に朕(ちん)と会いたいなどと不躾な。まぁ、いい。要件を手短に伝えろ」


「は、それでは……。望気(ぼうき)(雲気で吉凶を占う術)の術士が新たなる啓示を示したそうです。曰く ― 京師で近々大乱が巻き起こり、北と南の両宮で血の海が出来る― との事です」


「なんだと。それは真(まこと)か、よし、もっと詳しく聞かせろ」


 古今東西……古代では、巫女や術師による占いや超常現象が、まことしやかに信じられ、時に政治をも動かす力があった。


「京師の四方では常に反乱が巻き起っており、この度の望気はまさに不吉そのもの。司馬の許涼(きょりょう)と仮司馬の伍宕(ごとう)らの進言もあり、陛下の号令により直接動かせる常備軍を設営すべきなのではないかと」


「つまり、朕が軍を率いるというのか?」


「六韜(りくとう)には、― 天子が兵に将となる事あり 天子の威光により四方を従わせる ―とございます。事態はもはや危急存亡の秋(とき)、と言っても過言ではありませぬ。六韜に倣って陛下が将兵を率いて四方を威喝するのです」


 六韜とは太公望(たいこうぼう)呂尚(りょしょう)の兵法を記したという書だ。


 興味を唆られた皇帝は、立ち上がり何進に近づいた。


「どうすればいいのだ。具体的に言ってみろ」


 何進は皇后の兄と言えど、皇帝の目を直接見ることは許されない。だが、何進は敢えて皇帝の眼を見つめて言った。


「黄巾の大乱で活躍した二人の将軍、皇甫嵩(こうほすう)は左将軍に復帰して張温(ちょうおん)に代わって西方の任に就き、屯騎(とんき)校尉に転任した朱儁(しゅしゅん)は、反旗を翻した黒山の張燕(ちょうえん)を討伐させる為に河内(かだい)太守を兼任させています。彼らと同様に他の方面軍の将軍たちも任務があるので、呼び戻すことは出来ません。それ故、黄巾の乱にて京師を囲む八関に置いた護衛の為の都尉を、もう一度復活させて陛下の護衛軍とするのです。その護衛軍には宮中の側近の中から有用な若手を起用して任に当たらせるべきかと」


 何進の進言は益々皇帝の心を踊らせた。だが、後の何進の発言からは満足な答えが得られなかった。


「これら八人の都尉とその軍勢を私が統括します。陛下は意のままに命令を下すだけで、軍を自在に動かす事が出来るのです!」


 それでは今までと同じではないか。やはり、何進に全てを任せるのは気に食わない。


「よかろう。だが、一ついっておく。都尉か将軍か知らないが若手を起用するのは良しとしよう。しかし、朕の気の知れた者も将軍として起用したい。小黄門の蹇碩(けんせき)を、最高位の将として必ず起用するのだ。わかったな」


 皇帝が自分の上程に釘を刺さすとは、何進は予想だにしていなかった。しかも宦官の蹇碩を最高位として起用しろとは。


 皇帝は数年前、宦官にも拘わらず中常侍の趙忠を車騎将軍に任命した。前代未聞の人事だった。趙忠もこれには驚き、すぐ辞退を申し出た。


 今回の蹇碩の将軍への起用は、明らかに何進に対する当て付けだ。蹇碩は何皇后に殺された王美人の子息、劉協を推していたからだ。


「詔(みことのり)を下す。大いに四方の兵を発し(全国より徴兵する事の意)、西園にて皇軍を編成する。後は任せたぞ、大将軍」


 何進は俯いて「御意」と返事を返したが、発した一言に力は感じられなかった。


 皇帝への参内を終えて宮中を出ると、何進はすぐに虎賁中郎将の袁紹を呼び寄せた。


「本初よ。君の言う通りになったぞ。誤算だったのは、蹇(・)碩(・)が上(・)軍(・)校尉に任命されるという事だ」


「蹇碩? 張譲か趙忠を将軍として起用させる事は有り得るかとは思っていましたが、まさか、蹇碩だったとは。いや、我々が見落としていたというべきでしょうか」


「うむ。だが、蹇碩以外の校尉は我々に任命権がある。出来れば董卓や丁原などを召喚したい所だか、現状では無理があるからな。手筈通りに事を進めるとしよう」


「はい。多くの友を救って頂いた御恩に報いるためにも、必ずや成功させましょう」


 袁紹はかつて、党錮の禁で弾圧や迫害された清流派の仲間を陰ながら助けていた過去がある。党錮の禁が解除された後は何進や、叔父で司徒の袁隗(えんかい)と共に、清流派の仲間を復職させていた。


 にも拘らず、党錮が解除されても袁紹は仕官しようとしなかった。その不可解な行動を趙忠から怪しまれ、それを知った叔父の袁隗から叱責を受けた。


「お前は何をやっているんだ? 私やお前の従兄の立場が無いではないか。いや、このままだと我が一族を破滅させかねんぞっ」


 実は以前より、袁紹は叔父の袁隗を疎ましく思っていた。さらに、袁紹の従兄からも注意を受けた。


 袁術の兄で、太僕(たいぼく)(車馬を管轄する大臣)の袁基(えんき)だ。袁紹や袁術とは十歳以上も年上で、親のような存在でもある。


 袁紹は母親が妾(めかけ)であった為、袁術から卑下された。だが、才を見込まれ、世継ぎのない本家筋の袁成(えんせい)の跡継ぎとなった。


 袁紹の実父、袁逢(えんほう)は袁成の弟で、そのまた三男の弟が叔父の袁隗である。袁逢は若くして急逝し、複雑ではあるが、袁術の兄(袁紹の実兄でもある)、袁基が袁逢の跡継ぎだ。


 袁紹が本家の養子となった事で、家中は意見が別れて騒然とした。そのような事情もあって、袁紹は一族に辟易していた。だから袁隗からの催促では仕官したくなかった。


 そこに何進からの助け舟を得て、掾(じょう)(属官)に召されて侍御史(じぎょし)、虎賁中郎将と順調に昇進することになった。


 袁隗は宦官と親密であるという黒い影があり、彼に助けられたはずの清流派たちからも、よく思われていない。


 とはいえ何進も、宦官に賄賂を送って妹を後宮に送り出している故、一部の清流派から忌み嫌われていた。


 そこで何進は、若く有望な名家の袁紹に取り入り、清流派の支援を得る魂胆があったのだ。


「中心となる三軍の中軍校尉には本初君に就いて頂くとして、下軍校尉には董卓と共に活躍した屯騎都尉の鮑鴻(ほうこう)を就けるつもりだ。上軍校尉は蹇碩に譲るしかないな。だが、決して蹇碩の好きにはさせんぞ」


「もちろんです。話は変わりますが……もう一人、私の友人を三軍校尉の下に就けて頂きたいのですが」


「君の友人、それは誰かね?」


「かつての大長秋(だいちょうしゅう)の孫であり、北部尉(ほくぶい)、騎都尉(きとい)、済南相(せいなんしょう)を経て、今は故郷の譙(しょう)県で無官のまま日々を過ごしている男。私の友の一人、曹孟徳です」


「曹孟徳か。騎都尉として潁川で活躍した男だな。なるほど、彼なら申し分ない。だが、彼は確か、宦官の孫だったんじゃないのか? そのような人物を我々の計画に招き入れるのは、理に反するとも思えるのだが」


「だからこそ彼が必要なのです。孟徳は常日頃から自身の生まれについて大きな劣等感を抱いております。だから我々と同じように宦官を憎んでいる。それに、ここだけの話ですが、彼は張譲と繋がっていたのです……」


「なんだと! それは大問題ではないか! そんな大罪人を……」


「お待ちください、大将軍。孟徳の潁川での活躍の裏には、張譲との取引がありました。孟徳は張譲が仕組んだ計略に乗った振りをして、潁川に進軍して皇甫左将軍らを補佐して勝利を導きました。そして、張譲が反逆している証拠を掴んだ孟徳は、それが王允の手に渡るように仕向け、自らは潁川で戦死したとの虚報を流しました。孟徳の思惑通りに王允は皇帝陛下の前で張譲を断罪したのですが、張譲の土壇場の切り返しで罪に問われなかったのは大将軍もご存知でしょう。それ以来、張譲は曹操の命を付け狙っております」


「そんな事があったのか。それで官職を棄てて郷里に帰っておったのだな。すぐに彼を議郎として京師に呼び戻そう。さらに典軍校尉として官界に華々しく復帰させておき、曹孟徳を宦官を誅滅する為の先兵として使ってやろうじゃないか」


「そうされるのがよろしいかと」


 何進と袁紹はお互いに不敵な笑みを浮かべた。

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