第一三五話 天子
未然に防いだとはいえ、一部の清流派残党による皇帝廃立を画策、という前代未聞の事件に、十二代皇帝の劉宏も身の危険を感じ始めた。
先帝の桓帝は、自分の世継ぎを授かる事はなく崩御した。田舎の貧しい地方皇族の子息でしかなかった劉宏は、桓帝の遠い族子だが、十二歳で外戚らに擁立されて皇帝となった身だ。
劉宏の父、解瀆亭侯 劉萇は若くして没し、残された母と子の二人は、長年貧しい暮らしを強いられていた。そこに降って湧いた突然の光明。
母の董氏は、雒陽に入城したものの永楽宮に住まわされ、中枢の北宮に入ることは拒まれた。低い身分の出自の為だった。
だが、劉宏を擁立したはずの竇皇后とその一族、つまり外戚たちは、宦官との政争に敗れて滅ぼされると、母の董氏は晴れて永楽皇后となり、皇帝の劉宏と共に暮らす事となる。
権力を得た彼女は金銭に執着し、皇帝である息子に血税の徴収、賄賂、売官などを勧め、思いつく限りの蓄財に励んだ。
張譲や趙忠は劉宏の皇帝擁立に関わっていた訳ではないが、二人は皇帝の側近として擁立時から側で近侍した。
皇帝となった劉宏は、母から口を酸っぱくしていつも言われている事がある。
「張常侍を父と、趙常侍を母と思って彼らの言う事を聞きなさい。それが貴方の為でもあり漢室の為でもあるのです」
皇帝に即位したばかり劉宏は十二歳の少年だった。母を雒陽に招き入れる手引きをしてくれた張譲と趙忠には、逆らう事が出来なかったのだ。
いや、むしろ逆らう必要などなかった。一部の例外を除いた宦官たちは、皇帝のいかなる欲求であろうとすべて答えてみせた。
美女たちとの贅沢な遊びを教わり、酒池肉林の日々を過ごした。それに飽きたら宮廷内に巨大な規模の模擬店を作り、宮女に町人を演じさせ、自分は商人の真似事をさせた。
ここまでだと暗愚な皇帝にしか思えないが、実際の劉宏が興じたのは饗宴だけではない。勉学にも励み経学や書を好んで学んだ。若き官僚たちを育成する場として鴻都門という学校を開いた。
決して無能ではない皇帝が、近ごろ気付き始めた事がある。自分の意志だと思ってやっていた行動が、言葉巧みに誘導され、知らぬ間に張譲や趙忠らに操られている、という事だ。
「母上……。私は、いや、朕は、天帝の命を受けてこの中原と……四方を取り巻く世界を統べる為に遣わされた天の子、つまり、天子ですよね?」
久しぶりに実の母と二人きりになった劉宏は、宮中の小部屋で周りを見渡しながら小声で喋りかけた。
「もちろん陛下の仰る通りで御座いますよ。如何なされたのです。何か心配な事でも?」
「いえ、何でもありません、母上」
母は守銭奴となり、常に豪華な衣服や装飾品で着飾っている。皇帝劉宏の母、永楽皇后なのだからそれも当然である。彼女は皇帝である息子に売官売爵を勧め、自身の御所を金銭で埋め尽くした。
宦官たちと常に寄り添い、息子の知らぬ間に何やら密議を交わしている。永楽皇后もまた宦官たちと共に政治に首を突っ込み、皇帝はそれを疎ましく思いながらも今まで過ごしてきた。
また近年、忠臣たちによって反対されていたにも関わらず、張讓や趙忠らの進言により全国の租税を増やし、宮殿を修築したり銅人(巨大な彫像)を鋳造するなどした。
それでも、皇帝は民の為に中止させようという考えには到らず、母や張譲たちの言うがままになってしまっている。
さらに刺史、太守、茂才、孝廉等の官職に昇進したり新たに任官される際にも「助軍銭」や「修宮銭」という名目で税を徴集するようになった。
それを真似た各地の刺史や太守も、勝手に増税して財を得るようになり、そのしわ寄せが人民の血税となって民を苦しめた。
清廉の士は任官を拒否し、宦官や外戚の親戚縁者ばかりが高官となり、民衆より血税を搾り取るという悪循環が起きる。そして、皇帝には届かぬ怨嗟の声が、国中に緩やかに広がっていた。
乱れた政治を糺そうと正面から向き合った清廉の士もいた。とある日のこと、皇帝が雒陽近辺の孟津県に巡幸した際に、鉅鹿太守の司馬直が皇帝に面会を申し出た。
通常、太守といえど、皇帝と直に話できる機会は滅多にない。巡幸は厳重な警備で守られているが、司馬直は巡幸の安全の祈祷をしたいと偽り、遂に面会の機会を得た。
「陛下、何故に任官の度に税を収めねばならないのですか? これでは最初から権勢ある者にしか官職が与えられぬではありませんか。その財を得るためにいつも苦しんでいるのは民たちなのですぞ。真っ当な徴税をしているのに前年度より税収が三百万銭も減ったと云われました。父母の様に人民を労るのが私の使命なのに、その民からこれ以上の血税を搾り取る事は出来ません!」
と直々に皇帝を諌めた。司馬直はすぐに取り押さえられて不敬罪で獄に下された。そして、刑に服す前に牢で服毒自殺してしまった。死を決しての諫言だった。
その後、皇帝は司馬直が前もって認めてあった上書を手にした。彼の清廉な志と決死の諫言が皇帝の心を動かし、官位の際に税を徴収するのを止めさせた。
――天子とは何の為にあるのか。司馬直の言う通り民を安んじ労り、平穏に治めるのが天子の役目ではないのか――
皇帝 劉宏は奢侈に耽るだけの生活に疑問を感じ始めた。そして皇帝としてどう振る舞うべきかを自問した。
そして迎えた中平五年の初夏、久しぶりに大将軍の何進より直々に報告したい事があると皇帝の耳に入った。
「大将軍が、朕に上言したいことがある……と?」
何進と久しぶりに顔を合わすのには理由がある。皇帝と何進との間に気不味い空気が生まれ、最近は文書だけの遣り取りになっていたせいだ。
それは皇帝の寵愛を受けた側室の王美人が、皇帝にとって第二の男子となる劉協を産んだことに端を発する。何進の妹、何皇后にも第一男子の劉弁がいたが、皇帝からはあまり好かれてなかった。
何皇后は嫉妬のあまり王美人を毒殺してしまい、皇帝は怒りのあまり何皇后を宮中から追いだそうとしたが、張譲をはじめとする宦官たちは、
「陛下、皇后が毒殺したという証拠はありませぬ。このまま不明瞭な理由で皇后を廃すると陛下の威名に関わる事に成りますぞ。何卒もう一度お考え下さいませっ」
確かに毒殺の証拠はないが状況から考えても、何皇后が毒を王美人に飲ませたのは明らかである。
今までも側室が孕んだ胎児が数回死産になっており、第二子である劉協は皇帝が待ち望んでいた男子だった。
劉協が生れるとすぐに、皇帝の実母である永楽太后が引き取り育てる事にした。
結局、宦官たちの必死の嘆願により、何皇后には何の咎めも下す事が出来なかった。
皇后や宦官たちに踊らされていると分かっていながらも、皇帝は自分の置かれた状況に抗えなかった。
母から刷り込まれた呪いのように、張譲や趙忠たちに逆らう事が出来なかった。それこそ実の父や母のように慕いながら皇帝として成長してきたからだ。
何進も妹が起こした事件で気を揉み、無意識の内に皇帝を憚るようになった。以前なら皇后の兄である外戚という特権を活かして、直に皇帝と話をする事が出来たのだ。
たが、今回はどうしても皇帝に直接合って上言しなければならない事情がある。




