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三国志創生伝 ~砂塵の彼方に~  作者: 菊屋新之助
第十一章  捲土重来
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第一〇八話  不問

「そもそも、こんな丁稚上(でっちあ)げで私を陥れようなどと、貴様の陰謀を陛下が見抜けぬと思っているのかっ、王允!」


 王允は、張譲と黄巾賊が密通していた証拠の書簡を指差し怒鳴り上げる。


「何を馬鹿なっ、ここに動かぬ証拠があるではないか!」


「そうだっ、これこそが私を陥れようとした事を証明する証拠なのだ!」


「くだらんっ」


 王允の顔は真っ赤になり怒りで身を震わせて、今にも張譲に襲いかからんとするばかりだ。


「待てっ、二人とも黙らんかっ。貴様達は朕が質問した事にだけ答えればよいのだっ。勝手に発言してはならんっ」


「はっ……、ははあっ」


 罵り合っていた二人は動きを止めて睨み合ったが、すぐに皇帝の方へ向き直し、手と膝を地につけて頭を垂れた。


「では、張譲。貴様の言い分を聞いてやろう」


 張譲の口元が微かに微笑む。


「ははぁ! 有難き幸せに御座います。それでは、お言葉に甘えてお話させて頂きます……この度、王予州が陛下に奏上した書簡の内容はまだ詳しく読んでおりませぬが、十年近くも前の書簡であるならば、それはおそらく、王甫(おうほ)侯覧(こうらん)が仕組んだ事に違いありませぬ」


 王甫と侯覧は、同じく宦官の張譲の先輩であり、また先代の桓帝時代に権勢を誇った大物の宦官であるが、張譲の策略によって謀殺されていた。


「王甫と侯覧か。確か、朕以上に莫大な富を築き、人民の租税で私腹を肥やし続けていた宦者(宦官)がいたな」


「陛下、お待ちくだされ。こんな奸物の言う事など真剣に聞いてはなりませぬぞ。王甫や侯覧が刑死したのは遥か昔の事ですっ!」


「王允っ、貴様は黙っておれ。今後は朕の許可もなく勝手に喋ることは許さん」


「は、御意……」


 皇帝は遂に王允を黙らせた。興奮気味であった皇帝は幾分か冷静さを取り戻してきたようだ。


「張譲。もう少し詳しく話すがよい。王甫と侯覧が仕組んだというのはどういう意味か。何か理由があるのか?」


 張譲はまたもや白々しい泣き真似を演じながら話を続けた。


「はい、あの二人は常々、私の事を毛嫌いしておりました。私の生き方が清廉潔白、奉公忠臣であるのに対し、彼ら二人は国家の管財を横奪する事しか頭にありませんでした。黄巾の賊徒と通じていたのは飽くなき欲望に身を任せた結果なのでしょう。もしもの際には、私の様な忠臣に罪を被せて逃げ遂せるつもりだったに違いありません。そして現に、このような書簡を予め偽造して作らせておいたのです。この書簡が存在する理由はそうとしか考えられません……」


 堪らず同席していた皇甫嵩の司馬である傅燮(ふしょう)も思わず口を開いてしまった。


「お待ちくださいっ。無礼なのは先般承知の上ですが、張譲が言ってる事は信ずるに足りません。その書簡は張譲が賊の手先として働いていた動かぬ証拠ではありませんでしょうか? 長社での戦いは賊にこちらの動きを読まれておりましたが、これで納得出来る理由が見当たりました」


 傅燮につられて朱儁まで勝手に発言し始める。


「ホンマですっ。あの戦いはまるで賊に全て読まれとるっ、ちゅうくらいに先読みされとったんですわ」


 しかし、二人の訴えは無残にかき消される。


「黙れいっ。何度言わせれば判るのだっ。朕を前にして勝手に発言するとはどういう事か分かっておるのか? まぁ、よい。書簡の日付が十年前である事は間違いない。王甫や侯覧が存命して職務していた時期と重なっているのだ。張譲の言う事も(あなが)ち嘘とは言い切れまいっ」


 皇帝の荒ぶる声に、皇甫嵩と朱儁は即座に跪き、顔を伏せた。


「この書簡の件は、朕が一任して処理してやろう。文句はあるまいなっ、皆の者!」


「はぁっ!」


 並み居る群臣は、皇帝の一喝の前では為す術もなく、潔い同意の返事を返す他なかった。


「度の過ぎた発言、所業が多かったが、今日は我が漢室に身を持って奉公した諸将を労い慈しむ為に設けた行賞の場だ。其方らが失した無礼は特別に目を瞑ってやる事にしよう」


 王允は手と膝を地に着いて、ただ下を見ていた。その顔は誰にも見えなかったが、肩と腕だけが小刻みに震えていた。


 皇帝に直言した傅燮、それに皇甫嵩と朱儁も、気持ちは王允と同じく憤りを禁じ得ない。命懸けで戦場を駆け回って漢室を守りぬいた将軍たちより、皇帝に蝿のように集る宦官たちの言葉の方が重かったのだ。


 曹操もまさかの展開に口の中で苦虫を潰した。自身の苦しい言い訳で首の皮一枚繋がった張譲だが、少なくとも彼の権勢は今日この日を持って衰えるに違いない。


 そんな曹操の期待はいとも簡単に打ち破られた。結局、あの書簡は王甫と侯覧が仕組んだ紛い物扱いとされ、張譲が太平道と繋がっていたとされる件は不問とされ、張譲は何の咎めもなく後宮へと戻っていったのである。



 だが、張譲の怒りの矛先は、曹操よりも先に、王允や傅燮にまず向けられた。


 張譲の専横は以前にも増して強くなり、翌年(中平二年)の初頭には、王允は讒言による罪を得て捕縛され獄に繋がれた。傅燮は後々、張譲と趙忠の讒言に苦しめられることになる。


 皇甫嵩はこの後すぐに、郭典に告げていた冀州にある趙忠の大豪邸の件を上書した。皇帝の宮殿にも匹敵するその豪邸は十分告発するに値する。この件で皇甫嵩は趙忠からも恨みを買う事になった。


 宦官と外戚によって少しづつ腐敗と混乱を膨張させてしまった後漢王朝は、崩壊へ向けて徐々に最高潮に達しようとしていた。


 太平道が巻き起こした黄巾の反乱は、皇甫嵩らの活躍により終息したかのように思えたが、これはほんの序章に過ぎず、延々と続く乱世の切っ掛けでしかなかったのだ。

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